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1999年10月号

OPINION

 

財産権問題と日本・東アジア

一橋大学経済研究所長
寺西 重郎


 1993年のノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノースにStructure and Change in Economic Historyという好著がある。邦訳は『文明史の経済学―財産権・国家・イデオロギー』(中島訳、春秋社)。邦訳の副題からもわかるように、この本は財産権の設定という概念を中心に、国家の不安定性、集団行動におけるイデオロギーの役割を、実に1万年前の農耕社会の発生から,古代ギリシャ・ローマの興亡、17世紀イギリスとスペインの対比、19世紀のアメリカの農民運動などに言及しつつ縦横に論じたものである。基本的メッセージは、国家はその暴力上の優位 から財産権と設定を本質的な任務とする、そのさい、国家はその存立のために自己に有利な(たとえば税収の最大化をもたらすように)かたちで財産権を設定しようとするが、これは競争条件・取引費用の点で非効率な経済運営をもたらさざるをえず、このことが国家の不安定性をもたらす、というものである。

 ノースによれば、この国家の不安定性には2つのケースがある。第一は、絶対的には非効率だが、相対的に効率的な財産権がなされるケースであり、このばあい、人々は技術的革新と生産性向上をめざす誘因をもち、経済は高い成長をしめす。しかし、成長はやがて相対価格と人々の機会費用を変化させることにより、国家の設定した財産権との軋轢、その変更への動きを誘発し、国家の不安定性をもたらす。第二のケースは、相対的に非効率な財産権がなされるケースであり、より効率的な他の国との競争の過程で、成長の停滞した国は不安定化せざるをえないというものである。

 この2つのケースを現在の世界にあてはめてみると、ラテン・アメリカ諸国は基本的に第二のケースにあたると考えられよう。財産権をめぐって資本と労働の対立は絶え間なくこの過程で、国家ないし政権の安定性が常におかされている。工場で一時間働くより、大臣室の前に一時間立っている方が利益が上がるというジョークからみるかぎり、生産性向上、技術革新への誘因もきわめて低水準にあると判断せざるを得ない。

 これに対して、東アジア諸国ないし少なくとも日本の現状は、同じ不安定な状況であっても、上記の第一のケースだと考える必要がある。現在の低迷は生産性向上の不振や経済成長の失敗ではなく、逆に成長の成功のゆえに生じたという面 が強い。情報関連や金融関連の産業では遅れをとっていることは事実だが、製造業全般 では高水準の品質・工程での革新力を推移してきたし、その状況は現在も大きくはかわらない。

 要するに、日本などの現在の諸問題は類まれな成長の結果 、既存の財産権構造と経済諸階層の間の軋轢が生じたような想定価格の変化が生じたと見るべきであろう。すなわち、一種の開発主義に基づく、護送船団方式とよばれる金利金融規制は、預金者や株主に財産権上の不満を蓄積させ、これが金融自由化を必要ならしめ、これに関連して、システムに対するイデオロギー的批判たとえば会社人間の問題、また消費者階層の不満などが複合してシステムの転換を必要ならしめたのである。ともあれ、今回の深刻な経済状況が、ノースの第二のケースにあたるという点はかなり重要な論点である。少なくとも次の2点についてあらためて考えてみることが必要となろう。すなわち、第一に、金融の構造改革は何のためにやるのか。金融の資金仲介機能の強化のためか、金融産業の国際競争強化のためか、それとも財産権上の問題解決のためか。第二に、経済全体の規制緩和と構造改革は、グローバルなメガコンペティションに対応するためには是非必要であるが、それはわが国に必要とされる新しい財産権の設定にどのように調和させることができるか。

 ここ一、二年のさまざまな論調をみるに、効率か分配か、成長か循環かなどの基本的論点の整理が必ずしも十分でない議論が多く、これが一種の敗北主義の蔓延の原因になっているように思えてならない。秋の夜長にノースの壮大な好著の一読を是非おすすめしたい。