「戦後50年」を考える
−相互理解への再出発--
青山学院大学国際政治経済学部教授
天児 慧
「戦後50年」が国会、マスコミ、学会、教育界、市民レベルで議論されている。そして6月9日、各政党間で文言の帳尻合わせに奔走した挙げ句、裏では別
件(証人喚問)との取引材料にも使おうとし、更に与党3党の衆議院本会議における強行採決という醜態を演じながら、この問題を「決着」した。しかし、この様などたばた騒ぎで当の政治家たちも、まさか戦後問題に「けじめがついた」と思っているわけではあるまい。
私個人としては、戦争を直接体験していない世代ではあるが、この歴史の節目を厳粛な気持ちで迎えたかった。そして、歴史を背負う日本人として「何か」を確認しつつ、国際社会、とりわけアジア諸国へ向かってわが国が、真摯に過去を反省し、未来を見すえ人類の平和と不条理(貧困、環境破壊など)の解消に向かって、強い意志を示す絶好の機会であると考えていた。
自民党や社会党あるいは新進党にも、それぞれ「お家の事情」があることは理解できる。遺族会などの言う戦争で肉親を失った人々の「痛み」が分からないわけではない。しかし、戦後50年を経て、なお日本人としてあの戦争への共通
認識を持つことの出来ていない事実、やれ「侵略戦争だ」「アジアの解放戦争だ」といった言い合いを繰り返し、あるいは文言のつじつま合わせにうつつを抜かすことが、どれほどのマイナスイメージを国際社会に与えたことであろう。案の定、海外からの政府、マスコミの声は「国会決議」に対して冷やかな反応を示している。
今日の日本人が歴史的な問題を考えるにあたって、特に以下の3点を心掛けることが重要であろう。(1)日本人同士が、コップの中の争いをいつまでも続けるのではなく、近現代史における共通
認識を深めるよう相互に努力すること、(2)アジアの人々の声に謙虚に耳を傾け、少しでもアジアの人々と歴史を共有できるよう、相互の学術的、市民的なコミュニケーションの交流、文化交流を進めること、そして(3)「歴史」を風化させることではなく、人類に多大な不幸をもたらした悲劇として教訓化し、戦争を知らない若い世代に伝え、人類のよりよき明日への礎とすることである。
考えてみれば戦後半世紀も経て、日本人の間で歴史を共有できていないこと自体驚くべきことであり、情けないことでもある。私はこうした状況に一石を投じ、少しでも共通
認識を深める材料を提供しようと思い立ち、最近拙著『日本の国際主義−20世紀史への問い』(国際書院)を公にした。明治維新以降、今日に至る国際社会との関わりを概観しつつ、「歴史のパラドックス」という発想と構造分析を基本的な手法として、「大東亜戦争」、また奇形化した戦後処理などの構図を描いてみた。
歴史のパラドックスという発想を使えば、「解放か、侵略か」といった二者択一的なものではなく、「解放を目指したが故に、侵略となった」状況を想定することは可能である。あるいは、事態の因果
関係を、単に「好戦的な軍国主義者」という「悪玉」の仕業に還元するのではなく、構造的に明らかにすることによって「結果
責任」という立場を確認することが重要であると思われる。
では、アジアの人々と歴史を共有するためには、どうしたらよいのだろうか。手前みそであるが一つエピソードを紹介したい。6月の初め、またしても渡辺美智雄元副総理の「日韓併合は円満になされた。韓国統治は植民地統治ではない」との発言に物議をかもしており、韓国のKBSテレビの東京特派員が私を訪ねてきた。この事件に対する私のコメントをニュースに取り上げたいとのことであった。何故私なのかと尋ねたところ、彼は上記の拙書を読みたいへん感銘を受けたと述べ、ぜひ私の見方を韓国の人に伝えたいと語った。
そこで、望外の喜びと同時に、どういう点に感銘したのか知りたくなり、更に尋ねてみたところ、「先生の解釈は大変客観的です。韓国の人間にとっても、歴史は一面
的にしか教えられていませんから、この本から学ぶところがたくさんあります。また、日本人の心情、考え方を理解する上で参考になります」との返事が返ってきた。「客観的」という言い方はやや以外であったが、日韓関係においてしばしば感情が先行し、お互いの不信を増長しがちな点を考えるならば、このことは極めて重要であろう。韓国の若い世代にも、冷静に日韓関係を見つめ直そうという機運が生まれているのだろうか。
むろん、そもそも主観的な存在である人間が、純粋に客観的になれるはずはない。しかし、客観的冷静に相手や自己を見ようとする態度は、相互理解を進める上で、熱烈に友好を歓迎し合うこと以上に重要であるかもしれない。それこそ広い意味での文化交流の原点であろう。戦後50年を迎えるにあたって、改めて近隣諸国との新たな信頼関係を築くスタートとして、この時を受けとめたいとの思いである。