2009年1号

産業文明の転換を図ろう

fukukawa
 
 産業革命以来人類が発展させてきた産業文明の維持が難しくなっている。1971年にローマクラブが「成長の限界」を発表して警鐘を鳴らしたが、事態は、当時より一層深刻になっている。

 世界経済は、2000年代に入ってグローバル化とITの進歩で年平均3.5%前後の高成長を遂げた。とりわけ、中国、インドなどの東アジア諸国が目覚ましい工業発展をみせ、その結果、2008年前半には、石油、石炭、鉄鉱石、非鉄金属などの原材料の需要が急増した。最近は、世界同時不況で価格は急落しているが、長期的には、資源需要はタイトとなる傾向にある。

 1980年代半ばから地球温暖化が現実のものとなって地球を襲ってきた。世界各地で旱ばつ、熱波、洪水、豪雨、森林火災などが頻発している。熱帯雨林が伐採され、焼畑農業が拡がり、土壌が劣化し、砂漠化が進み、環境破壊に拍車をかけている。1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議で気候変動枠組条約の成立をみ、1997年に先進国を中心に温暖化ガスの排出削減措置を盛り込んだ京都議定書の合意をみたが、このような国際的取組みが、十分な成果をあげているとはいい難い。

 人類は、これまで、自然の脅威から身を守り、生活の便益を追求するために技術を開発し、産業を発展させてきた。とりわけ、18世紀後半以降の産業革命、20世紀以来のエネルギー革命がもたらした産業技術の進歩は、目覚ましいものがあった。

 そこで人類が確立した産業システムは、「規模の利益」を最大限に追求した大量生産、大量消費、大量廃棄に依存するものであった。それは、「地球に賦存する資源エネルギーは無尽蔵であり、自然の循環機能は永遠である」という前提に立っていた。

 しかし、最近の資源エネルギー需給の長期的な逼迫化傾向や異常気象が象徴する地球環境の深刻な悪化をみると、その前提が崩れつつあるといわざるを得ない。拡大した人間活動が地球のもつ資源機能と循環機能を超えるところまで来てしまったのである。

 そうだとすれば、今や我々が探求すべき産業システムは、効率生産、有効消費、完全循環に依拠したものでなければならない。それは、低資源、低炭素の条件の上に、高次の付加価値を実現する知的生産性を発現する新しい産業文明である。

 地球温暖化に関する2013年以降の国際枠組が国際間で議論が進み、EU委員会は、京都議定書を契機にEUが世界に先がけて実用化したキャップ・アンド・トレード方式による排出権取引制度の継続とEU以外での採用を主張している。これは義務的な排出権取引を通じて最も低い排出削減コストでの対応ができるという市場機能性を合理性の根拠にしているように見える。

 新しい枠組には、世界における大排出国である米国や中国が参加し得るものでなければならないが、問題は主要排出国が納得するような合理的なキャップの配分ができるかである。これまでも一人当たりGDP比率とか、一人当たり温暖化ガス排出量規準とかが提案されたが、いずれもコンセンサスとはならなかったし、京都議定書の例を見ても、結局は、政治上の妥協に委ねざるを得なくなる。そうなると、政治上の力関係で配分された排出権がその取引を通じて経済上の利益に直結するという市場機能の否定につながることになる。排出の実績を得るために、国のレベルでも、企業のレベルでも、排出削減を遅らせることだって起こり得る。入札によりキャップを配分するという考えもあるが、国レベルでは現実的でないし、企業レベルでは負担が大きくなるおそれがあり、投資の逃避も起こるだろう。

 私は、市場機能を無視する手段は採用すべきでないと考える。もちろん、市場機能は完全ではないし、そのための補正が必要となる場合があるが、その場合でもできるかぎり市場機能を尊重しつつ産業的努力を促すメカニズムを探求すべきであろう。我々の努力は、市場機能による資源の適正配分と地球環境の保全が両立する途の探求に向けられなければならない。

 最近、世界同時不況を克服する手段の一つとしてグリーン・ニューディールを実施すべきだという意見があり、私も賛成である。私は、その場合、需要者が市場で低資源、低炭素の財やサービスを選択する構造を根付かせること、産業技術のパラダイムをグリーン化に向けて抜本的に改革すること、企業が低資源、低炭素構造の実現に経営の重点を指向すること、そして、資源と環境への負担の少ない知的産業を育成することに重点を置くべきだと考える。

 

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