COP3についての評価を終わってから4日でやるというのは非常に大胆な話ですが、
- 気候変動枠組条約の条約交渉、
- 条約交渉以後の動き、
- 京都議定書、
- IPCC(気候変動に関する政府間パネル)
の4つに分けてお話しさせていただきます。
1.国際連合気候変動枠組条約(UNFCCC)の条約交渉
1.1 条約交渉の経緯
6年前の条約交渉で一体何が行われたのかを知ることが、今回の京都会議の意味を知るうえでも非常に重要だと思いますので、条約交渉は一体何だったのかということを最初にお話しします。
90年8月にスウェーデンで気候大臣会合が開催され、翌年から交渉が始まるINC(気候変動枠組条約交渉委員会)についてのマンデート(指令)を与えて、そこから条約交渉が始まりました。この気候大臣会合の際、日本政府は2000年までに1人当たりのCO2 の排出を1990年レベルで安定化させるという「地球温暖化防止計画」を閣議決定しています。条約そのものの排出抑制が自主的なものだったので、今となっては誰も義務はないと思っています。しかしこの閣議決定は解除されていないはずですから、日本は国内的にこの義務があるはずなのですが、事実上風化したというのが日本の現状です。
91年1月にワシントン郊外のシャンティで始まった第1回交渉(INC1)は、8回の会議を経て、92年5月にニューヨークで最終交渉(INC8)に至りました。これは今回の京都同様徹夜交渉でしたが、閣僚会議ではありませんでした。前回の条約交渉は、大体事務方で全部決着をつけてしまって、閣僚はリオに行ってサインをした。今回の京都議定書交渉は、閣僚が集まってもまだ何も決まっていなかったという意味で、前回の条約交渉に比べると、根回しという点ではかなり遅れていたということが言えようかと思います。
1.2 条約の特徴
92年の6月にリオで署名をされ、94年の3月に発効した気候変動枠組条約ですが、この条約の特徴は、排出抑制をすることが目的とは書いていないことです。目的としては、「温室効果
ガスの濃度を安定化させること」と書かれています。第4条に、この条約の最も意味のある、かつ有名な条項が書かれています。それが附属書?国の特定義務ですが、2000年に1990年レベルで排出安定化を義務づけるとは書かれていません。排出安定化のための措置をとると書いてあるわけです。省エネあるいは燃料転換という措置をとることは義務づけられているのですが、この排出安定化は自主的なものになっています。
この特定義務の条文が書かれたときに、「プレッジ・アンド・レビュー(pledge
and review)」という思想がありまして、私は交渉担当者として、プレッジ・アンド・レビューを抱えて1年間走り回りました。レビューを強調した理由が3つあります。プレッジというのは、今度のEUのように実現方法については触れず、15%削減するとただ叫ぶだけです。目標設定というのは、数量
の抑制目標だけではなくて、それをどうやって実現するかも的確に書かなければ、すなわちレビューしなければ十分ではありません。そしてレビューをすることによって、当人が責任感を持つとか、あるいはレビューが一種の情報交換とか教育目的になるわけです。
1.3 条約交渉の力学
この条約交渉の際、交渉の様々な力学、ダイナミックスがありましたが、これをここで再確認するのは、今回の議定書交渉も全く同じ力学とダイナミックスで成り立っていたと思えるからです。条約交渉そのものは、枠組条約、すなわち枠組ということが非常に強調されていました。これを強調している国が2つありまして、1つはアメリカ、もう1つは中国でした。枠組条約であるということから、当然、総論賛成・各論反対という構造が強く出ており、交渉団の対立というのは、単に南北の問題ではなくて、北と北の間にも、南と南の間にもあったという複雑をきわめた利害の対立があったわけです。
北北対立ということで、EUとアメリカは、この時点では最後まで2000年安定化義務を法的に拘束するかどうかということを争っていました。南北対立というのは、南は先進国責任論であり、契約合意論ということです。契約合意論というのは、先進国が資金と技術を出さない限り、途上国は何もやらなくても良いという議論です。南と南の対立というのは若干注意すべき点があると思いますが、先進国の特定義務を決めてしまうと、いずれ10年たったら中国も特定義務を課せられることになるので余り特定のことは決めないという態度が一貫してあるのが中国のポジションですし、AOSIS(小島嶼諸国連合)とOPECが非常に違った立場をそれぞれとり合っていたというのはご存じのとおりです。
2.条約交渉以後の動き
こういった対立の構造というのは基本的に完全に踏襲されています。95年の3月にベルリンで気候変動枠組条約第1回締約国会議(COP1)が開かれ、(1)
より強い2000年以降の附属書I国の数量削減目標、(2) 途上国に新たな義務を課さないこと、(3)
共同実施(JI)については2000年までを試験期間とする共同実施活動(AIJ)として行うこと、の3つの点が合意されます。95年の3月にベルリン・マンデートを見たときに、信じられない思いがしたのは、途上国に新しい義務を課さないことをはっきり言ってしまったことです。実は条約には、1998年までにこの条約のレビューをすれば良いと書いてあったのですから、「拙速にベルリン・マンデートをつくって、先進国の義務だけを強化するというのは余り意味がなかったのではないか。」という感じを、今でも私は強く持っております。
