「地球規模の諸課題とガバナンス
-グローバル・ガバナンスの研究」
- 総合安全保障研究委員会報告書完成 -
杏林大学今井隆吉教授を委員長として、1997年10月より進めてきた標記研究委員会がこの度終了し、報告書を作成したので、その概要を報告する。今井委員長をはじめ、各委員の方々に厚く御礼申し上げたい。
1. はじめに
本研究会では、核兵器、地球環境、水資源、安全保障といった国際社会が直面
する政治課題や問題領域を取り上げて、それぞれの課題や領域に関するガバナンスと国際社会のルール形成の現状について分析したものである。ここでは本報告書の総括部分(国際社会のルールの形成)を要約して紹介する。
冷戦後の今日、国際社会のさまざまな秩序を維持する仕組みが問われている。国際社会の主要な主体は、国際法上は互いに平等な主権国家であり、したがって国際社会には、国内社会のような形での中央集権的な権威が存在しない。しかし、国際社会は無秩序ではなく、非常に多くの「国際レジーム」が機能している。これは、交渉や慣習、紛争の結果
などによって作り出された一種の行動の規範であり、国際社会に「ゲームのルール」を提供している。
しかしながら、国際社会の自律的な秩序、あるいは「強制的な権力を持たない領域に生ずる主体間の行動のパタン」は、すべてが国際組織や国際レジームによって成り立っているわけではない。国際社会には、さまざまな形態で、一定の自律的な秩序を維持している多くの事例が見られる。
例えば、複数の制度やレジームが並列する自律的な秩序、フォーマルな制度化には本質的に馴染まないもの、一定の歴史的な変化の総体としてその自律的な秩序を理解すべき領域、相互補完的あるいは散在する領域限定的な制度や国際レジームの上位
概念が有用な領域、横断的な専門家集団やNGOなどの活動から影響力が生じている場合、あるいは萌芽期などの未定型な秩序の前駆形態、などがそれである。これをレジームからガバナンスへの移行と捉える。
東西対立の構造が崩れたために、また地球環境問題など、国際社会のすべての主体が利害関係者となる新しい課題が登場した。このような領域、あるいは数多くの領域の相互作用の総体である国際社会全般
に、一種の自律的な秩序を作り出すことが重要な外交課題となっている。このような自律的な秩序が「レジーム化」あるいは「制度化」されなければならないという必然性はない。しかし他方では、自律的な秩序のあるものは、国際レジームや条約といった制度、さらにこうした制度を運営するための国際組織の設立、といった経路をたどるであろう。あるいは逆に、国際制度や国際レジームが崩壊して、かろうじて自律的な秩序が存在する、あるいは完全な混沌が出現する、という場合も考えられる。このように形式化、自立的な秩序の制度化の程度にしたがって、国際組織論、国際レジーム論、グローバル・ガバナンス論が対象とする領域の包含関係が表されることになる。
本研究会では、制度やレジームを含み、さらにこのような観点には包含されない関心領域をも対象とする概念として、「グローバル・ガバナンス」の概念を採用した。
国際政治学において、「グローバル・ガバナンス」とは、国際政治のより多くの実態を射程に入れるために、分析概念を拡大する自然な試みだと言うことができる。しかし同時に、より多くの安定性を求める国際政治の領域では、自律的な秩序のみが存在する場合にも、何らかのルール形成の動きが伴うことが多いであろう。したがって、「グローバル・ガバナンス」の観点に加えて、これがルール形成に向かう ─ あるいは逆に形式化の方向が逆転して既存のルールが崩れていく─ 過程を検討することが意義あることと考えられる。
本研究会では、このような形式化の移行過程にある問題領域として、
を研究対象をとりあげた。
本報告書は、各課題の研究会での議論を踏まえ、グローバル・ガバナンスと国際社会のルール形成という観点から執筆した各分野の論文をとりまとめたものである。
2. 「グローバル・ガバナンス」の定義
本研究会では「グローバル・ガバナンス」を『国際社会で一定のシステムを維持・運営するための活動の総体』と定義する。これはローズナウ(Rosenau)などの「標準的」な定義とほぼ同一ではある。
ローズナウは、「政府無きガバナンス(governance
without government)」を、『公的権威を賦与されない活動領域で、有効に機能する規則のメカニズム』と定義している。これに対して、本研究会で焦点を当てるのは、『国際社会で一定のシステムを維持・運営するための活動の総体』である。これは国際社会の自律的な秩序、あるいは「強制的な権力を持たない領域に生ずる主体間の行動のパターン」のみが存在する領域で、何らかのレジーム形成の動きが生じているケースである。
ローズナウの定義と、本研究会の焦点の違いは、『自律的なルール形成』を「グローバル・ガバナンス」の分析枠組みとしてどのように位
置づけるのかという点であろう。
