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1999年9月号

REPORT

 

ますます複雑化するグローバル・ガバナンスとその課題
(グローバル・ガバナンス研究委員会中間報告)


 今春に「グローバリゼーションの中の国際システムとガバナンスの課題」研究委員会(略称:グローバル・ガバナンス研究会)を発足させこれまで数回の討議を行った。事務局から私見に止まるものではあるが簡単に中間的報告を行う。
 今回研究会では、経済的課題とそれに関連する国際組織を対象として進めているが、ここに重点を置いてみるのは比較的新しい試みである。グローバル社会は非常な速度でその様相を転々と変えつつある。現在の国際社会を捉えることは、従来以上に難しくなっていると感じざるをえない。


1.国際社会のガバナンスの新たな特徴

 政治と経済の関係は本来不可分であるが、グローバリゼーションの進んだ現代はまた違った諸側面 を示している。国家と市場、国家と企業の関係の変化は、ガバナンスの実相を非常に複雑にしている。

 まず、第一に政治と経済の関係がコインの裏表、あるいは「あざなえる縄のごとき」様相を示すようになった。それは、経済が政治の最優先課題となり、そこで勝者と敗者が決まるからである。自由化が制度化され、市場に委ねられれば、それは形式的には非政治化されることになる。しかし、自由化の内容の少なくない部分は政治的主張である。例えば、金融、資本の自由化を主張するネオ・リベラリズムは、経済への政治の介入の排除を強く主張する意味で非常に強い政治的主張であるといえるだろう。そのためにある時は非政治化されたようにみえるが、ある時不利益に気がつくと忽然と国家主権が表にでてくる。挙動の見通 し難いところは、進化し、振動するシステムの様相を示している。

 第二は、市場が主要なアクターとなり、その行動が見えにくくなったことである。それはある意味で結果 の集合でしかない。市場経済は浸透したが、制度的あるいは社会的基盤などの相互依存の関係にあるもの、相互作用を起こす範囲は、社会文化構造により異なり明確ではない。アクターであるはずのものが、対象でしかなくなる現象もおこる。

 第三は、国連、IMF、世銀など国際組織の勢力バランスが変わってきたことである。それぞれ本来の役割は規定されているが、重複も競合も役割の歪みもみられる。それはレジティマシーをどこに求めるかの探索とも言える。

 第四は、レジームの形式上の決定手続きとは異なる影響力が強く作用し始めていることである。ルールや目的が変化していく時、なんらかの理念、価値観、あるいは経済的影響力などの非形式的なものが作用してくる。

 第五は、国家主権はやはり基本的なものであり重要であるが、いわゆる市場とどういう分担をし、接点をみつけるか、そしてその力をどういう根拠でどう維持するかという新たな悩みが解決される目処がついていないことである。国家主権の壁をどう破るかという大きな課題に対して、反対の悩みがでてきたことである。

 これらの現象には、具体的規範は何かということ、それはどうすれば可能であるか、その方法のレジティマシーをどこに求めるかが非常に難しくなったことが現れているとみられる。

2.グローバリゼーションの諸様相

 多くの人が指摘するように米国の影響力が強くなり過ぎているのは事実であろう。K.ポランニーの言葉をもじって言えば、「埋め込まれたヘゲモニー」とでもいうものが作用している。問題の一つは、米国の国内政治が、政治の感受性が異なる国際社会へ直接でていくことである。それが例えば民主化・人権という政治的勝利を求めてひた走る動きを強める。冷戦時代の体制に逆戻りさせない、あるいは冷戦中にあえて目をつむってきたことを拒否するという政治目的は当然あるが、これらの強行ムードをどう捉えるかは別 の問題である。本来多元的な意味を持つ、民主化、人権などの問題は普遍化、レジーム化から遠ざかる可能性を呼ぶ。国際的に牽制システムが弱くなってことの反面 が、中国・ロシアなどとの従来と異なる不安定な関係を起こし得るし、不要なナショナリズムを呼ぶ可能性がでる。

