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1994年12月号

第11回地球規模の問題を考える懇談会から
「メディアとしての電話」
−電子メディアの社会的普及と空間意識の変容−

東京大学社会情報研究所
助教授 吉見俊哉


 電話は研究してみると面 白いメディアですが、日本では今まで学問的な研究として、電話を対象として扱ったものはほとんどありませんでした。一方海外では、70年代から80年代にかけて、電話に焦点を当てた幾つかの優れた研究が発表されるようになりました。ここでは、電話というものに焦点を当て、電話から何が見えて来るのか、あるいは電話を通 してその向こうに色々な問題が見えてくるんだという話をしたいと思います。前半はここ10年程の、80年以降の現代日本において電話を通 して何が見えるのかといった話を、後半は19世紀から20世紀の歴史の中で電話を見たとき、どのようなことがあったのかという話をしたいと思います。

1.若者たちの電話コミュニケーションの実態

 まず、今の若者たちがどのように電話を利用しているのか、NTT関係の調査を通 して調べてみると、幾つか言えることは、電話について小学生から中学生になっていく段階で大きく変化していくのは通 話時間です。小学生の平均3.7分から中・高校生の平均13.9分へと増加している。この13.9分の中で、中学の男子が5.0分に対して、中学の女子は11.4分、そして高校の男子は11.0分、女子は28.0分となっています。

 ここから分かるのは、大体女子は、中学生になった時点から長電話人間化する。そして男子は女子を後追いして、高校生になった時点から長電話化してくる。これは推定ですが、男も高校になるとガールフレンドができ、女子といろいろな話で付き合いができてくる。そうすると、この時期に女子から長電話の楽しみ方を教わっていくのだと思います。したがって、やはり女子の方が先行して電話人間化する。男がそれの後追いをずっとやっていくという構図は基本的には変わらないと思います。

 もう一つ、通 話の時間帯の使い分けということがあります。例えば、平日では小学生たちは午後3時から8時台が中心、中・高生は6時から9時台が中心、大学生はもう少し遅くて9時から11時ぐらいが中心というように、時間帯によって世代が分けられています。母親たちの電話も考えると、それはもう少し前の時間帯、昼間の時間帯になると思います。そうすると、どこにも時間帯がないのが父親たちということになります。電話というメディアからは父親たちの顔は全く見えてきません。

2.住居への電話の侵入と生活空間の構造的変化

(証言1)
「私が覚えている限りでは、私と電話の関わりは1972年頃までしか遡ることができない。当時は2DKの団地に住んでいたが、電話は玄関を入った部屋の前にあった。それから何回か引越しをしたが、わが家における電話の位 置は少しずつ玄関から遠ざかり、部屋の内側へと変化しているような気がする。各自の部屋に持ち込める様にコードも長くなった。昔はせいぜい1mぐらいだったと思う。」(大学3年 男)
(証言2)
「わが家の電話は、かつては居間のテレビの横にあった。ひとたび電話がかかってくると、それまでテレビに向けられていた家人の目が電話の受け手に注がれるのは言うまでもなく、時にはその話題まで共有しようというのだから、これはたまらなかった。電話で伝えられた内容は、家族全員が知る所となった。その後、姉の働きかけで電話は居間と台所の間の通 り部屋に移された。これによってわが家の電話も、その外見に似つかわしくなく、秘め事の一つや二つ持つようになったことと思う。」(大学3年 女)

 最初に日本の家庭に電話が普及し始めたとき、それが置かれていた場所で一番典型的なのは玄関だったと思います。玄関のげた箱の上に敷物を敷いて、その上に黒電話がポンと置いてある、そんな光景が多かったように思います。これには、考えてもるとそれなりの意味があったと思います。

