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ニュースレター
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1995年11月号 |
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変容する中国と今後の展望青山学院大学国際政治経済学部教授 はじめにここ数年来、ポスト亭脳・燭涼羚颪鬚匹里茲Δ帽佑┐襪・箸いμ 簑蠅蓮・蝙氈ネ胴顱・畊舛覆廟こΤ特呂農垢鵑傍掴世気譴討C拭・覆次・羚颪・海里茲Δ肪輒椶鰺瓩咾襪茲Δ砲覆辰燭里・・垢覆錣繊・8年末より近代化路線へ大きく方向転換し、国際社会との積極的な関係改善や相互依存関係を深め今日に至った結果 、中国は経済的に巨大なパフォーマンスを潜在した国と見なされるようになった。21世紀初頭に、香港・台湾を含む中国経済が米国を抜いて世界のトップとなるとの観測もあるほどである。 さらにソ連・東欧社会主義の解体、冷戦の崩壊を横目に80年代後半より着々と軍の近代が、軍事力の増強を続け、それ以前から進めていた独立自主外交政策と合わせ、外交・安全保障面 で米国の意にならない巨大なパワーを保持しつつある。最近の南シナ海での領土領海をめぐる中国の強気の姿勢、また米中関係の緊張、繰り返される核実験などは、国際社会に中国脅威の存在感を与えつつある。同時に12億に達し、かつ毎年1500万人前後の増加を続ける中国人口の世界に与える圧力は、経済・社会のみならず政治的にも軽視できないものとなっている。 「富強の大国」を目指す中国は21世紀にどこまで膨れ上がるのか、本当に米国を抜いて世界最大の経済大国になるのか、中国脅威論はどの程度まで真実味があるのか。あるいはこうした膨張するパワーとは逆に、とう小平以後も共産党独裁体制は続くのか、政治的な大混乱は発生しないか、香港・台湾問題は国際社会の不安定を引き起こさないか、さらには既にさまざまな矛盾を露呈している経済の近代化は本当に成功するのか、といった問いが次々と沸き起こってくる。 私はこうした中国の現状や将来を考えようとする場合、単に表面 に現れた政治・経済・社会現象、とりわけ中央の権力闘争、経済問題、公式的な経済・外交政策などをつなぎあわせて、憶測的に論じることに賛成しない。おそらく中国という国を正しく理解しようとするならば、とてつもない広さと長い歴史の中でつくられた文化や多様な社会構造などを踏まえながら、ある一定の枠組みをもって分析していこうとするアプローチが不可欠であろう。そうでなければこの国は全体像を浮かび上がらせてくれるようなことはない。ここでそうした枠組みを厳密に提示していくような紙面 的余裕はない。(1)したがって一応現代中国を構造的にみる視覚を指摘するにとどめておきたい。 1.現状を理解する5つのポイントまず数千年という長い歴史と地理的、自然的制約の中で形成されてきた容易に変え難い中国固有の基本的な特徴を確認しておく必要がある。ここではそれを第一に「3つの大」として、第2に地域的多様性として指摘しておきたい。第1の「3つの大」とは、1)世界で群を抜く人口規模の大きさ、2)約960平方キロで世界第3位 、ヨーロッパ全土に匹敵する土地面積の大きさ、および3)権威的な階層性のもとに同心円的な広がりをもつ秩序観や「大一統」(統一を尊ぶ)といった中華思想にみられる大きさの3つである。 これらは中国のさまざまな現象、試みに強く作用し制約している。例えば、人口の大規模性は「一人っ子」政策をとらせたり、大量 の食と職を保障しながら近代化を進めなければならないといった拘束性をつくり出している。また面 積の大規模性は、それを統合するための巨大な統治機構、統治イデオロギーなどを必要とするようになる。あるいは伝統的な中華思想の考え方は、外交的な中国の態様に一定の影響を及ぼしているように見える。 第2の地域的多様性については、亜寒帯から熱帯地域、湿地から乾燥地域、山岳から平地を含んだ自然、多民族構成、衣食住・生活習慣などの多様性を基底にしながら、都市と農村、沿海と内陸、エリートと庶民など社会・経済・文化的な多様性のもつ意味の大きさがある。これも例えば統治という視点から考えれば、毛沢東やとう小平といった強大な権力者と一党独裁の強力な統治が存在したからといって、底辺や周辺まで有効に統治が機能することは容易ではなかった。また政策の浸透も困難であり、中国は1つの色で描いてしまえるほど単純な政治動態ではなかったが、そうした主要な背景に地域的多様性がある。 