ニュースレター
メニューに戻る


1996年5月号

格闘技とその背景にある文化・社会

東京大学教養学部助教授
松原隆一郎


 世界に散在する格闘技の多くが文化的、特に宗教的な意味合いを担っていることについては、以前から人類学的な指摘(スポーツ人類学。松浪健四郎『格闘技の文化史』ベースボールマガジン社、等を参照のこと)があった。

 例えば日本の大相撲は、起原を朝鮮半島のシルムやモンゴル相撲に遡るとされるが、日本で独自の発展を遂げ、神事として各地の神社の祭礼に定着した。これが現代になると、各種格闘技は宗教色を薄め、スポーツとしてルールその他を整備していくことになる。特にオリンピック競技への採用を目指すものはそうである。しかし、宗教儀礼的な意味を薄めつつも、スポーツとしては大きく逸脱する部分を手放さないでいる格闘技もある。そうした格闘技が根づいて活動するには、相応の社会的・文化的な背景が必要である。

 大相撲においては、力士は様式化された所作を行うだけでなく、(暗黙の)入門規定として髪が黒く大銀杏が結えることや肌が日本人に近いことなどがあり、シンボリズムに発する制約が多く残っている。スポーツ化を進めたにも拘らず万人に参加権を与えないわけで、この数年間、外国人力士の入門は途絶えている。これは、アマチュア相撲が将来オリンピック種目となることを目指して、毎年世界選手権を開催し、広く世界中から選手を招待しているのとは対照的である。こちらは相撲を純粋なスポーツとして規定しているわけで、既に個人優勝はモンゴル人力士およびアフリカ系アメリカ人力士に連続してさらわれている。

 大相撲の場合こうしたことが可能であるのは、国技として認定されて以降、伝統的に「日本」を象徴し、かつ興業としても成功したからであろう。この様な例は、他の国にも存在する。ここではタイのムエタイ(タイ式ボクシング)を紹介しておこう。

 ムエタイはその源流を中国の南方の拳法に辿るとされているが、史書に登場するのは隣国ミャンマーとの白兵戦においてである。著名なのはアユタヤ王朝時代、ミャンマー軍に捕らわれたシャムのナレスワン王が、ミャンマー随一の兵士との一騎打に勝利して武勇をたたえられ、解放されたという逸話である。この時、王が用いたのが軍で必須の課題とされていたムエタイであったという。また、1767年、アユタヤ朝がミャンマーによって陥落した際、敵の捕虜となった兵士の一人ナイ・カノム・トムは、九人のミャンマー武術家を次々に屠ったとされる。この二人は現在でも伝説のヒーローとして、タイの少年たちがムエタイごっこをする際の憧れの役柄となっている。

 そうした武術としてのムエタイは現在のそれとは異なり、拳にグローブをつけず、木綿や麻のヒモ、乗馬用の革ヒモを巻き、時によっては粉ガラスや砂をニカワで固めてヤスリ状にして戦うという危険なものであった。その名残りは、現在もタイ−ミャンマー国境において新年などの祭礼の一環として行われる素手によるムエタイ、「ミャンマーラウェイ」に見ることができる。だがヒジ打ちおよびヒザ蹴りという危険な技は現在のムエタイにも公式に受け継がれており、その技術は外人が一朝一夕に修得し得ない水準にある。リングやグローブ、厳密な計量 などを整備するというムエタイの現代化は、1921年に国王が主催した、タイのムエタイ選手と周辺諸外国の選手とを戦わせたイベントに発するといわれる。その収益は、タイが連合国の一員として第一次大戦に参戦するのに用いられた。

 現代のムエタイは、タイ全土で選手が十万人を数えるといわれるが、そのほんの一部しかバンコクの2つメインスタジアムに立つことはできない。貧しい東北部などの少年たちが五・六歳と年端もいかぬ うちから連戦を重ね、才能があれば見込まれてバンコクのジムにスカウトされてくるのである。筆者はバンコクのあるジムでトレーニングをした経験があるが、練習後の食事はチマキや牛スープなどのいわゆるイサーン(東北部)料理であった。

 ムエタイは大半の試合が判定で勝敗を決するが、その基準は外国人には極めて分かりにくい。パンチが殆ど採点に考慮されず、蹴りの当たった部所によってほぼ主観を排してポイントが与えられるからである。というのは、ムエタイが賭けの対象となっているからである。

 賭けは試合場において、賭け人が観衆に向かいリングを背負うように立ち、指の仕草によって賭け率を示すことによって行われる。幾ラウンドかが消化された後にも賭けが継続されるなど、そこには独特なルールがある。観客は熱狂するが、どんな良い試合であっても、選手が負けて称えられることは滅多にない。それどころか、勝敗が確定したとみなされれば観客は退席しさえする。これもムエタイが実質的に賭けの対象としてしか評価されていないことの現れであろう。

 試合前の踊り(ワイクー)は神や師に捧げられるものだが、こうした儀式や危険な技など非スポーツ的な要素を残すムエタイが現在のタイで根強い人気を誇るのは、伝統の格闘技というだけでなく、豊富な人材を貧困な地方に求め得るという経済的背景、ギャンブルの対象であるという社会的背景に負うところが大きい。ヨーロッパ、特にフランスやオランダではムエタイやそれに準じた(ヒジ打ちなしなど)キックボクシングが日本以上に盛んだが、それでもタイのメインスタジアムのランキングに一人を送り込むのが精一杯であり、そこには歴然とした力量 の差がある。これには、タイとそれらの国々の社会的背景の相違が大きく作用しているといえよう。

 このように格闘技が定着するには、背面 における社会的・文化的支えが必要である。格闘技を体験することは、その国を理解する一助となるであろう。