 日本の家庭で、電話が急速に普及していくのは1960年代ですが、初期の普及段階では電話のない家も結構あった。そうすると、呼び出し電話のために玄関に置いておく方が便利であるとの考えもあったと思います。しかし、もう少し深く考えてみると、家族の空間の中で電話が玄関に置かれたということは、何か非常に深い意味があったのではないかと思うのです。電話はそこから人間が飛び出してくる訳ではないのですが、少なくても声という形で人々は外の人間と出会うことができます。その時、確かに体は家の中に存在しますが、意識は外に出ていって、外の人と一緒に場を共有しているという方が強いのではないかと思います。そうすると、電話というメディアは、体とは別 に声という形を通して自由に家の内、外を行き来するものであり、また外の社会と家族との空間の境界、出入口に相当するメディアが電話だったと言えます。そのようなメディアが物理的な出入り口である玄関に置かれたのは、電話を玄関に置くことによって、家庭における外の社会との交渉の場を玄関だけに限定しようと考えたのだと思います。

 ところが、70年代から80年代を通 じて玄関に置かれていたはずの電話が、居間、子供部屋、寝室といった住居空間のより深い所へ入って来るようになった。そうすると、家のあちこちが玄関のようになって、住居という空間は物理的には閉じた空間であるにもかかわらず、電子的には家じゅうに電話があるような状況を通 して、電子的な個室空間に分解するということが起こってきたのだと思われます。そのような状況に晒されて家庭の中に何が起こって来るかというと、例えば、一家で食事をしている時、娘さんのところに友達から電話がかかって来る。そうすると、彼女の体は家の中にあっても、意識は電話回線の中に入り込んで電話の相手と場を共有している。そして、それが周囲にいる家族に露骨に見えるということです。ここでは、みんなが一緒の空間を共有しているというリアリティが明らかに崩される訳です。両親が娘の長電話に対して苛立つというのは、電話料金の問題もありますが、それ以上に一緒にいながら一緒にいないという状況に対する不快感が非常に強いのだと思います。電話が家のあちこちに入ってくることによって、家庭の空間が二重化するというか、体は家庭の中にありながら意識は電話回線の中にあるといった、家族の一人一人にとって身体の二重化みたいな状況が起こってきたのだと思います。

 この状況は、一人暮しの若い人における電話の使われ方を見ると、もっと極端に出てきます。

(証言3)
「一人暮しになって、私が電話をかける回数はかなり増えた。一人でいると意外に暇で、だれかと話したくなる。ついついダイヤルに指が伸びるのだ。だが、やはり電話をしていい時間には限界がある。そこで、別 に見るわけでもないテレビをつけたりする。何もない状態や、何かしていない状態に耐えられないのである。自分以外の世界、外界と遮断されることに無意識のうちに拒絶反応を示してしまうのだ。一人で暮らすようになって、外界と何かしらのつながりを持っていないと落ち着かない自分に気が付いた。情けない。今では、風呂に入る時や寝るときにはコードを伸ばし、電話を手元に置くようになってしまった。」(大学3年 女)

 これはまさに電話というものを通 じて、回線空間を介して一つ一つの個室空間が社会につながれているという構図になっているわけです。ここではメディアに媒介された空間性と、場所的な空間性の関係が逆転しています。

3.街頭および都市における電話の遍在化

 いままで述べたようなことは、家庭の中だけで起こったのではなく、都市全域で80年代以降起きていたように思われます。それが最初の形で出てきたのが公衆電話を通 してです。特に、テレホンカードが出てきて長時間電話がかけられるような状況になってから、それまではなかったような色々な意味を持ってきたように思います。

 例えば、夜遅く家に帰るとき住宅地の中にある公衆電話の回りに、若者たちがたむろして話しをしている、といった風景を見かけることがあると思います。これは公衆電話を個室の電話と同じように使っている、そして公衆電話を介してネットワークを形づくっている例だと思います。

(証言4)
「確か中学生の頃だったと思う。一人前にガールフレンドができた私にとって、家族が集まる部屋にあった電話を利用するのが億劫であった。そんな時は、家族の不在の時をねらうか、公衆電話を利用した。ただ公衆電話のある場所にいっても、そこにはやはり事情のありそうな若者が話していたりして、利用するには忍耐が必要であった。もちろんこの逆もあり、そんな時には待つ人を無視する図太さも必要であった。しかし、上京して一人暮しを始めると、この電話は突然自分専用のものになってしまった。」(大学3年 男)

