小泉改革が曲折を経ながら進んでいる。同時に小泉首相が強調した「痛み」も、失業の増加や医療費などの負担の増加となって、少しずつ表れてきた。しかし、その先にどのような社会のビジョンがあるのか、それが、どのような形で表れるのかが未だに見えてこないところに、我々の不安がつのる。
今日の日本の社会をみると、バブル崩壊後の低成長から、多くの人が将来への不安を抱き、停滞感に包まれている。私は、「アートフルな社会」、即ち、アートが脈々として息づいている高質な社会こそ、日本にふさわしい社会ビジョンではないかと考えている。
「アート」とは、ラテン語の「アルス」から来た言葉で、本来、「芸術」と「技術」という二つの意味を持つ。これが、「アーティスティック」といったり、「アーティフィシアル」という表現につながっているのであろう。
二十世紀には、「国家」と「政治」が人々の価値観の中心を占めたが、二十一世紀には「産業」と「文化」をめぐる価値観が高まるに違いない。それは、IT革命によって、各主体が直結するネットワーク社会が出現し、人々が市場経済と人間性重視の価値観を共有することになるからである。世界の秩序は、政府のみならず、企業や市民団体の参画によって維持運営され、企業や人々は国境を超えて、価値の創造に努めることになる。
産業と文化は、技術と芸術と置き換えてよい。産業と文化、技術と芸術は、今や相乗的に発展し得る可能性を高めている。
情報通信を始めとする技術革新は、製品のデザインなど感性に訴える機能をも進歩させたし、コンピューターグラフィックスなどは、優れた建築物の設計やオペラ、バレエ、ミュージカルの演出にも利用されている。電子音楽は音楽表現を多彩にし、レーザー光線などは光の表現を多様にしている。
CDやDVDなどは、芸術表現を高度なものにしているし、インターネットは事業活動の効率化のみならず、文化、学術の進歩にも貢献する。
私が強調したいことは、産業や技術の進歩発展が文化や芸術の表現を深化拡大し、社会の文化性と芸術性の向上が産業と技術の進歩を促すという好循環をもたらすことである。
二十一世紀には、情報通信技術のみならず、生命科学、精密加工、新素材、システム技術など、多くの分野でフロンティアが拡がっている。日本がこれに果敢に挑戦し、人類の進歩に貢献することが期待される。文化の面でも、人々の交流が活発になればなる程、文化の融合、創造の可能性が拡がる。このようなアート豊かな社会こそ、我々が目指すにふさわしい社会ではないだろうか。
歴史を振り返ってみると、日本社会にはダイナミズムをもたらす優れた潜在力があった。
これは、私は、第一に、知を融合して新しい価値を創ること。第二に、他人の価値を尊重して、人と人との間柄を大切にすること。第三に、絶えず自分を高める自己向上の気風があること。そして第四に、自然との調和を保つこと、の四点に集約できると考えている。
中国大陸などの文化を日本独自のものと融合させた奈良平安時代の美しい文学や建築物、オランダやポルトガルなどの近代文明も取り入れて発展した徳川時代の近代産業と町人文化、明治維新以後の西欧システムを吸収して実現した近代国家の建設、それに第二次大戦後の米国の近代文明を昇華させた民主国家の建設と大衆文化の発展などは、このような日本社会のもつ特質を如何なく発揮した例証である。
日本は、第二次大戦後の高度成長のかげで、このような特質を忘れかけている。今こそそれを取り戻し、小泉改革を成功させなければならない。そして、世界の人々に魅力を感じさせるアートフルな社会を創り上げなければならない。それには、産業と文化、技術と芸術を社会発展の力とするよう、人材を育て、資金を投入していく必要がある。
アートフルな社会。これこそが、二十一世紀の日本が目指すべきものである。