第6回「21世紀文明と国家の枠組み」
研究委員会から
−ハイテク技術のパラダイム−
●技術パラダイムが持つ意味
世界の産業力の均衡が大きく変わる時、追いつかれた国から追いついた国への批難は、米国の修正主義者の日本に対する主張に見られるように、「特殊論」という形で行われる。多くの場合、特殊論という名のもとに批難されているものは、追いついてきた国において無意識に実行されている、次の時代のヒナ形になるような制度上の革新であった。しかしここでは、批難する側には経験がなく、批難される側も新しい事をしているという意識が無いため、議論が噛み合わなかったのである。このような「歴史上の逆説」と呼ばれる現象は、19世紀から20世紀にかけて、イギリスとフランス、ドイツの間で起きていた。そして産業革命では後進国のドイツが勝利した。これと同じ現象が現在、日本と欧米諸国との間で起きている。
最近多くの人々が、技術革新の基本的パターンに大きな変化が起きていることを指摘している。ハイテク技術の登場により、科学技術政策の全体の枠組みに種々の変化が起きている。しかもこの変化はかなり本質的で、従来の企業経営論や国際関係論の知識を陳腐化させてしまう程である。現在国際間で起きている問題のある部分は、この技術パラダイムの変化についての認識が不十分であることから起きている。ここでは、パラダイムの変化項目を説明した後、この分野における国家の関与のあり方、そして世界の安定と途上国の発展に向けての技術協力のあり方、そして、この分野で成功した日本が世界に向けて今後果
たすべき役割について、私の経験を踏まえて話したいと思う。
(1) 技術パラダイムの変化項目
まず第一に、「製造業の基本的定義」についての変化が起きている。製造業の従来のパラダイムは、最新の設備と熟練労働力を保有し、高度な製品を安価に造り出す集団と定義されている。しかし、最近の製造業の状況は従来とかなり異なってきている。その最も代表的な指標は、いくつかの先端技術企業において、研究開発費が設備投資額を上回ってきていることである。このことは、製造業が「生産する集団」から「考える集団」へと変身を遂げつつあることを示すものである。これは企業がいかに21世紀に生き残っていくか、という戦略の表れである。研究開発活動を充実させることにより、将来のいかなる変化にも対応できるような体制を整えておこうという戦略が主流になりつつある。
第二は、「事業についての変化」である。従来のパラダイムでは、一つの企業には一つの事業が対応し、一つの事業には一つの技術基盤が対応していた。しかし、多くの企業では技術的多角化が進行し、事業について単一技術基盤から多角的技術基盤へという変化が起きている。研究開発の多角化は、いくつかの業種において、主力製品分野以外への研究投資が増えており、この分野においては副業が本業を押さえて主流になっているのである。この傾向が持続すれば、現在の大企業は21世紀には100個のベンチャー・ユニットの集合体にしか過ぎなくなる。
第三に「研究開発活動」にも変化が起きている。従来はハイテク産業を定義するのに、研究費の売上高比率とか研究員の全従業員比率が使われてきた。しかし、現在ではむしろ研究開発活動の構造的側面
によって、定義すべきであることが明らかになりつつある。第一の構造的特徴は、最近のメモリーチップの開発競争に見ることができる。すなわち、旧い技術の学習や投資の回収が終わる前に、新しい技術が導入されている。そのため、研究投資の意思決定は、従来の投資回収率で行われるのではなく、次から次へと押し寄せる技術革新の波に乗り遅れまいという、いわば「波乗り」のパターンによって行われるのである。第二に構造的特徴は、光ファイバーの開発競争に見ることができる。すなわち、技術開発過程においてその主役が、ガラスメーカーからケーブルメーカーおよび通
信事業者へと業種の枠を越えて交替していったのである。つまり、今後の技術開発においては、競争相手は同業他社ではなく、全く異なる業種の企業である。