 二番目の問題は、米国は伝統的に、各種の条約の枠組み等の中でも、自国の自由裁量 余地を残そうとすることである。国連、IMFの出資金拒否もその傾向を表すものであるし、批准しない条約も少なくない。国内法の域外適用にもその傾向がみられる。グローバルな世界でのガバナンスがケース・バイ・ケースのしかもバイラテラルな交渉を中心に処理されることが多くなり得る。リアリスチックな国際関係論から逃れにくくなる。

 三番目に留意するべきことは、米国の価値観では非常にダイナミックで、ある意味で乱暴な動きをする社会システムを想定している。それはある意味で中南米社会にみられるものに近似している。このことは為替レートの日米の許容範囲の差、変動の許容範囲の差ともなってくる。そもそも捉え方にすれ違いがある。通 貨危機などでのコンディションナリティの評価でも相当の落差が避けられない。

 多様性の共存は、当然の理念であるが、現実には難しい。コンフリクトの繰り返し、破壊と同質化が運命とみるにはガバナンスの理念として扱いにくい。

3.苦悩するレジームと勢いづくレジーム

 広義の国連システムなど主要なレジームは、第二次大戦後、正確にはその末期に理想に燃えて考えられたものである。しかし冷戦終焉で主要レジームが本来の課題に取り組むべき時、想定されていたウエストフェリア的主権国家の集合としての国際社会の様相とは大きく異なってきた。そして国際組織への期待内容も変わり、あるいは冷戦の負の遺産がなお尾を引き機能できないという皮肉がある。

 一つの例は、国連安全保障理事会への対応である。コソボ紛争へのNATOの介入には、好ましい先例と評価する向きと国連機能の形骸化を危惧する向きと二つある。人道問題にレジティマシーを主張する一方、形式的には国連の権威を利用せざるを得なかった。国際関係の対応は冷戦時代までのレジティマシーの尊重のあり方と異なってくるだろうか。微妙なバランスの中にあるようである。

 二番目の例としては、IMFを核とする経済組織の力が極めて強くなっていることであろう。信用秩序の維持、システム維持という大儀名分が敗者に対する強制執行能力を与えている。IMF、世銀のブレットンウッズ体制は意志決定の投票権が出資金比率により国連とはまったく異なり、価値観を共有する国家群が影響力を行使する構造で非常に特異である。あるいは機動性を維持する目的からも執行部門の権限も異なり、ある種の裁定を持つ組織としてトップダウン形式の権限も強い。IMFは政治問題には関与しないことになっているが、ロシアの例に限らず、そうはとれない。構造調整ファシリティ、移行経済国対策などの時点から、その重心は変わってきている。資金不足の問題は、逆に、世銀、地域機関、二国間のバックアップが大方の例で必須化してきたことから、レジティマシを先導し規定することになっている。

 これに対して、補完関係にある世銀あるいは他のODA機能も変わってきている。世銀グループでもIBRD、IDAなど内部で変化していると見受けられる。

 ODAの世界でみると、旧共産圏や産油国などからの資金の供給側の減少70億ドルに、移行経済国への支援という需要の新規発生で100億ドルの増加と、従来国へは往復で170億ドルが削減されている。そこから市場経済化の利益を最大限に利用した経済の自立、被援助国のオーナーシップの重視から、考え方もコンディショナリティも大きく変わってきた。ガバナビリティが十分維持できない国が極めて多い中で、効率化への要求は極めて厳しいものである。持続的発展という言葉も、その反面 は改善に向かうそこそこの発展という意味になり、セーフティ・ネットも最低限の弱者対策に絞られている。UNDPの主張する悲惨さとは逆に、投資の受け皿整備、犯罪など秩序撹乱要因の流出阻止という面 が表にでて、いさいさか緊張感を欠くものとなってきた。ここでDACの基本理念はその意味で共有化されている。市場経済積極派の米国、IMF、WTOなどに対して、UNDPとともに、DACの良識派、世銀グル−プの一部機能などがあり、補完関係を保っているが、その力学的バランスは相当変わってきた。そこにある種の新しい共通 理念とガバナンスと言えるものができつつあるようである。

(文責:事務局 守安勝巳)