経済社会の変革が、様々な角度から問われている。そんななかで昨年の中頃から、アメリカの一部のエコノミストの間で、一つの表現が頻繁に用いられるようになってきた。
「ファースト・イート・スロー」(早いものが遅いものを飲み込む)という表現だ。実は以前は、もっぱら「ビック・イート・スモール」(大が小を飲む)という表現が使われていた。しかしいま、国家や企業の規模の大小ではなく、その変化の速さこそが最も重要な要素として問われるようになっている。
このことはまた、少し見方を変えて、別 の表現で示されることもある。「ウィナー・テイクス・オール」-つまり、早く変化して勝者となったものが市場を席巻してすべてを取る、ということを意味している。
実は、こうした考え方は単なる経験則ではなく、それなりに深い経済理論面 での「基礎」を持っていると考えられる。アメリカでは1980年代中頃から、新しいタイプの経済成長論が脚光を浴びるようになってきた。その直接的な要因は、従来のアメリカ的な経済学が描いていたような、市場を通 じた「神の見えざる手」による資源の配分以外の方法で、アジア太平洋の経済が急速な発展を遂げてきたことと深く関連している。具体的に、一連の議論を通 して明らかになってきたのは、現実の経済が従来考えられていた以上に、「規模の経済性」や「ネットワークの経済性」を持っているという点である。
例えば、ハイテク産業に代表されるように多額の研究開発投資を伴う産業では、生産規模を大きくすればするほど平均費用が低下し、それによって競争力を発揮することができる。また、情報関連産業で幅広く見られるように、先にシステムを解放して、利用者が多くのソフトを使えるようにすることによって、圧倒的な競争力を持つことが可能になる。いわゆる「デファクト・スタンダード」は、こうした範疇に入る。従って何らかの理由で早くシステム作りや事業をスタートさせた所が、結果 的に圧倒的な優位をもつことになる。 経済学の分野では「ファースト・ムーバーズ・アドバンティッジ」と呼ばれる考え方が存在しているが、これは明らかに先のファースト・イート・スローと同様のことを意味するものである。
従って、例えば政府が早く規制を緩和し、新たな事業をスタートさせられるような社会であれば、その中の企業は大きな優位 性を持つことになる。これまで、後発の工業国であった日本は、ある時点で企画を統一してスケールメリットを発揮し、一気に先進社会に追い付くというパターンを採ってきたが、こうした方式はもはや通 用しない。最初の一歩に遅れることによって失う利益は、従来とは比較にならないほど大きくなる可能性がある。
残念ながら、変化の「速度」という視点からする限り、日本は極めてパフォーマンスの良くない国である。近年様々な形で政策議論の中心となっている経済構造改革-具体的に行政改革や規制緩和-も、すでに十年以上も政策のメインテーマとされながら、一向に成果 を上げることができなかった。例えば、第一次行政改革審議会が設立されたのは、1983年のことである。また、規制緩和と内需拡大を唱えた「前川レポート」が公表されたのも、11年前の1986年のことである。以降、様々な構造改革論議が行われ、近年の各内閣は軒並み「行革」を最大の政策課題として掲げてきた。もちろん、80年代については国際社会との調和をはかるという、いわば対外的な側面 に重点があったのに対し、近年はバブル後の停滞を克服し、経済を活性化するという国内的な面 に重点が置かれている。しかしいずれにしても、こうした構造変化は遅々として進まず、むしろ変化の著しい世界の中で相対的に日本経済は後退している。という実感が広がってきた。
変化の速度に関していえば、今や様々な分野で、多少の混乱があったとしても、大幅な改革を一気に行うような「ショック・セラピー」(ショック療法)を導入するという姿勢が必要ではなかろうか。実は、橋本首相が掲げた金融市場に関するビックバンは、明らかにこのショック・セラピーに相当する。そもそもビックバンは1980年代半ばにイギリスの証券市場の自由化措置を指すが、日本では金融市場全体について一気にこれを行おうという点に特色がある。
これに対しては、日本社会ではより漸進的なアプローチが必要であり、ショック・セラピーは馴染まないといった声も聞かれる。しかし、歴史を振り返ると、日本は決してショック・セラピーの不向きな国とは言えないことに気づく。例えば明治維新における社会の諸制度の改革は、世界の歴史に残るショック・セラピーだった。また第二次大戦後の民主改革も、同様に極めて大きな改革を一気に実現したものだった。むしろ日本は各時代の節目節目に、新しい環境に適応した巧みな社会システムの大改革を行うことによって今日の発展を築いてきたのである。
日本の潜在的な経済力は決して小さくない。しかし、変革の"速度"が問われている今、これ以上、問題の解決の引き延ばしをすることは、自らの潜在力を低下させることになるだろう。いまや様々な分野でのショック・セラピーをも視野に入れた、改革の断行が急がれる。