第四は、「技術開発過程」における変化である。ハイテク時代の技術開発は、もはや技術的なボルトネックの解消が問題ではなく、技術をどのようにして使うかが問題であるといわれている。これを「潜在需要の技術的表現化」といい、この考えの政策的応用は、競争する企業が行う共同研究制度に見ることができる。この点については、超LSI研究組合の果
たした役割が参考になる。この研究組合は、5社のチップメーカーが酸化して、チップの露光装置と材料の技術への技術的表現化が行われた。この研究組合は、光学的に電子回路を縮小して基盤に焼き付ける方法を追求していた。そこで光学技術を持つ開発メーカーに開発を委託した。その結果
、キャノン、ニコン等が世界的な縮小露光装置のメーカーとなり、またもう一方ではシリコンの結晶プロセスの分析が行われて、その結果
がシリコン・メーカーに技術情報として提供され、高品質のシリコン材料を供給する国産メーカーの育成に結び付いた。
第五に、「技術革新形態」の変化が起きている。これについての従来のパラダイムは、技術の壁を突破することにより生起するというものであった。しかし、最近の技術革新は「メカトロニクス」や「オプトエレクトロニクス」の例に見られるように、異種の技術が融合することにより派生している。すなわち、技術革新の形態が「技術突破型」から「技術融合型」に転化しているのである。
第六は、「技術の普及」についての変化である。技術の普及速度の決定要因が技術的なものから社会的なものへと移行している。フリードマンによると、現在進行しつつある情報技術の特徴は、その社会への広範な普及には社会制度の変更が伴うということで、逆に言えば、社会制度の変更がなければ、このような新技術を充分に活用することができないということである。例えば、ファクシミリの普及は、電気通
信法の改正により初めて可能となったのである。
最後の変化は「技術の国際協力」に関するものである。最近の技術的なニュースとして低温核融合の話があった。その前には常温超電導ブームがあった。これらのことは、一つの目標を実現するのに、いくつかの科学技術上のオプションが存在することを示したよい事例である。すなわち、次世代のエネルギー供給については、技術的に種々の選択肢があると供に、エネルギーの確保という見地からは、原子力によるエネルギー供給能力の増強か、超電導によるエネルギー伝達損失の解消かという選択がある。このことは、科学技術上の選択の幅が広いということを示している。したがって、今後の国際協力は、全ての可能な科学技術的オプションを、探索しつくすことを目標とすべきである。
国際橋梁において従来支配的であった概念は、「費用分担方式」と「仕事分担方式」であった。両者とも一つのオプションを決めた上で、費用や仕事を参加国で分担するもので、純粋に経済的理由からできた考え方であり、ここでは科学技術的見地からの発想は皆無である。これからは、科学技術のダイナミックスを理解した上で、国際協力の概念としての「オプション分担方式」が必要である。これは、国際協力により全ての可能な科学技術上のオプションを分担しようというものであり、この試みからの成果
は、特定の国が技術を独占し使用するのではなく、環境問題を始めとする地球規模の問題に広く使われることになる。
以上がパラダイムの変化項目であるが、日本がハイテクの分野でかなり成功を治めた理由を考えてみると、日本が一生懸命になってハイテクの分野で国際競争力を高めたという見方と、もう一方で、技術のパラダイムが変化して、日本に既に存在していたものと非常にぴったり合って、うまくいったという見方から分析を進めたのが、ハイテク時代のパラダイムである。
(2) 今後の研究開発の在り方および国家の役割
国家主導の研究開発活動のいくつかは、先進国において共通
的である。安全保障上の考慮を除けば、大量の公的資金を研究開発に投入する理由としては、以下の二つの事が考えられる。第一は、政府が開発されるシステムの主要なユーザーである場合である。例えばエネルギー供給を確保するとか、環境を保全するというようなミッションについては国に責任がある。政府はその開発により便益を受けるので、その費用を負担すべきである。しかし、先進国ではこれらの活動の多くが民営化されてきており、政府がこれらの開発の唯一の主体であることには、またそのため大量