第3のポイントは、建国以来中国の政治、経済、社会生活の中軸に位 置していた共産党の統治の大きさである。何はともあれ共産党のプレゼンスは圧倒的なものである。例えば共産党員総数約5500万人は全人口の約4%を占め、しかも300万人余りを擁する世界最大の軍……しかもこれは基本的には共産党の軍である……、および党の下部組織としての共産主義青年団、婦女連合会などの大衆組織が党の統治を支えている。 共産党系以外の政治組織としては、中国民主同盟、中国国民党革命委員会など8つの民主党派があり、全国人民代表大会や人民政治協商会議などで活動しているが、その規模は総数100万に満たないもので、かつ共産党の指導を受けることを公然と認めており、共産党の対抗勢力にはならない。これ以外の非共産党系の活動としては、1978年の「民主の壁」運動、1989年の天安門事件での民主化要求運動などがあるが、組織は弾圧を受け、指導者は逮捕もしくは亡命を余儀なくされ、共産党に代わり得る統治組織は皆無といってよいだろう。ただし、軍が共産党に代わり得る行動をした場合は別 であるが、今日そうした状況を想定することは困難である。 このように共産党の存在は強大である。が、そのことで中国の統治に問題がないと言い切ることはできない。それは何よりもこの巨大な共産党自体に「揺らぎ」が始まっているからである。第1の揺らぎは改革開放路線の推進の中で、経済活動優先、自主権の拡大などによって下級組織が勝手な行動をとり始め、あるいは党活動を放棄し金儲けに走り、党組織が機能不全に陥るなど、中央の統治能力、政策浸透力が低下し、さらには脱イデオロギー化が進み思想的な統制力が弱まってきたことである。「上に政策あれば下に対策あり」の有名な言い回しがそれを物語っている。 第2の重要な揺らぎは党の正統性をめぐるものである。改革開放の推進は社会階層、利害・価値観などの多様化を生み、さらには脱革命世代の社会的な割合が増大し、人々の中に共産党離れが進行している。こうした中で、これまでのアプリオリに党の指導を正統化していた革命・解放闘争の経験や成果 が絶対的な意味をもたなくなりつつあり、さらには国民主権を具体的に体現する手続きの形成を求める声も表面 化してきた。共産党は今後益々自らの指導性に関わる正統化の新たな根拠をつくりだす必要がでてくるであろう。 第3の揺らぎは、改革開放の推進がさまざまな利益を生み出していったが、その分配をめぐる社会の法制度が不備なため、党幹部やそれに近い人々に不当に富が集まるといった特権、腐敗の構造が形成され、それに対する社会的不満が強まり、党の統治に対する批判を強めたことである。「今日の中国社会病理のうち、国民が最も関心を抱き、最も不満を抱き、最も改善の困難な問題は腐敗である」との指摘がなされるほどである。(2)このように中国社会における共産党を考える場合、その巨大なプレゼンスと「揺らぎ」の両側面 から把握する必要があるのである。 さて現状を理解する第4のポイントとして、この間のそしてこれからも歩み続けるであろう基本的な中国の方向性、すなわち近代化建設、改革開放路線を確認しておかなければならない。近代化および改革開放路線は、第14回党大会において「百年は不変である」との強い意志が表明された。それはさておき、客観的にみてもこの路線は主に以下の3つの理由によってすでに不可逆の潮流になったと判断してよいだろう。 第1の点は今日の社会主義市場経済論の到達は、十数年の歳月を通 した理論化過程の結果生み出されたものであり、その意味で理論的蓄積が深いということである。そのプロセスは1978年の党第11期3中全会において、革命継続から経済建設重視、近代化への転換を実現し、1979年に対外開放政策をとり、1984年に社会主義商品経済を提起し、1987年には包括的な歴史段階としての社会主義初級段階論が提示され、生産力の開放、商品経済の発展の必要が正当化された。さらに1988年に沿海地区開発発展戦略、1991年の全方位 開放戦略が打ち出され、それらを踏まえて社会主義市場経済体制の確立が目指されるようになったのである。 第2の点はこの近代化、改革開放路線の歩みは、社会の構造的な変化を生み出してきたということである。農村では人民公社の解体、家庭請負生産責任制の普及、郷鎮企業の急速な発達などによって、農民の階層分化、流動化、意識の多様化などが進み、都市では私営企業・商店の発達、外資企業の参入、市場メカニズムの拡大といった形で経済の構造変容が進行した。無論依然として基幹産業における計画経済システムがあり、また国営企業の改革も十分な進展を示していない。