 これは家庭という空間が電子的な個室空間を分解していったように、同じ役割を今度は公衆電話が都市のレベルで担っていく。公衆電話で長々と話している若者の体はその場所にあるものの、意識は回線の中の空間を生きているという状況になっている。そして公衆電話で萌芽的に見られた事態は90年代になると、様々な移動体通 信、特に携帯電話が普及していく中でより明確に出て来ることになると思います。

 例えば、皆さんも経験があると思いますが、通 勤電車の中でだれかの携帯電話が鳴ると、周囲の人は不快に思う。電車では知り合いがいるわけでもないし、会話するわけでもない。しかし、その場所を暗黙に共有している意識がある。それを電話は見事に壊してしまう。もし携帯電話がどんどん小型化していったらどうなるでしょう。例えば、ウオークマン電話のようなものができて、みんなが相手もいないのに話ながら道を歩いている、そんな状況が仮想的には考えられる訳です。そうすると、場所のリアリティというものがどんどん曖昧になっていくわけです。

(証言5)
「長電話をして2時間、3時間喋っていると、自分の所在が分からなくなる時がある。電話での話題は、実際に自分がいる場所や時間とは異なる時空を持っている。そしてそこで展開する話に没頭しているうちに、その世界にトリップしてしまい、ふと我にかえってみると現実の自分の所在に違和感を感じる。この感覚は幾つかの条件がそろった時生じるようだ。第一は、自分の周りに他人がいないこと。第二は、電話の相手が気のおけない人物であること。第三に、話の内容がとりとめのない雑談であること、雑談は双方の喋りによって再現なく展開し、独自のストーリーと世界を作り出せる。」(大学3年 女)

 家庭でも、また都市の中でも、至るところに電話が入り込んでくると、そこには場所的な都市とは別 に、どこにいるか分からないけれどそこに一つの空間があるような、電子的な都市の空間ができて来ると思います。そのような二重性の中で我々の意識と身体が分裂していくという状況がだんだん出て来るように思います。ただ、どちらが本質的かという問いに対する答えは必ずしも出てきません。先ほどの証言のように、ある種の若者たちにとっては、電子的都市のほうがよりリアルなのかもしれません。むしろここでは、空間の次元というものが二重化してきて、その間に様々なあつれきが出てきているという点を認識してもらえればいいと思います。

4.回線構造の再編と回線網の中に形成される都市

 80年代以降、この回線の空間を再編成したり組織化するということが起きてきました。時間も空間も本当にはない回線の都市の中に、時間と空間を人工的につくり上げるというものです。たとえば、伝言ダイヤルというNTTのサービスがあります。この中で若者たちが使用する用語を見ると、回線の空間性がよくでています。

 ここに出てくる言葉を整理すると、建築空間的表現とか身体的表現が非常に多く見受けられます。例えば、一つ一つの暗証番号のことを「部屋」という言い方をします。また、自分の声を吹き込むことを「部屋に上がる」と言ったり、相手のメッセージを聞くことを「部屋をのぞく」と言ったりします。それから、データベースの容量 がオーバーしたときには、暗証番号の頭とか末尾に新しい番号を付けて会話を続けていくわけですが、最初にあった暗証番号に1をつけると「1階」、またそこがいっぱいになり今度は2をつけると「2階」、ちょうどビルが建増しされて上に伸びていくような表現がでてきます。

 また、身体的表現では、自分が吹き込んだはずの声が、先着の誰かの声が優先して先方に届かなかった時、「けられる」という言い方をしたり、AさんとBさんの間に、たまたまCさんが吹き込んでしまった時、「はまる」という言い方をしたりします。

 このような表現をみると、そこには実際の空間はないのですが、あたかも疑似的な空間性とか身体性を与えていこうとするコミュニケーションがあります。まるで都市の中を、あるいは、ビルのなかをさまよっているような感覚を人々に抱かせるような会話が飛びかっているのです。

 このようにみてくると、電話が家庭の中、社会の中、あるいし色々な形で浸透していく中で、我々が生活している空間は、場所の空間と電子の空間に二重化してきている。そして、この両方の空間に身体を置かざるを得ない状況が、我々の現在の姿だと思います。