の資金を使うことには疑問が出てきている。第二は、基礎技術を開発する大規模な国家プロジェクトが、民生技術分野に対して波及効果
(スピン・オフ効果)を持つことである。しかし、技術革新の研究者の間には、そのスピン・オフ効果
は期待されているよりはるかに小さいという合意が形成されつつある。
この理由は、システムが高度になって政府が要求する調達の内容が、普通
の消費財や工業製品の市場での要求と、かけ離れたものになってきたことによる。兵器が高度にシステム化したため軍事技術の開発過程が、R&D(Research&Development)からR&D&T&E(Research&Development&Testing&Evaluation)へと変換しているといわれている。民生技術へのスピン・オフに関連があるのは、前半のR&Dだけである。後半部分のT&Eは、兵器システムに特有な試験・検査と、兵器の技術評価に限定されているため、民生技術との共通
点は少ない。しかしそのコスト分布を見ると、ほとんどの資金が後半の試験や評価に振り向けられるようになり、スピン・オフ効果
が期待できる前半の研究開発への配分は相対的に少ない。このような事実は、国家研究開発の在り方を新しい観点から見直す必要があることを示唆している。
この具体例として宇宙開発を見てみよう。世界の宇宙開発は1980年代に入って、スペースシャトルの運行開始、アリアン・ロケットの商業打ち上げ開始、国際宇宙ステーションの開発計画等に見られるように、その活動の多様化、国際化、グローバル化が顕著になってきた。この分野に多大な政府資金が投入されている点は各国とも共通
しているが、その主たる目的が、軍事分野から民生分野に移ってきたことが最近の特徴である。この流れは、宇宙技術にこれまでとは違った特質を要求しつつある。その一つは激しいコスト削減の要求である。民生分野の場合、多くの同業者との競争に打ち勝ち需要を開拓していくためには、コストの低減がまず求められる。
日本の宇宙開発の場合、もともと軍事需要と関係が希薄であるという点で、従来のスピン・オフ効果
とは異なる現象が見受けられる。これらはスピン・オフとは逆の形としてスピン・オン効果
と呼ばれる。すなわち、宇宙以外の民生分野に先端的技術があり、これが宇宙分野に取り入れられて宇宙技術を進歩させるという形態である。
日本の場合、宇宙産業の規模が小さく発展の時期も他の産業分野に比べると遅れていたため、外国からの技術導入を除くかなりの部分がスピン・オン技術であるといえる。例えば、地上系のマイクロ波通
信システムは通信衛星の通信技術に利用されているし、LNGタンクの断熱技術はロケット用極低温推進薬の断熱に利用されているし、自動車の防振ゴム技術は固体ロケットの可撓ノズルにといった具合いである。これらのスピン・オンは、外国からの技術導入の時代には少なく、最近の自主技術による大型ロケット・大型衛星の開発にともなって多くなっている。またその技術分野も、日本が民生分野で顕著な進展をみせているマイクロエレクトロニクス関連の分野が目立っている。
民生技術をそのまま宇宙に適応させることは、従来、困難であるとされてきた。しかし、民生技術の進歩が速くその性能が非常に高度なものになった場合には、宇宙技術に大きなインパクトを与えると考えられる。そしてこの流れは、宇宙の商業化およびそれを可能にするコストダウンに合致するものであり、宇宙開発技術の進め方に新たな道を示すものである。日本はこの分野で、新たな技術パラダイムを示すことができるかもしれない。
このような状況下、国が果
たすべき役割は何かという問いに対して、産業の技術革新の分析を通して、アバナシーは技術革新には二つのパターンがあることを指摘している。一つは、技術革新の初期に見受けられる「流動的」パターンであり、もう一つは、その後期にみられる「確定的」パターンである。技術革新の初期の段階においては、性能評価と技術の選択の双方に於て、全ての事が流動的である。したがってこの段階における主要な任務は、性能基準とこの基準に合う技術的アプローチを確定することに関する「不確実性」を削減することである。