しかしこれらの変容はもはや後戻りすることはないだろう。 第3の点はこうした近代化、改革開放路線の推進が、程度の不均等性はあれ基本的には中国の多くの人々を受益者層としていることである。先富論は確かに突出した豊かな地域や豊かな個人を生み出した。しかし、内陸部、農村や国境地域においても、改革開放の波は押し寄せ、少なくとも以前に比べていささかなりとも経済水準は向上しているのが一般 的であろう。もちろん今後もこうした上昇傾向が不断に続くとは言い切れない。しかし、少なくともしばらくの間は不均衡ながらも全体の経済的レベルアップは期待できるものではないだろうか。以上のように理解するならば、近代化、改革開放路線は今後も継続される基本的な方向性と見てよいだろう。 現状を理解するための最後の第5のポイントとして、ここでは、改革開放時代に突出してきた政治経済的な特徴である地方のパフォーマンスの問題を上げておきたい。元来中国における地方は政治的にも経済的にも重要な意味を有していた。(3)しかしとりわけ改革開放時代において、中央がとった地方への分権化政策により、地方は大きな実力をもつようになっていった。分権化の中身としてはとくに、80年代初頭から始まった地方立法権(地方性法規)の付与と地方財政請負制の実施であった。 これらによって地方……主に広東、福建、江蘇、山東など沿海の各省……は豊かになり、多くの既得権をもつようになり、時として中央の政策、決定に抵抗し、事実上反対するような事態も発生するようになった。例えば88年頃には各地は勝手に関所を設け、原材料や製品の他省への流出、流入を規制するといったいわゆる「諸候経済現象」が発生した。1990年12月の党13期7中全会前に開かれた省市責任者工作会議で、中央は慢性的な赤字財政の立て直しのため、中央への企業の納税分の増額を求め、同時にいったん下放した権限の再棄権化を求めたのに対し、地方は強く反対し結局中央が譲歩したといわれる。(4) また1992年には価格高騰の要因ともなった「開放地区建設」ラッシュに歯止めをかけようとした中央の意向を無視して、各地は雨後の竹の子のように開放区を建設した。 これからの中国を考える場合、中央と地方の関係がどのようになるのか、地方自体のパフォーマンスはどの程度のものとなるのか、地方と地方の関係をどう見るのかといった問題が、統治、政策決定、経済バランス、変動の特徴などを見る上でますます重要なファクターとなるだろう。例えば今後の政治体制が権威主義体制に向かおうと、民主主義体制に向かおうと、中央と地方の関係を考慮しなければならないであろう。(5) 以上指摘した5つのポイントは、今日のあるいはこれからの中国の諸現象について考案する場合の常に念頭におくべきものであると考える。 2.短期的展望:ポストとう小平「前後」をめぐる政治動向では不明確な「ポストとうの到来」を仮に1、2年内程度と仮定し、まずその時期の展望を行ってみたい。前述した内容と若干重複するが、これまでの主要な政治経済動向から、基本的に前提として確認できると思われる重要なファクターを以下の5点指摘しておく。
短期的展望のなかで注目すべきイシューとはどのようなものが挙げられるか。第1にストロングマンのポストをめぐる抗争であり、3つの選択枝がある。
第2のイシューとして共産党体制の行方について、ポイントは2つある。
第3に第1と第2を除いた政治社会の安定・不安定について以下の四つの点が重要である。
4.中期的展望……21世紀初頭の見通 し中期展望は、あまりにも多くの不確定要素のなかでの作業である。したがってほとんど予想の域を出ない。ただし現段階で最低限確認できるその時点での重要事実として少なくとも以下の点は指摘できよう。
そこで最後に中期の結論に関する若干のコメントをしておきたい。もし、1979年の中越戦争を上回るような大規模な戦争を回避し、かつ国内に於いて全国的規模の政治混乱が発生しない限り、格差拡大・人口膨張・統治の弱体化などさまざまな矛盾が増大したとしても、21世紀の中国の総合的なパフォーマンスは現段階のそれを確実に上回るとおもわれる。そして、そのことが国際社会にどのような意味、影響をもたらすかは、おそらく国際社会がこうした中国をどのように認識し、如何なる関係を持とうとし、そのためにどれほど真剣な忍耐強い努力を続けるか、これに対して中国自身もどのような対応を示すかにかかってくるであろう。 以下の各論文において、それぞれの角度からこうした問題へのアプローチが行われることとなろう。 注
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