その後、95年12月にIPCCの第二次評価報告書(SAR)が出ます。この報告書が何を言っているかを紹介します。第1は、SARで初めて気候変動に対する人間活動の影響について言及し、明らかに人間活動、特に化石燃料の排出というものに影響を受けているということを非常に強く言っております。
第2に、IPCC気候変動予測シナリオの中位の平均推定で2100年に気温2℃上昇とか、海面
で50cm上昇というのが書いてあるわけですが、注意すべきなのは、この予測の範囲が広く不確実性が高いことです。また、気候システムというのはイナーシア(慣性)があって、例えば濃度が上昇したことの効果
がすぐにあらわれず、逆にその効果があらわれてしまうと、不可逆的になってしまいます。不確実性、イナーシアを考えるとリスク・マネジメントを強化せざるを得ないということを2つ目に言っています。
3つ目は、影響として、海面上昇だけではなくて、降雨パターンの変化、農業適地の変化、生物多様性の喪失、災害等があるということです。先進国より途上国の方が影響を受けやすく、影響を受ける度合いが大きいということが重要な問題だと思います。ところで4つ目に、このシナリオをどう読むかという話になるわけですが、削減シナリオは唯一ではないというのがIPCCの考え方です。タイム・フレキシビリティーと呼ばれていますが、少なくとも2000年から最初のころはかなりフレキシビリティーがあって、そこで増えても、後で取り返せば良いという議論もあります。
全体として言えば、ノー・リグレット・ポリシー(no regret policy)だけではなくて、予防原理を考えれば、リーズナブルなコストを負担して対策を進めるべきだということ、今すぐ今後
100年間の最善政策をつくるというようなことを考えるのではなくて、むしろ次第に明らかになってくる科学的情報を活用して、政策の変化が必要になれば、直ちにそれに対応できるような、即応性を持っていくことが一番大事であろうと言っております。
3.京都議定書
3.1 議定書交渉のプロセス
議定書交渉のプロセスについては、幾つかの特徴があったかと思いますが、基本的には南北の対立構造というのはほとんど変わっていませんでした。そして依然としてリーダーシップをどこもとっていません。大きな国際会議というのは、戦後ほとんどアメリカがリーダーシップをとってきました。92年のリオでアメリカがリーダーシップをとらず、そうするとEUもリーダーシップがとれないし、日本もそれだけの実力がないということで、リーダーシップの欠如が最大の問題となっています。
もう1つ認識しておかなければならないのは、京都会議ではNGOの活躍が目立ったことだと思います。場外でNGOが各交渉団と密接な連絡をとって、いろいろアドバイスかつウォーニング(警告)をしながらやってきたので、日本政府から見れば、当初は考えていなかった高いパーセンテージでの合意が行われたということだろうと思います。国際的なNGOの影響力や動きを一番よく見ていたのは、
やはりEUだったと思います。
ところで、条約交渉と議定書交渉の違いの1つは、米国の迷走ということだと思います。条約交渉のときに我々日本の交渉者が混乱しなかったのは、アメリカの交渉ポジションが最初から最後まで変わらなかったからです。とにかく法的拘束力は絶対だめだということを言いまして、これを最後まで堅持したので、日本はそれを見ながら交渉ポジションがつくれたということがあります。今回は、アメリカは揺れに揺れたと思います。12月の京都会議の直前に国務省の交渉担当責任者だったティム・ワースがみずから退任し、環境派の影響力が小さくなったかと思うと、最後に京都にゴアが来て、クリントンと話したから、もっと柔軟にやれと言う。アメリカのポジションが読み切れなかったということが混乱を非常に増した原因だと思います。
それから途上国の新たな義務が排除されました。一番大事なことは、この交渉はパッケージでやることだったと思います。そのパッケージの中に入るのは、京都交渉の最後の段階で、私は4つほど項目があったと思います。1つは、もちろん先進国の削減義務。2つ目は、その削減義務に弾力性を与える共同実施と排出権市場の問題。3つ目は、議長提案の段階では入っていた、第10条「途上国の自発的参加」の条項です。この途上国の参加というのは結局落ちてしまいました。もう1つは、やはり技術移転の項目。技術移転は、南北の利害を一致させる役割を持つと思うのですが、今の条約の条項では、ほとんど技術移転は動きません。しかし結局、QUELROs(数量
目標)に議論が集中してしまって、ほかの話に回らないというようなことになってしまいました。この点を変えない限り、何度やってもこの交渉は余りうまくいかないと思います。
というのは、この交渉の大きな問題点は、やはり途上国と先進国の不信感だと思うからです。日本もアメリカも、中国がやらないのでは我々もこの程度にしておくかということにならざるを得ないし、逆に中国にしてみると、アメリカや日本がやらないのだから、自分達はやらないということにもなるわけです。したがって、中国やインドの義務を取りつける交渉が今後あるとすれば、相互不信の悪循環をどこかで断ち全体パッケージとしての議論をしないと、うまく進まないのではないかと思います。