例えば、1960年代に行われた超音速旅客機(SST)の開発経過を分析したネルソンは、次のような結論に達している。すなわち、開発計画が費用・効果
の点で良くなかっただけでなく、提案された政府の補助の形式が賢明な方法でなかった。
彼は以下のように分析している。これらの提案の基礎となったモデルはマンハッタン・プロジェクト方式(第二次世界大戦中に原子爆弾を開発した国家主導のプロジェクト)であった。そのスタイルは、特定の技術的オプションに大きな早すぎる「賭け」を行い、大変に高いコストでこれを無理して強行するというものであった。更に重要なことは、初期のこの「賭け」の成功率は非常に低かったにもかかわらず、またこれが良い「賭け」ではない証拠が明らかになってきても、このゲームプランに固執したことである。失敗の核心は、特定の設計にあまりにも早く政府の資金を供出することをコミットしたことである。超音速旅客機のケースで、もし研究開発費がボーイング社自身のものであったら、「可変翼SST」という設計にあれだけ長く固執したかは疑問である。ここに、国が果
敢に技術開発プロジェクトを支援するときに陥る「落とし穴」がある。
したがって国が巨大技術開発を進めるとき、性能評価基準の定式化が必要である。すなわち、求める技術について、進むべき方向が流動的で選択の余地が数多くある初期段階においては、不確実性を削減するプロセスとして、試行錯誤を通
して最適の技術オプションをみつけだしていくプロセスを定型化することである。そして、どの解決法が正しいかが確かになるにつれて、その「探索空間」を狭めていくことである。
これによって、スピン・オフ効果
という疑問の多い概念を使わずに、国家主導の研究開発活動の存在意義を示すことができるのであり、また、この定式化により政府と産業との分業体制の在り方について、明確な概念を提供することができるのである。
次に、国はある特定分野について、いつまで開発支援を続けるべきなのであろうか。この点は国として技術政策を管理する上で重要な問題である。この点を計測する手段としては、情報科学の分野で開発された「エントロピー」という概念を使用することで可能となる。
「エントロピー」の大きさを求める技術の「不確実性」の大きさと考えれば、未開拓分野のエントロピーは高く、プログラムが予期した通
りに進展すれば、エントロピー値は徐々に下がり、最後にはプログラムを終結することができる。しかし、予期せぬ
でき事が発生したりすると、どの技術が新しい性能基準を満足するかが不確実になり、そこでエントロピー値は再び上昇する。言い換えれば、エントロピー値はプログラムの実行と供に低下していき、これにともなって技術革新のパターンは流動的なものから、確定的なものに移転していくのである。
国の研究開発プログラムは、一般
的に二種類に分けることができる。一つは「ミッション型」でその任務が規定されており、十分に定義されているプログラムである。例えば、「環境保護」などがこれにあたる。もう一つは「ジェネリック型」であり、典型的に多目的であり、ネットワークの形成や、インフラの構築、技術的知識の普及などを主要な目的にしている。例えば、「情報処理」などがこれにあたる。
エントロピーの関係でこれらを見ると、「ミッション型」プログラムにおいては、その目的が問題=解決であるため、減少するエントロピー値はプログラムが成功している兆候である。一方「ジェネリック型」のプログラムにおいては、その目的が可能な技術をできるだけ広く探索することにあるので、増加するエントロピー値がプログラム成功の兆候である。「原子力開発」、「宇宙開発」、「海洋開発」などはこの二つのプログラムの混合形であるので、これらのエントロピーの動きは、増加型と減少型の組み合わせになる。
このようなエントロピーの動きから、エントロピーの動きが停止したときが政府の支援を止める時と考えられる。「ミッション型」のプログラムでは、エントロピーの減少が停止したときであり、「ジェネリック型」のプログラムではその上昇が停止した時となる。中間型のプログラムでは、そのエントロピーが変動する可能性がある限り、支援を続けるべきであろう。いずれにせよ、エントロピーによる計測は、支援をいつ止めるべきかの政府の意思決定に対し、強力な分析手段になるであろう。
