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1995年6月号

阪神大震災と環境保全

-都市再生に向けての視点-

立命館大学政策科学部教授
宮本憲一


 1995年1月17日午前5時46分、戦後最大の災害が阪神地区に発生した。この震災は、戦後の都市づくりの欠陥を徹底的に明らかにしたといってよい。とりわけ重要なのは、都市における自然環境の保全と共存が、都市の安全の基本であることを教えたことである。

 神戸市の都市経営は、六甲山系の山を削り、その土で人工島に都市をつくり、同時に山間部にニュータウンを造成し、それらの土地の売却益で市財政をまかなうという方法を基本としていた。神戸市は税収入が少ないので、何らかの方法で他に財源を求めないと補助金依存となって、地方自治が守れない。一種の自衛策もあって、このような公共ディベロッパーといわれる不動産業に重点をおいたといえるかもしれない。また、自治体行政が経営の理念を持つことは悪いことではない。しかし、瀬戸内環境保全法で、原則として埋め立てが禁止されているような状況の下で、このような大規模な自然破壊が許されてよいことではない。

 災害による埋立地の危険は、すでに長い間指摘されてきた。液状化現象といわれる地盤沈下の問題、人工島と本土を結ぶ橋の切断による孤立化の問題、コンテナ埠頭や事業所と住民が混在するための災害拡大の問題など、いずれも専門家から警告されていたが、それらが、今回の震災ですべて実証されてしまった。震災後、三か月近く経過したが、まだ大衆の足であるポートライナーの復旧のメドはたっていない。神戸が世界に誇ったコンテナ埠頭は崩壊し、復旧しても、もとの隆盛を取り戻すのは難しいといわれている。以前、市は、新神戸駅の近くにあった市民病院の用地をダイエー系のホテルに売却し、ポートアイランドにそれを移転させた。しかし、今回この市民病院は、震災によって交通 が途絶したため、全く機能できなかった。自然の破壊が、自然の復讐をよぶことが実証されたといってよい。

 1991年1月、ベニスに本部がある国際水都センター主催、イタリア政府後援の第2回水都国際会議が開かれ、私も総会の議長をつとめた。この最終日の総会で、日本の東京、大阪、神戸などのウオーターフロントの開発が厳しく批判された。地球環境保全の時代に、日本の大都市が大規模な埋め立てをするのは誤りだというのである。もちろん欧米においても、ニューヨーク市のバッテリー・パークのように埋立てが行われていたり、また、ロンドンのドック・ヤードのように大規模な再開発が進んでいる所もある。しかし、近年では、ウオーターフロントの開発は、住民と海、あるいはウオーターフロントとの共生、自然の保全と再生が主要な課題となっている。たとえば、サンフランシスコ市のミッション・ベイの開発では、バッテリーパークのような超高層ビル群による事業所地域の建設という初期の構想を住民参加によって改め、海浜近隣地区つまり親水都市をつくることにした。この計画では、埋め立てはせず低層の住宅地域を中心にして、すべての住民が地域内では自分の足で交通 して、容易にウオーターフロントの公園を利用できるようにした。また、事業所は最高8階までの中層にして、できるだけ海から遠い場所に建てることにしている。サンフランシスコ湾ではミティゲーションといって、埋立てした場合、同じ面 積の自然海岸の回復をおこなうことが義務づけられている。この傾向はヨーロッパではもっと進み、イタリアのラベンナ市などでは、干拓地をもとの海に戻す事業が進んでいる。

 まさに地球環境時代には、災害があろうとなかろうとに拘らず、日本のような大規模な埋立ては許されないのであり、むしろ自然の回復が望まれるのである。このための土地がないわけではない。たとえば、兵庫県内の工場地域などに、500m2の遊休地が約1100ヘクタールもある。無いのは自然である。

 神戸で起こったことは必ず、東京、大阪あるいは名古屋などで起こるといってよい。大規模な自然破壊は中止すべきである。それよりも、いま必要なのは自然の保全と回復である。ドイツの都市は平均して、30%の森林、農地などの緑地を持っている。ベルリンにみるように中心部にティアガルテンの森林公園、郊外部にも壮大な森がある。全国で50万区画に及ぶ市民農園があり、その1区画は240〜300m2の面 積を持つ。その規模は、日本に較べて数十倍から100倍であり、電気、キッチン・便所のある小屋を持ち、花卉、果 樹、野菜の三種目の栽培が義務づけられている。これは市民の食料を自給すべきだという考えからきたものだが、市民の日常のリクレーションともなっている。このバラなどの花で包まれた市民農園が都市を囲んでいるので、ドイツの都市は美しい。

 私は超耐震都市を鉄とコンクリートでつくるよりは、緑豊かなヨーロッパのような都市をつくることが、環境保全と防災を両立させ、かつ人間の住むに値するアメニティある街をつくることになると考えている。自然の保全と再生の都市づくりをすることが阪神大震災の教訓なのではないだろうか。