ローズナウは、説明要件として、3層のモデル、(1)政治的・制度的レベル、(2)行為的・客観的レベル、(3)理念的・共同主観的レベル、を前提としている。この3層は、それぞれがガバナンスの形成や実態と直接に結びついており、また、相互に関連して、一種の複合的、循環的因果
関係を作り出している。この論旨からすれば、制度的、あるいはルールとその形成の側面
のみをガバナンスの分析枠組みの要件と見るのは片手落ちだと考える。
われわれの見方は、「ルール形成」を一種の「媒介変数」としても考えることである。「ルール形成」の背後には、何らかの「共同主観化された理念」が存在する。また、外交交渉という「客観的な行為」の多くは「自律的なルール形成」をめぐって行われるし、また市場の活動や富や交換という「客観的な行為」も、このような自律的ルールに従って行われる。このように「ルール形成」には、ローズナウのモデルで言うような他の2層の活動が、しばしば象徴的に現れている。従って、理論的な観点からも「自律的なルール形成」を、本研究で対象とする課題に対する分析枠組みの要件として明示的に取り上げることの意義があると考えられる。
本研究において、「グローバル・ガバナンス」とルール形成の観点から見た課題と領域を整理する際に共通
の変数を抽出するのに、以下の三つの側面を考えた。
(1) 国際システムの側面:ガバナンスが対象とするシステムないしはシステムの境界、およびガバナンスが目的とするシステム安定の変数である。
(2) ルールおよびルール形成の側面:ガバナンスを維持するために創出された制度やレジーム、それを作り出すための政治過程、あるいは形成されたルールが、どのような価値(富、権力、知識など)の配分を作り出し、その矛盾がどのように政治化のサイクルを作り出すのかという問題である。
(3) 理念の側面:制度化を創案する理念の役割、理念の共有化の過程としての情報や知識の伝播ないし認識共同体(各国の内政に影響力を持つ横断的な専門家集団)の役割である。
このような枠組みを基礎として、それぞれの諸課題の分析が可能と考え、試みたものである。誤解ないように付記すれば、ローズナウの言う「政府なきガバナンス」に対応する我々の解釈は、政府の役割が小さくなるということではない。その役割が変わってきているということであり、限界も存在することにどういう動きが起きているか、あるいは必要かである。ウエストフェリア的国家が、その抱える矛盾をどう克服するかが本来の課題である。
(文責 事務局)
グローバル・ガバナンス研究委員会名簿
委員長 |
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今井 隆吉 |
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杏林大学教授、世界平和研究所理事 |
主 査 |
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曾根 泰教 |
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慶応義塾大学総合政策学部教授 |
委 員 |
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池田 信夫 |
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国際大学グローバル・コミュケーション
・センター助教授 |
〃 |
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森本 敏 |
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野村総合研究所 主任研究員 |
〃 |
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鈴木達治郎 |
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電力中央研究所 主任研究員 |
〃 |
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山内 康英 |
|
国際大学グローバル・コミュニケーション
・センター助教授 |
〃 |
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米本 昌平 |
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三菱化学生命科学研究所
社会生命科学研究室長 |
特別委員 |
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土屋 大洋 |
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慶応義塾大学大学院博士課程 |