(3) 国際協力および途上国援助
英国が科学技術政策研究の中心であった理由は、産業革命以来の技術開発の事例が豊富であったことである。アメリカがその中心であった理由は、国家が積極的に関与した、原子力開発や航空・宇宙開発の事例が豊富にあったことである。
さて、なぜ科学技術の中心が日本へ移行しつつあるかといえば、マイクロエレクトロニクス等のいわゆるハイテク技術の出現を無視することはできない。しかも、ハイテクにおける技術革新のプロセスは、従来の技術革新のそれとはかなり異なる。そこで、日本の最近の技術開発の事例を研究しなければ、科学技術政策研究の新しい分析、枠組みを提示することができなくなってきている。日本としても、ハイテク時代の技術開発の事例は、日本に豊富に存在すると言うことを認識すべきである。日本の貴重な経験は、分析対象として世界の研究者に国際公共材として公開されるべきである。日本に、このような方法による科学技術における国際貢献という道が残されていることは、もっと認識されても良いのではないだろうか。
最近、〔センター・オブ・エクセレンス(COE
Center of Excellence)〕という言葉が話題になることが多い。今日、日本はもちろんのことヨーロッパで活躍している電気通
信関係の学者は、東大卒やMIT卒ではなく、ベル研究所卒であるといわれている。このことは、エクセレントが科学者がいてもそれが各所に散在していては、COEになり得ないということである。すなわち、エクセレントな科学者が一か所に終結して始めて、世界にとってCOEとして目に見えるものとなるのである。それを実現する手段としては、研究者の〔流動性〕を高める以外に方法はない。
技術革新の初期に特有な不確実性や流動性を解決する唯一の手段は、異質な発想をする研究者をぶつかり合わせることである。したがって、技術革新の初期において日本が世界に大きく貢献するためには、異質な集団をいかに組織化していくかという、従来の均質化が求めた組織から脱却して、新たな問題に直面
せざるを得ないのである。
現代の地球社会が抱える諸問題を解決するためには、我々は今後どのような新技術文明を創造していくべきか。そこで、南北問題と東西問題について科学技術の関与の在り方について考えてみたい。〔ハイテク〕というのは一つの技術概念であるが、上記の問題の解決策を考える際には、それぞれに新しい「技術概念」を作りだして行かなければならない。
南北問題を考えるとき、発展途上国の自律的成長を可能にする「自律・分散型技術」という概念を提唱したい。従来は、南北問題を解決する手段として「適性技術」という概念が吹聴されてきた。これは、途上国の諸事情、すなわち受け入れ側の技術レベルがそれほど高くなく、産業基盤も整備されていない。また国民も豊かでないことを勘案し、途上国向けには先進国が持っている最先端技術ではなく、レベルを下げたものを適用すれば良いという考え方であった。
実際にいくつかのプロジェクトが試みられたが、そのほとんどが失敗した。すなわち、インフラという巨大なシステムが整備されていない途上国においては、要求される技術仕様は先進国のそれよりずっと厳しいのである。厳しいものに対しては、より高度な技術をもって始めて解決できると考えるのが技術の論理である。
巨大なインフラを持たない途上国では、自律・分散的なシステムを提唱しなくてはならない。この技術概念を具現化する例として「太陽電池」を考えてみよう。途上国の問題は都市ではなくそれ以外の地域にあり、そこで農業や産業が自立できないことである。その典型的なものは、エネルギーの供給が不足していることである。エネルギー供給システムを先進国がやったように構築していくと、膨大な費用と時間がかかってしまう。ところが太陽電池による発電は大規模な送電線を必要とせず、太陽の光がある限り電気が得られる。このようなハイテク技術を農村で適用することにより、途上国が持っている基本的な問題を解決し得るのである。
