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ニュースレター
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1996年3月号 |
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地球時代と法意識(財)地球産業文化研究所文化委員 海外で生活する日本人も62万人を数え、また、日本で暮らす外国人もますます多くなっているが、法律や法的手続きの違いを充分に理解していないために、時には深刻な問題になることがある。 しかし大半の日本人は、日頃法律の存在など意識しないで暮らしているのではないだろうか。たまに法律と関わっても、それはせいぜい駐車違反などの交通 関係の法律程度のことであろう。私は長年私立大学の教師をしているが、私の身分がどんな法律によって保障されているのか尋ねられても、正直なところ答えられない。毎日が支障なく終わり給料も毎月きちんと振り込まれるために、そんなことを考えたことがないのである。 確かに、これほど法律に無頓着でも何の障りもなく暮らしていけるのは、幸せというべきかもしれない。しかし、もっと法律に通 じていなければ、問題の正しい理解も適切な対応もおぼつかないと痛感させられるような事件が昨年秋から続いた。 その一つは、沖縄で少女を暴行した米兵の身柄引き渡しに関する議論と、起訴・裁判に関係したものである。日米地位 協定を盾にした身柄引き渡し拒否については多くの報道がなされたが、そのなかには、なぜ米軍側は起訴後に身柄を引き渡せば何も問題はないはずだと考えたのか、反対に日本側はなぜ取り調べのために身柄を速やかに引き渡すべきだと考えるのかをきちんと説明したものはなかったように思う。だから多くのアメリカ人は、日本側の要求を理解できず、日本人は、許し難い卑劣な行為をした悪人をアメリカ側が不当にかばっていると受け取ったのではないだろうか。 アメリカでは刑事事件が発生すると、通 常、ごく簡単な取り調べをし、その結果容疑有りと判断するとその段階で起訴し、それから綿密な取り調べに着手する。一方日本では、公判を維持し有罪判決になると確信した場合のみ被疑者を起訴する。そのためには、限られた拘留期間内に周到な取り調べを終えなければならない。そのため取り調べは9時〜5時の間で土、日はお休み、というわけにもいかなくなる。こうした日米の手順の違いを知らない限り、アメリカ側が、起訴してから充分な取り調べができるのだから地位 協定通り、起訴後に身柄を引き渡すことで何ら問題はないはずだ、と考えたとしても当然であろう。 アメリカに比べると、一般 に日本の方がこの種の犯罪に対する刑量は軽い。そればかりでなく、日本の刑務所の方が安全で、殺人犯のジェフリー・ダーマーのように、刑務所の中で他の囚人に殴り殺されるようなことは、日本ではまず起こらない。したがって、もし米軍の責任者が日本の法律や法慣行に詳しかったら、犯人を直ちに日本の警察に自首させ、被害者とその家族に謝罪させたかもしれない。しかし、現実にはそのようなことは起こらなかった。 むしろ日本の裁判について海外に広く知られているのは、有罪率が90%を越えるという事実である。その結果 、日本で裁かれるとなにがなんでも有罪にされてしまう、と受けとめられている。しかしこれは先に述べたように、公判が維持できるだけの証拠が揃っていて、有罪判決が見込まれるものだけ起訴するのであるから、有罪率が90%を越えるのは当然であって、これは別 に非民主的な裁判で強引に有罪にしているわけではない。しかし、そのような日米の法制度の違いを知らない被告の母親の一人は、日本も陪審員制度をとっているとでも思ったのか、沖縄以外の場所でないと公正な裁判が行われないと主張したと報道された。 こうみてくると、今日これほど人の往来が盛んになっているのに、日本人もアメリカ人も、互いに相手の国の法律や手続きをほとんど知らないことがわかる。その上悪いことには、日本人はあくまでも法は法であって、物事の実際の処理は法にとらわれずもっと状況に即したやり方でよいと思いがちだ。そのため規定通 りに法が適用されると、「血も涙もない」などと不服を言うことになる。 以前私がニューヨークで調査した結果 によると、日系企業で働くアメリカ人女性達が日本人の上司や同僚に対して抱いていた不満の一つは、日本人がアメリカの法律を尊重しようという気持ちがまるで見えないということであった。アメリカでは人を採用する場合、「女性のみ可」と指定することも、年齢で差別 することも違法行為とされている。ところが東京の本社から届く指示には、「女性のみ」と明記されていたり、「35歳以下」と書かれているという。内部告発を心配した女性たちが、これは明らかに法律違反だから止めるようにと何度本社に伝えても、一向に改まらないという。 このような場合に、なぜ本社が真剣に対応しないのかよく分からないが、法律はきちんと守るべきものだと捉えていないことは明らかだ。さらに日本では、こうした差別 が違法行為ではないうえに、法的には米国法人であっても、気持ちの上では日本の会社のニューヨーク支店との思いがあり、日本式で通 用するはずと思い込んでいるのではないだろうか。そもそも日系企業の多くはアメリカにはどのような法律があるのかをよく知らないし、知ろうともしないという。大和銀行事件でも、アメリカで営業活動をする金融機関が当然守るべき法律を、役員が知らなかったというのだから驚く。守るべきルールを守らなかったために受けた傷は、彼らが予想だにしない程深かったのである。法治国家では「規則は規則」なのである。「血や涙」を期待するような甘えは捨てなければなるまい。 |
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