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ニュースレター
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1996年8月号 |
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高齢社会と産業・企業の第3の視点- 豊かな「産業生活」をおくるために - 専修大学商学部助教授 「人生50年」から、いつの間にか「人生80年の時代」を迎え、高齢社会の議論が様々な角度から行われている。一方では深刻な事態が語られ、他方ではその不安を打ち消すかのように新たな可能性まで語られるなど、その関心は日に日に高まっているように思える。最近まで私自身は、この問題に対して専門外などと言っていたのだが、製造現場に若い人がいなくなり、また私と同世代の団塊組がリストラによって不本意な扱いを受けるといった状況などを見るにつけ、産業論、地域経済論等を研究範囲にしている私なども、発言していく責任を感じるようになってきた。この点どうも日本の産業社会の仕組みが、60歳位 までしか想定していないところに一つの重要な問題があるように思う。 私自身もそうであったが、学生の就職活動の様子をみていると、彼らは20歳前後に就職(就社)し、60歳の定年までは収入も地位 も一直線に右肩上がりでいくものとの幻想を抱いている。だが現実は、地位 の数は加齢と共に減少し、40歳の中頃には片道切符の出向そして転籍という事態が待っている。 そして60歳にたどり着いた時、「あなたはもう社会的に必要ない。」とでもいうかのように、「産業廃棄物」として切り捨てられる。だが栄養、社会環境が大幅に改善された現在、60歳はかつての50歳以下の健康・精神状態であろう。そしてそうした人々に、日本社会は「元気ならゲートボールでもやっていなさい。体に問題があるなら、福祉の世話になりなさい。」といっているようにみえる。それ以外の選択肢は、ほぼ全く用意されていないのである。60歳から80歳くらいまでの元気な方々は、どうやって生きていったら良いのだろうか。豊かなはずのこの国は、この点に何も応えてくれていない。 他方、近年、高齢社会の到来に向けて、「産業、企業」サイドから幾つかの発言がみられるようになってきた。 第1は、「今後、裕福な高齢者が増加する。そこには新たな「ビジネス・チャンス」がある。」というものであり、通 称「シルバー・ビジネス」などと呼ばれている領域が指摘される。もちろん、こうした問題に真面 目に取り組んでおられる方々も多いが、「金儲け」だけに目が向いているむきも少なくない。 第2は、「今後、若者が減少し他方で元気な高齢者が増加することから、3K(キツイ、キタナイ、キケン)の仕事に高齢者を追い込んだらどうか。」とする議論である。「高齢者雇用」の実態にはそうした側面 が見え隠れする。冬の寒い早朝に、駅前で放置自転車の整理をしている高齢者事業団の方々を見かけるにつけ、人生の先輩にこんな事をやらせてよいのかと自責の念にかられてしまう。 現状、「産業、企業」サイドからみた「高齢社会」とは、以上の二つの視点からしか取り扱われていないようである。 だが私自身がそうした状況に置かれた場合、どうなる事が最も望ましいのだろうか。「シルバー・ビジネス」のターゲットとして、要らないモノを売りつけられるのだろうか。あるいは、寒空にふるえながら放置自転車の番をしているのだろうか。そして休日にはゲートボールに興じることになるのだろうか。 もちろん人によって考え方は異なる。私自身は、40年間にわたり身につけてきたはずの自分の仕事の経験、キャリアを次の世代に継承しているという実感を抱けるような20年間であることを期待したい。それも真剣勝負の場である「職場」を通 じてであることが望ましい。そして収入は適度なものでよい。ただしその「職場」まで、満員電車で1時間半もかかるのでは耐えられそうもない。自転車や市内循環バスなどで動ける範囲に、そうした多様な「職場」が用意されていることが必要であるように思う。 これまで日本の都市計画は、住居と職場を分離しモノトーンな空間を作り上げてきた。また日本の産業社会は、効率性だけを追求し青年、壮年だけが働きやすい職場を作ってきたように思う。高齢者、弱者はほとんど考慮されることはなかった。大都市郊外のニュータウンや工場地帯の工場の現場は、そうしたものの典型というべきであろう。 「若者の楽しめる街では高齢者、弱者は必ずしも楽しめず、若者の働きやすい職場は高齢者、弱者は必ずしも働きやすくない。」のであり、逆に「高齢者、弱者が楽しめる街では若者も楽しめ、高齢者、弱者が働きやすい職場では若者も働きやすい。」を求めて行くべきだと思う。特に産業、企業との関係では、「職住接近」の条件の中で、「自分のキャリアを次の世代に継承できている。」という実感を抱ける環境を形成していくことが必要であるように思う。それが「産業、企業」サイドからみた「高齢社会と産業、企業の第3の視点」というべきであり、確実に到来する「高齢社会」において、豊かな「産業生活」をおくる不可欠な視点となることはいうまでもない。 |
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