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ニュースレター
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1999年12月号 |
OPINION |
経済外交で積極的イニシアティブを 東京大学・東洋文化研究所長 最近、下村恭民・中村淳司・斉藤淳著「ODA大綱の政治経済学」を読んだ。1992年6月に宮沢内閣によって閣議決定という形で提出されたODA大綱は、民主化の促進といった途上国の政治と日本からの援助とをリンクさせるという意味である種の政治的コンディショナリティを課したものである。下村教授他のこの著作は、このODA大綱の運用実績に関して詳細な情報を伝えてくれる好著である。 1990年代に入り冷戦の終焉後、議会制民主主義と市場経済原理が「普遍的な原理」として世界を席巻しはじめた状況に対する、我が国政府の適応の一環としてODA大綱が発表された。援助効果 の発現のためには途上国側での一定の政治的条件が必要不可欠であろう。しかし、援助をテコとしてドナー側が望む条件を作り出そうとすることには、ある種の危うさが潜んでいることも確かである。つまり、ODA大綱は、重要な意義と同時に危なさをも伴うジレンマを持たざるをえない運命にあった訳である。 民主化の進展や軍事費の削減など我が国にとって歓迎すべき行動力があった場合に、援助供与をプラスに変化させて積極的に支援するポジティブ・リンケージ。明らかに望ましくない変化が見られる場合に援助を削減したり停止したりするネガティブ・リンケージ。日本政府は、前者のポジティブ・リンケージを重要視するが、後者のネガティブ・リンケージには慎重に考える姿勢をとってきた。この事は、一見すると日本政府の方針の不透明さという評価になりかねないが、本書はそこに日本政府が独自の明確な設計思想をもっていたことを語ってくれている。 しかし同時に、大綱導入時点でのネガティブ・リンケージについての慎重な姿勢は、近年必ずしも顕著でなくなってきている。「ODA大綱の基本的性格は当初の設計思想から、標準型の政治的コンディショナリティの方向へと緩やかにシフトしつつある。」これが本著の基本的メッセージである。 政治的コンディショナリティが、ODA大綱として明文化された。この大綱4原則は、国際社会で支配的な考え方との間に緊張は相対的に薄い。これに対して、日本政府は、経済的コンディショナリティについては、国際機関との協調融資を通 してあくまで間接的な関与にとどめたいとする基本方針をとっている。これは、国際社会のなかで正統の位 置をしめているIMFや世界銀行の経済的コンディショナリティに対して、日本政府が一貫して厳しい批判を続けて代替案の提示を試みてきたこととも関連している。経済的コンディショナリティについては大蔵省がイニシアティブをとり、政治的コンディショナリティについては外務省がイニシアティブをとってきたという事態も、この事に関連している。まさに「日本としてのコンディショナリティに関する総合的検討が望まれている」訳である。特に、再度、経済的コンディショナリティについて、新古典派経済学に依存しているIMFを前面 にたてながらもグローバル・スタンダードに対抗しうる代替案の提出が求められている訳だ。 下村教授は、「なぜ経済危機はこれほど深刻化したか」(「外交フォーラム」1999.12)で欧米に、経済危機を契機として、「普遍的価値と一線を画する独自のやり方で高度成長を持続してきた、東アジアへの長年の違和感が、一気に噴出した」といわれている。その意味では、「文明が政治化し、その政治が心理化する」という20世紀末の文明の対立が、生じているともいえる。グローバル・マーケットにこういう心理化された対立が伝染し、世界的投資家はそれまでの長期的資金を短期化させたり、また東アジアから資金を引きあげた訳だ。特にアメリカは、ウォール・ストリートを中心にしたアジェンダをはっきりともっていた。東アジア諸国には、その事がはっきりと知られている。この記憶が残っている限り、我が国にとっては大きなチャンスであろう。我が国なりの経済的コンディショナリティの構築をいそがなければならない。
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