次に「通信衛星」を考えてみよう。途上国に於て先進国のような巨大な有線ネットワークが必要だろうか。例えば、中国で有線ネットワークを考えれば、完成までに何年かかるか見当もつかない。しかし、通
信衛星ならば巨大な有線ネットワークは不要である。衛星の打ち上げには巨大技術が必要であるが、地上の大規模な有線通
信システムと比較すれば自律・分散的技術であるといえる。インフラのない状態から工業化を行う場合に、必ずしも先進国の技術体系を踏襲する必要はないのである。
経済性についても、太陽電池の例で分かる通
り、先進国では既にインフラが確立されている技術と競争しなければならないので、コスト高になってなかなか普及されない。ところが途上国においては、インフラを整備することを考慮してコスト比較すると、結局安いものになる。技術の需要という意味においても、非常に合理的なのである。
東西問題については、技術はどんな役割を果
たしたであろうか。第二次世界大戦後の歴史の中で、民衆が解放されたという最近の事件を技術論の立場から分析すると、その影には必ず日本の情報技術があったという解釈ができる。イラン革命は日本のカセットテープがもたらした革命である。この時は、ホメイニの声が神の声であり、彼の肉声を小集団で聞けることが基本であった。フィリピン革命は、日本のVTRが可能にした革命である。マルコス政権が民衆を抑圧している映像が外国から持ち込まれ、もう隠しようがなくなったのが決定的であった。また、中国の天安門事件はファクシミリ革命であると考えられる。中国の国際化の進展に伴いホテルにだけ設置されたファクシミリに、世界各地の中国人が刻々と情報を送った。これらのでき事は、技術の大衆化が、結局は民主化に貢献することを証明した事例である。
マルクスが提唱した計画経済体制は、全ての情報が中央政府に集まることを前提としていた。しかし、この理想を実現する技術的手段は存在しなかった。一方、全ての情報が、中央政府に把握されることは不可能であるとの前提で造り上げられた政治体制の為、アメリカにおいてコンピューター技術は革新的に進んだのである。共産主義の理想を実現する技術的手段が、それを最も必要とする体制の側ではなく、それを否定した体制側で発達したということは、ここにも歴史のパラドックスがあることを我々に知らせている。
(4) 日本が今後果
たすべく役割
日本にハイテク技術の成功例が多くあり、そこから世界に向けて何を発信すべきかという点について、私の経験から話したいと思う。
まず世界は今、技術については相互学習の時代になったと思う。そして相互理解を深めるために、ある概念を普遍化するということが非常に重要になる。アメリカとの関係で自分の経験を振り返ると、日米で行ったり来たりすることが、結局、普遍化のテストになった。ここで言う普遍性という意味は、例えば、自動車のかんばん方式といっていた時代は、アメリカとしてはその概念がよく分からなかった。ところがアメリカのMITでそれを分析したら、結局生産システムをリーン(Lean)にする、要するに脂肪分を落とすことだと理解した。
リーンの方法としては、かんばん方式の様に部品在庫を極力持たない方式もあれば、部品点数を減らすのもリーンであり、クライスラーはそういう形で再生してきた。逆に日本もかんばん方式をずっとやってきて、それが手段であることを忘れている所がある。かんばん方式が目的化されれば当然限界収益は少ない。そこで、言葉だけの話でなく日米で共通
の概念化、すなわちユニバーサル・タング(Universal Tonge)という言葉を作ることによっておたがいに学ぶことができる、それが考えていた以上に重要である事が分かったのである。
技術の概念化を行うという事で、まず私は英語でこれに関する本を書いた。方法としては、ケーススタディーを使うとともに、なるべくデータを使って、数学的に、計量
的にやってみた。それは、数学とか計量が、共通語であると考えたからである。それから世界にとっての共通
語の英語である。その後に日本語に翻訳してみた。そのうちにバイリンガルでもやってみた。このように色々とやってみると、普遍性を担保にするには、色々な角度から色々なことを実行して、多面
