1998年10号

アジアとの 知的ネットワーク形成について

日本語による知的交流の重要性

 経済分野を中心としたグローバル化の進展により、アジア地域においては、近時、共通言語としての英語が知的交流の最も一般的な手段となってきている。

 しかし一方で、日本語やアジア各国語による知的交流も、英語による交流を大きく補完するものとして極めて重要である。とくに日本語による知的交流は次のような理由で重要である。第一に、日本留学経験者は日本語をするばかりでなく、日本に滞在して現実の日本社会や文化を知る一方、母国での社会経験を積んで両方の社会に精通 した知識人であり、文字どおり貴重な国際人である。したがって、彼らを通 じる知的交流によって、我々はより理解度の深いコミュニケーションが可能となる。第二に、英語によるコミュニケーションに不如意を感じる大多数の日本人にとって、アジアの人達と本音の知的交流を可能とする手段は将来においても日本語しかない。

 現状は、英語によるコミュニケーションの限界から、各国の社会に根を下ろしたアジアの国民同士の真の知的交流はほとんど進んでいない状態にある。いずれの国においても、日本留学経験者達は今後の日本社会との知的連携・協力について、種々な期待、構想、夢を持っている。しかし、彼らを取り巻く環境は厳しく、日本社会との知的連携のネットワークが充分整備されていないため、その期待や「思い」(志)は充分満たされない状況のまま今日に至っている。

満たされない日本留学経験者の思い

 アジアとの知的ネットワークの形成でより重要なのは、留学生の数を増やすというような量 的な解決手段ではなく、すでにアジアに散在している多くの日本留学経験者との血の通 ったネットワークを構築するという質的解決手段である。

 日本留学経験者達の多くは、日本が大きく影響力を持つ産業界に活動分野を求めるが、日系企業へ就職した彼らは必ずしもハッピーではない。日系企業は多くの場合、日本留学経験者を単なる日本語がわかる「便利屋」としてしか扱わない。基本的にグローバリズムを指向する産業活動の分野では、アジアに立地する日系企業は英語能力を最も重視しており、日本語がわかるだけの「便利屋」の需要も次第に減ってきている。また、日系企業の場合は、欧米企業に比しローカルスタッフの昇進が遅い。大学卒の資格はアジア各国では知的エリートの象徴であり、日系企業ではその自負心が満たされないとして辞めていく元留学生は多い。

 大学で研究に従事する元日本留学経験者達は、日本の大学や研究機関との交流による文献の入手や共同研究を望んでいるが、その思いはほとんど満たされていない。 政治・行政の分野に進んだ者ついては、最も悲劇的である。日本留学経験者は、欧米留学経験者に比べ、英語能力の面 でハンディがあるだけでなく、そもそも官吏の登用段階で低く評価され、さらには昇進や配置の面 で欧米留学組の系列人事の枠外に置かれている。このため、この分野に進む日本留学経験者は極めて少ない。

国家計画の必要性

 以上のような問題の解決には、従来のように「留学生対策」という狭い枠組みで一部の関係者に委ねるだけでは無理である。アジアとの共生のための国家計画として全社会的な対応が不可欠である。

 まず日本の産業界は、彼らに活躍の場を提供し、彼らの母国での影響力(パワー)の拡大に大きく力を貸すべきであろう。日系企業の第一線担当者が彼等を「将来の日本とアジアの架け橋となるべき知的エリート」として評価し、長期的に育成・支援していく視点を持つことが重要であり、そのためには産業界における意識改革も必要であろう。

 経済・技術協力は、今後重点をハードからソフトへと移していかねばならない。日本がアジア各国に貢献できるソフトは何かを最も適確に認識しているのは、日本と母国の両方を深く理解している日本留学経験者達である。今後我が国の経済・技術協力は、相手国のカウンターパートとして彼らを最大限に重視すべきである。

 大学や教育行政機関は、同様に事柄の重要性を認識し、例えば元留学生の主体的な研究活動を支援する新しい予算(日本の研究者との共同研究補助等)等の制度化を図る必要がある。

 政治・行政の分野においては、例えば母国へ帰って行政官になっている日本留学経験者について、日本の官庁での特別 研修プログラム等を創設することも一案と考えられる。

 日本留学経験者を媒介としたアジアと日本との間の知的連携・協力を増進させるためには、日本社会のあらゆる分野で新しい知的交流のネットワークの整備に着手することが必要である。この流れを推し進めるための仕組みを、官民を挙げて検討すべき時期であろう。

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