2002年2号

特別寄稿 日本のこころを世界の現場に ジャパン・プラットフォームの緊急人道支援活動を通じた 政府・民間・NGOの連携

2002-041

はじめに

 ジャパン・プラットフォームは政府・経済界・NGOが一体となり海外における大規模な自然災害・難民時に緊急人道支援を行うことを目的に00年7月に発足しました。
 ジャパン・プラットフォームには緊急人道支援を行う日本の有力NGO16団体(1オブザーバー)が参加しNGOユニット(NPO法人格を01年5月取得)を構成しています。
 ジャパン・プラットフォームの方針を決定する機関である評議会にはNGOユニットの代表理事・副代表理事が参加しています。
 政府からは外務省が、経済界からは経団連、財団からは財団協会理事、学識経験者が参加し、企業、国連機関、メディアの方などがアドバイサーやオブザーバーで参加しています。
 01年には民間企業から集まった寄付をもとにインド西部地震災害被災民救援活動を行う日本のNGOを支援しました。
 ジャパン・プラットフォームは01年8月には政府より5億7千万円の資金供与をうけ、さらに本格的な支援活動を行う体制が整いました。

アフガニスタン 9・11以前・以後


 ジャパン・プラットフォームは01年8月、アフガニスタン国内で旱魃と内戦により新たな国内避難民が大量に発生しているとの国連のアピールに応え、特に被害の深刻なアフガニスタン北部に調査団を派遣しました。9月4日現地で国連と3万人規模の国内避難民キャンプを設営し、厳しい冬を乗り越える支援を行うとの覚書を調印しました。世界から忘れられていたアフガニスタンでの活動、全てが未知数の挑戦でした。
 ところが9月11日同時多発テロ発生し、その後のアフガニスタン空爆・地上戦と世界の目はアフガニスタンにそそがれました。9月末アフガニスタン国内から国連スタッフもひきあげる状況のもと、ジャパン・プラットフォームはパキスタンを中心とする周辺諸国でアフガニスタン難民に対する支援の準備を行うことを決定。政府資金をNGOに即座に提供し、いまだかってない支援活動がはじまりました。
 車両調達・現地事務所の設営を行い、物資の集積等準備活動は進みましたが国境が閉鎖され支援がすすまないもどかしい日々が続きました。

時間との闘い


 タリバンの崩壊により11月にはアフガニスタン国内での支援に展望が開かれたため、厳しい冬を迎える国内避難民、周辺国の難民に対し10団体、5億4千万円相当の政府供与資金による支援事業が決定しました。刻々とかわる情勢のなかで輸送路の確保等困難をきわめました。厳しい冬となりましたが12月中旬以降には日本人スタッフもアフガニスタン現地入りし、支援が本格化しました。

ひろがる支援の輪


 ジャパン・プラットフォームでは当初難民支援は非常に一般の方の理解を得にくいと考えていました。しかしアフガニスタンについては大量の情報がマスメディアを通じて流れ、難民支援の必要性が多くの方に徐々に理解されることとなりました。
 政府は資金提供以外にも車両の通関時等に最大限の便宜供与を在パキスタン大使館を通じ行いました。外務省は今回の活動を通じ一貫して現場のNGOのため、ジャパン・プラットフォームの場で柔軟かつ決然と意思決定をしていただきました。外務省はジャパン・プラットフォームの場においてNGOばかりではなく他のセクターの意見も補強材料として吸い上げ、省内合意を取り付け責任ある立場で方針を打ち出しました。
 緊急かつ困難な事業という課題については自ずと合意が形成されやすいと考えます。
 評議会において経済界を代表する経団連の方も、合理的な判断で政府・NGOの意見に相違がある場合でも調整していただきました。
 企業でも社員の方からアフガン難民の支援をしようとの声があがり、社員の寄付があつまりました。社員オーケストラの支援コンサートも開かれNGOの方を勇気づけました。
 大手スーパーでは店頭募金も大きな関心を集め多額の寄付が寄せられました。
 また輸送費負担で企業から防寒衣料が提供され、一般の方から店舗で回収した家庭用毛布も現地に届けられます。
 このようにジャパン・プラットフォームに対し企業の力をいかした様々な取り組みがおこなわれ、アフガニスタン支援活動は従来にない日本の市民社会をあげた取り組みとなりました。

現場にいる重み


 02年1月には厳しい寒さのなか困難な状態にあったアフガニスタン北部現地にテントが到着しました。そこで待っていた3万人の人々はあの01年8月に訪れ支援を約束した人々でした。
 様々な困難、情勢の変化のなかで、アフガニスタン支援をすすめ、02年1月、2月には数十万人を対象とした活動が現地で進んでいます。これはいまだかってない規模を初期の段階で展開するという日本のNGOにとっても貴重な経験の場となり、日本のNGOが困国連とパートナーとなることも可能となる初動活動の実績ができました。
 日本からの医療チームは現場で新しい命を生み出すお手伝いもしています。カブールで越冬物資を配っている日本人スタッフがいます。地雷回避教育のポスターにも小さなジャパン・プラットフォームのロゴがあります。アフガン人にとり日本は「日本製品」により高く信頼されている国です。そしてNGOの現場での活動により、人道支援の現場でも、日本のイメージが新たに作られていきます。緊急の現場の支援活動としてはNGOが中心となっていることもあり日本のNGOが現場にいる重みを感じます。

復興支援へ


 12月にはジャパン・プラットフォーム主催によりアフガニスタン復興支援NGO東京会議が開かれました。アフガニスタンのNGOの方27名が来日し、日本のNGOと共同で、アフガン人、アフガンのNGOの手による復興を訴えるアッピールが採択されました。日本の多くの人にアフガンの方の考えをお伝えできるよい機会となったとおもいます。
 東京タワーにのぼり、戦後の奇跡の復興をとげた東京の町並みをみたアフガンのNGOの方は「アフガンの人もひとつとなり平和をもとめれば復興は可能だ。」と話していました。
 02年1月東京で開かれたアフガニスタン復興国際会議、日本は世界にアフガニスタンの復興を支援する約束をしました。所謂「NGO参加拒否問題」の渦中にまきこまれたジャパン・プラットフォームでしたが、「NGOがアフガン復興のための重要なパートナーである。」という声が多数の方から語られたことは貴重です。
 ジャパン・プラットフォームの活動は緊急の初動段階ですが、現地社会、NGOも一体となった困難な挑戦が続きます。初動活動が無駄にならないよう緊急から復興の過程でのNGOの活動を今後も応援していきます。

最後に


 ジャパン・プラットフォームにとっては昨年の夏から全てが新しい挑戦の連続でしたが政府、企業の連携をいかした支援実績がうまれているとおもいます。
 保健医療、教育、農業、地雷除去等アフガニスタンでの人道支援、復興支援はやるべき仕事が山積みです。
 またアフガニスタン復興支援東京国際会議では「NGO参加拒否」問題が発生しました。NGOと政府のあり方について様々な議論がなされました。NGOと政府が対等なパートナーシップのもと活動を行っていくという大きな流れが世界にはあります。日本の政府とNGOのあり方についても単なる事象としてではなくODA改革を含めた新しい関係構築が必要であると考えております。
 アフガニスタンの現地で活動する日本のNGOが緊急初動時の経験をいかしてさらに支援活動を拡げられるよう今後ともジャパン・プラットフォームの場で政府・民間・NGOの連携を強めてまいりたいと考えておりますので皆様のご支援・ご協力をお願い申し上げます。

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