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ニュースレター
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1995年2月号 |
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地球環境保全対策と南北問題慶應義塾大学商学部長 国連のIPCC第3作業部会(環境保全の社会・経済的影響の評価)の報告書が作成されつつある。リード・オーサー会議に出席した一人として、感想を含めて地球環境問題について若干の私見を申し述べたいと思う。私が参加しているのは、Writing Team8と呼ばれる環境保全における政策手段の功罪を整理、評価するグループである。 地球温暖化ガス問題の特徴は、その他の環境汚染因子に比して、空間的にも、時間的にも極めてグローバルな影響を持つこと、そして、汚染の影響、対策の功罪ともに科学的な知見が未だ必ずしも定まっていない、また将来の技術動向も予想が難しいといった、いわゆる、不確実性の要素を持っている点にある。 前者の難点から何らかの対策を講ずるとすれば、特定の一国ないし数か国のみの対策では効果 が尻抜けになってしまう恐れがあり、地球規模での施策が求められている。その時には、当然の事として、国の間、個々の人間の間、産業間においても、影響の公平性、負担の公平性を図るため、その公平性の評価をするという問題が生じざるを得ない。そこでは、公平性の観点を加味した対策の合意が不可欠となるが、対策の影響や負担の大きさの評価に関して不確実な要素があるということになると、そうした合意を得ること自体がなかなか困難になってしまう。実際の対策に関しての合意形成は、今後の政府間交渉の課題ということになるが、単に、種々の政策手段の功罪をサーベイ、評価するという今回の目的の範囲内でも、相当の議論が交わされた。エネルギー効率と密接に結び付いたCO2などの対策となると、経済の発展段階によってエネルギー需給の構造に大きな差異があり、環境対策が経済発展を阻害するということであれば、環境保全が第二次的目標にならざるを得ないという途上国の状況も、理解できない訳ではない。 議論の場では、過去の経験と知見の蓄積ということからすれば、欧米型の経済理論を基礎にした諸施策がリードすることになってしまう。例えば、現実の価格メカニズムが不十分であれ、それなりに作動しているという実感を持つ欧米学者が、市場主義的な炭素税の導入や排出権市場の創設を主張しても、もともとマーケット機能も十分でなく、そうしたマーケットすら無いかもしれないという途上国において、理解や合意が得られないのは当然であると言える。人類の次世代へ環境遺産を受け継ぐという大義名分からすれば、欧米主導の議論に同調させられてしまうといった感があり、問題の本質的な部分を避けて通 り過ぎているような気がして、歯がゆい限りである。 環境保全の問題を経済発展とトレード・オフだと考えるのはもともと奇妙な問題設定である。環境保全が重要なことは言うまでもないことであるが、それを侵さないで経済発展を可能とする道を探ることにこそ、人類の英知を傾けるべきであろう。もしそれが簡単でないとしたら、先進国の経験から、環境保全を無視して経済成長第一主義で発展した場合には、将来において、いま少し成長をスローダウンさせて被る費用の数倍の負担を、次世代に課すことになるかもしれないという事を、途上国に対して根気よく説得することが必要であろう。 我々の作成した日中大気汚染物質分析用の産業関連表によれは、1985年で中国の総CO2排出量 は、23.76億t(CO2換算)、日本で9.86億tとなっている。またSOxについては、発生量 で、中国が2340万t(SOx換算)、日本で350万t、同排出量は、中国で2026万t、日本で、115万tとなっている。これら両国の汚染物質発生量 、排出量の差異は、両国の産業構造、および最終需要構造の差異や両国の除去活動のレベルの違い、更に消費エネルギーの種類の違いも影響している。そしてこれよりもより大きな要因が、両国の生産物1単位 当りのエネルギー消費量、もしくはエネルギー投入原単位の違いである。省エネルギー技術によってエネルギー効率を追求することは、環境保全の目的達成に留まらず、経済成長にも不可欠である。 CO2対策については、わが国自身今後解決しなければならない大きな課題であるが、省エネルギー化の努力やSOxなどの防除設備の開発についてのわが国の経験は、十二分に中国での施策として役立ち得るものであろう。途上国が先進技術の導入に積極的であれば、先進国の過去の責任を問うよりは、その失敗の経験を生かしてより安価な施策をとることができるはずである。そしてまた、先進国側から見ても、途上国の環境技術需要の規模拡大は、その世界市場戦略上、見逃すことのできない経済発展へのブレーク・スルーの要因だと思えるのである。環境保全が南北対立の火だねではなく、南北共生の足掛りとなることを願うのみである。 |
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