 しかも、電子的な空間は、NTTの戦略というものを含めて、色々な形で組織化されてきています。そしてそれが、今後の通 信事業の自由化という中で、どのような形で時間、空間的に組織化され、新たなリアリティを作り出していこうかという点をめぐって、色々な問題が現在起こってきているように思えます。

5.複製技術としての電話とメディア変容

 いままで説明してきたことを、少し歴史を振り返ることによって考えてみたいと思います。我々の文化とメディアとの関わりは、ここ150年ぐらいの間に大きく変わってきました。人類の歴史は、これまで3回の根本的なメディア変容というものを経験したと思います。第一は文字の登場です。文字の登場により記録ができるようになった。そのことにより、文明が持続的な形で続くようになり、国家という枠組みが可能になったと思います。第二の変化は活字、活版印刷の登場です。これは、西洋では15世紀から16世紀にかけて起こったわけですが、近代科学文明の源はここにあるといえます。印刷技術によって初めて科学的知識や客観的知識を、後の世代に正確に伝えていくことが可能になったのだと思います。第三の変化が19世紀後半から出てきた、電子テクノロジーによる社会の複製、文化の複製ということだと思います。この時期に相前後して電話、ラジオ、蓄音機といったものが世に出てきました。このあと19世紀末から電気的な社会の複製という変化はずっと起きてきて、それが今日まで続いているのだと思います。初期には、電話とかラジオという声の複製として、それがやがて映像メディアとか触覚メディアまで広がる形で、今日まできている。したがって、メディアとしての電話を歴史の中で見てみることは、電子的なメディアが文化とどのように関わってきたのか考える上で、非常に大事なことです。

 電話が発明されたのは1870年代ですが、初期の使用形態は現在の使われ方と比べるとかなり違っていました。その当時、今日的な電話の使い方を担っていたものは電信で、ネットワークとしてもかなり発達していました。したがって電信会社は、既得権を守るという意識もあったと思いますが、電話にはあまり関心が示しませんでした。したがって、初期の電話の使い方というのはかなり見せ物的な使われ方で、例えば演奏会の演奏を電話を使って聞かせるとか、詩の朗読を受話器から聞こえてくるようにするといった具合いでした。1880年代以降電話は社会の中に入ってきていきますが、この大衆化過程というのは、有線ラジオ的な娯楽メディアとして広がっていったといえます。商業的にも、パリの電話会社が市内の五つの劇場での実況中継を、金持ちの契約者に提供するとか、コインをいれると5分間オペラや音楽会の演奏を聞けるといったサービスも都市の盛り場に出てきて人気を博しました。変わったところでは、教会のミサを電話で中継しようとする試みも行われました。この中でもブタペストの電話放送局の話は有名です。ブタペストの電話局では、世紀末から第一次世界大戦までの二十数年間にわたって、今日のラジオ放送と同じ事を電話を使って行っていました。

 このように見てくると、電話は当初から必ずしも1対1のパーソナルな用件伝達のメディアとして考えられたものではなかったといえます。ある意味では、伝言ダイヤルとかダイヤルQ2に近い今日的な、またその先をいくような色々な使われ方が、初期の電話の中に既にあったと思います。

 現在、マルチメディアとか色々な新しい情報テクノロジーが出てきて、社会が変わる、文化がこう変わるということが盛んに言われていますが、確かにメディアとか新しいテクノロジーが文化を変えてきたという面 を無視できませんが、そういうものは文化の中でつくられてきた訳だし、社会の関数として現れてきたはずです。そうすると新しいテクノロジーが社会を変えると考えるよりは、むしろその時代の人々の意識とか、文化とか、社会の編成とかといった要素の中で、新しいメディアの使われ方が決っていったという見方がもう一方で必要だと思います。これからのメディアというものを考える上でも、電話というメディアの歴史は、社会の変化からのアプローチという視点を私達に示してくれています。

−この分野により興味を持つ人のために−

1.・書名  「メディアとしての電話」
  ・著者  吉見俊哉、水越 伸、若林幹夫共著
  ・出版者 孔文社
2.・書名  「メディアの生成」
  ・著者  水越 伸
  ・出版社 同文館
3.・書名  「メディア時代の文化社会学」(近刊)
  ・著者  吉見俊哉
  ・出版社 新曜社