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21世紀、日本の研究・教育が危ない!?
大阪大学社会経済研究所教授
西條辰義
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分数計算のできない大学生がトップクラスの大学でも大勢いるらしい。彼らは大学院に進学できるのだろうか。
答えはイエスである。私の所属する大阪大学でも大学院重点化を受けて、経済学研究科の博士前期課程の入学者数がそれ以前と比べて5倍前後になった。実質的な競争倍率は1を少し超える程度になっている。つまり、分数計算ができなくても大学院に入れる時代になった。私は経済学研究科の基礎科目であるミクロ経済学の一部を担当しているが、重点化以前と以後では、学生の質問の中身が変わってしまった。簡単な式変形や因数分解をどのようにするのかという経済学以前の質問を平気でする学生が急増したのである。
高校以前の数学教育水準の低下と共に院生の急増を受けて、重点化以降では、院生の質が変容してしまったのである。重点化以前の院生の数は10人前後であった。今年の阪大経済学研究科の入学者は72名であるが、たぶんそのうちトップの10名程度が従来の質を維持していると楽観的に考えるとしても、残りの院生の質は落ちているに違いない。増えた院生の集団に対する講義のレベルは当然落ちる。そうなると、残念なことにできる学生の学力も落ちてしまう。
院生のなれの果てが研究者である。昨年の秋、90年から96年にかけて東アジアにおける経済学研究者の知識の生産性に関するデータが公表された*。経済学の学術誌のうちトップ36誌を選び、それらの雑誌に掲載された論文のページ数を大学ごとに集計している。学術誌によって1ページあたりの字数がことなるので、ページ数は標準化されたページ数である。トップは香港科技大学(809ページ)である。トップ10のうち香港の大学は4校で総ページ数は1,575ページ、日本の大学は3校で総ページ数は659ページである。日本のトップスリースクールの合計でも香港科技大学一校に大きく水をあけられている。ページ数で研究を評価することには疑念がないわけではないが、東アジアにおける経済学研究の中心地はまぎれもなく日本ではなく中国の一都市である香港になっている。
東アジアナンバーワンの科技大の科技は科学・技術の略である。香港の植民者は香港での高等教育を重視しなかった。師弟の教育は本国ですればよいからである。香港の中国返還を前にして、世界に誇る科学・技術系の大学をということで1991年に設立されたのが科技大である。経済学における研究論文のページ数で科技大をアメリカの大学と比較すると日本人の優秀な研究者を輩出していることで著名なロチェスター大学と同格なのだそうである。
アメリカの小学校における算数・理科の授業時間は日本の倍程度らしい。アメリカにおける大学院一年目のミクロ経済学の講義は通
常週3回で、これが1年続く。2回が講義で1回が演習である。日本の大学院における同じ講義は週1回である。時間で比較するならアメリカは日本の3倍である。これでもましになったほうである。私が院生だった25年前では,先生が黒板に立つ講義は数学の講義のみであった。つまり、ほとんどの講義がゼミ形式であった。国立大学の教師がゼミではなく実際に教壇に立って講義をするのはアメリカの半分程度のようである。
大学院重点化に伴って院生の数が急増したが、彼ら全員が新たな知識を創造し、それをトップ・レベルのアカデミック・ジャーナルに掲載することを要求されている訳ではない。地球温暖化、規制緩和、高齢化などの山積する経済問題に対し、様々な選択肢をとるとどのような結果
が起こるのかを直感や常識のみにたよらずきちんと机上演習できる研究者が求められているのである。分数や小数計算のおぼつかない院生に向かって教壇に立ちたくない教師が教えているのではそのような人材を供給できる訳がない。
他の分野の状況が経済学と大同小異だとするなら,まさに「21世紀、日本の教育と研究が危ない」ことになる。この危機を乗り越えるためにはどうすればよいだろうか。紙幅がつきてしまったが、大学に関していえば、欧米の大学や科技大の模倣ではなく、世界の頂点に立ちうる新しい研究教育システムを持つ新しい大学を作ることを提案したい。旧来の日本の国立大学では、ほんの数ミリ動こうニするだけでも、膨大なエネルギーと時間がかかるからである。
*Jin and Yau, “Research Productivity of the Economics Profession in
East
Asia,” Economic Inquiry 37(4), 1999.
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