先程から私はパッケージと言っていますが、これは通産省の最初のポジションでした。資源エネルギー庁の稲川長官が、この交渉の目的として3つあるということをかなり前から言っていました。1つは先進国の義務、2つ目は途上国の参加問題、3つ目は技術開発・移転を含んだ技術のイニシアチブです。私も彼の意見には全く賛成だったので、いろいろなところで交渉の目的というのは3つあるよと言っていたのですが、今回の京都会議に関する限りは、その1つの先進国の義務しか議論されなかったし、1つしか万全な形では結論が出ませんでした。この意味では、かなり重要な部分が欠落してしまった会議だったという印象を持っています。
3.2 議定書の特徴
削減義務が、EUは8%、アメリカは7%、日本が6%、ロシアがゼロとなりました。議長の最初の提案では、EUは10、日本は
4.5、アメリカとロシアが5だったと思います。ロシアが最終的にゼロに回復したということは、彼らが相当な排出権を持ったということになるのかもしれません。対象源としては、CO2 、メタン、N2 Oに加えて、3つの代替フロンのガスが入りました。この3つの代替フロンについては基準年を95年にし、吸収源については、森林について90年以降の植林、伐採だけをカウントします。
さらにクリーン・デベロップメント・メカニズム(CDM)というのができました。これはファンドではなくて、建設的な形で先進国がクレジットを得る、途上国はプロジェクトを進められる、こういう仕組みを推進する団体のようです。ある種のクリアリングハウス的な機能を持つ機構になるのではないかと思います。
途上国参加規定の削除というのは先ほど申し上げたとおりですが、もう1つ、議定書発効条件というのがあります。アメリカがもし上院の反対で批准できなかった場合に、日本提案では、75%の温室効果
ガスの排出をする国の批准が条件でしたから、アメリカが批准しない場合には議定書が発効しないということがあり得ました。しかし55%だとそういうことがなくなってしまい、アメリカだけ義務を負わないで、日本、EUが義務を負ってしまうという形になることがあり得るということになります。
3.3 日本への問題点
達成可能かどうかという問題はあり得ないのではないでしょうか。決まった以上いかなるコストをかけてもやるべきなのでしょう。十分かという問題については、明らかに十分ではありません。十分ということは、この段階ではあり得ないということです。衡平性という問題については、EUの8%に比べて、6%と7%の日米は相当大変だろうと思います。衡平かと聞かれれば、随分不衡平な結果
だと言わざるを得ません。
マクロ経済への影響はどうでしょうか。多くの失業者が出て、成長率が落ちると通
産省は言っています。あり得るかもしれませんが、私は一般論として、マクロ経済というのはもっと弾力的なもので、様々な新しい産業の勃興によって乗り越えていくのではないかと思っています。それから競争力が議論されましたが、基本的に競争力というのは比較優位
の問題であって、絶対的な環境コストがどうこうという話ではないと思います
4.IPCC
IPCCは、1988年にUNEP(国連環境計画)とWMO(世界気象機関)によって設立された組織で、科学者のコミュニティーのコンセンサスがどこにあるかを探すということを目的としています。IPCCの報告書は、原則として政府の採択か承認が必要で、そうした意味でIPCCは、Intergovernmental
Panel(政府間パネル)と呼ばれています。それから、IPCCは政策提言をする組織ではなくて、政策についてのいろいろな考え方を評価する組織です。またピアー・レビュー・プロセス(peer
review process:専門分野を同じくする研究者による精査・評価のプロセス)と言っていますが、きちんとしたピアー・レビューを経た既存の論文でなければ使わないという原則があります。
IPCCの2000年までの最大の仕事は、第三次評価報告書(TAR)です。このTARの特徴は次の通
りです。1つは、IPCCではこれまで人為的な影響がどれだけ気候変動に影響を与えるかという話が中心でしたが、SARで結論を出したので、TARではその後の問題、つまり適応戦略あるいは抑制戦略で何をやるのかということを最重点に取り上げます。したがって、それぞれの分析の政策妥当性を高めていかなければなりません。
また今までは地球規模の議論だったのですが、地域別の話、例えばアジアならアジアについての影響と採るべき戦略を考えようという方向にあります。さらに、実は技術はある程度あり、本当にやる気になれば相当なところまで出来るはずなのに、皆がやる気にならないことが問題であるということで、社会経済的な問題に取り組もうとしています。
本日は産業界の皆様がいらっしゃいますので、最後に訴えたいのですが、今までのIPCCの報告書は、ほとんどアメリカ系の学者が占めてきましたが、TARは広い参加を求めております。もう少し日本や中国といったアジアの学者に、さらにもっと産業界の方にも入ってきていただけないかということも考えております。是非、ご協力をお願いいたします。