的にチェックする必要があることが分かってきた。
この延長線上で、こんどはアメリカに行ってこの本をもとに講義をした。学校はハーバード大学のケネディスクールとスタンフォード大学の工学部で、受講者は大学院生であった。講義が良かったかどうかの一つの指標として、どれだけ学生が集まったか、どれだけドロップアウトが少なかったかというのが一般
的な見方であり、両方とも40人程度の人間が集まり、ドロップアウトが非常に少なかったという結果
から見ると、こちらの説明した内容を大体理解してくれたのではないかという心象を得た。
そして私がハーバードを去る時、私の書いた本に対する書評が出て、これはちょっと褒めすぎだと思うが、「彼はアメリカにとって日本のデミングだ」、要は逆にデミングだと評してくれた。この意味するところは、私の説明したハイテクのパラダイムの概念が、色々な形で測定され、そこから出てきた概念のため、例えば、テクノロジー・フュージョン(Technology
Fusion)という言葉が、R&Dのマネージャーやワシントンのサイエンスボリシーの政策立案者が、自分達が直面
している問題を語ろうとするときに使える言葉であるということを言ったのだと思う。
この例のように、言葉の概念が明確になっていないとその言葉で政策の立案ができない。例えば、技術融合という意味は、オプトエレクトロニクスやメカトロニクスで、異業種の技術が融合することによって新しい分野をつくっているというような意味だが、そうだとするとそこには政策のやり方がある。そういう技術概念をもとに色々な議論ができるというのが、この書評の意味する所だった訳で、まさしく二重三重で共通
語とともに、政策立案、議論するときに使える概念が必要であるということをこの経験から知らされた。
そして昨年、3か月程の日程でスタンフォードに帰ってみると、学生達が私の講義をもとに、パラダイム・シフトの一項目ずつ、アメリカ企業で成功しているのも同じ説明ができるのではないかと検証していた。これらから命じた訳でなく彼らが自主的に取り組んだのである。そして作業を進める中で、ある言葉は新しい言葉に置き変わっていく。彼らにやらせることにより、より普遍的な概念が出てくるのではないかと思う。アメリカで実際に教えてみると、英語で書けばいい、あるいは数字を使えばいいといったことだけではないことがよく分かる。
最後に、日本でやったことを共通
語で語ることは、日本の責務、あるいはそういう責任を世界に負っているのではないかと思う。そしてこのような概念化がなければ、日本で成功した慣行、実例は世界に伝わらない。技術の世界では、明治時代に多くの訳語ができているが、これにはなかなかの名訳が多い。これは、和魂洋才というか、しかるべき人が欧米の実例を見て、そのエッセンスを日本語にしっかり作り直したからだと思う。したがって、お互いに学ぶためには、どうコピーすればいいかではなく、一つの仲介変数がいる。それが概念化ではないかと思う。
−おことわり−
冷戦後の世界は多極化、多価値化の方向に進むというのが一般
的な見方である。そして文明間の相互理解が重要との意見も理解できる。しかし、具体論としては脆弱な感がある。一方、このような状況下にあるだけに、多極化した世界を結ぶものとして、「技術」が果
たすべき役割が非常に大きいと思われる。しかし、先のシンポジウム「21世紀文明とグローバルシステム」では、時間的制約もあり、この点に言及することはあまりできなかった。したがって、本稿は技術の重要性を認識してもらい、先のシンポジウムを補完する意味で作成した。次号掲載予定の「シンポジウム開催報告」と合わせて読んでもらえば、掲載の意図はより明確になると思う。
また、本稿は委員会の講演者である児玉
委員(東京大学先端科学技術センター教授)の了解を得て、よりこの分野を幅広く知ってもらうため、講演内容に委員の著作「ハイテク技術のパラダイム」の記述を一部加えて作成した。編集に当たっては、児玉
委員から適切な助言をいただいた。この紙面を借りて感謝の意を伝えたいと思う。