3月中旬、リオデジャネイロで行われたRIO+5の会議に参加する機会があった。92年のリオサミット以来5年ぶりの再訪であった。
RIO+5は、リオサミットのフォローアップの一環として、今年6月に開催される国連環境特別 総会に向け、主としていわゆるシビルソサエティのメンバー(NGO、政策研究所、産業界)約五百名が集まり、アジェンダ21の進捗状況を点検し、必要な勧告をを行うための会合である。
持続的開発の達成に向けては、各国政府のみならず、他の多くのステークホルダー、なかんずくシビルソサエティの成員の参加が重要であるということは今日の一般 化した認識である。我が国でも、最近、持続可能な開発に関する国民評議会(JCSD)が設立され、政府、NGO、産業界が対等なパートナーとして、政策決定過程に参加する場が形成されている。多くの国でも同様な組織(NCSD)が作られており、これらNCSDがRIO+5の準備過程で中核的役割を果 たしたわけである。
RIO+5の狙いの一つは、シビルソサエティのメンバー間の相互学習とそれぞれのエンパワーメントであり、この面 では、RIO+5の七日間は、参加者の間に強い参加意識をもたらし、また、個々人が政府等に頼るだけではなく、自らが行動することが重要であるとの意識の下に、それぞれ一つのコッミトメントを行うなどの盛り上がりが見られたというという点で、新しい政策決定のプロセスのあり方の一面 を象徴するものであった。
他方でこのプロセスは、本当に重要なことを決定するのに適しているか否か疑問を持つ人も少なくなかった。ある日本からの参加者は、このプロセスを「学園祭ののり」という秀抜なたとえで表現したし、RIO+5に深く関係していた英米のシンクタンクのヘッドも口を揃えて、十分な専門的な議論のないまま、物事を決めていく、このプロセスに懸念を表明していた。
一つの政策を決定するには、いうまでもなく、「参加」が必要であり、同時に「専門家による慎重なオルタナティブの分析と適切なオプションの提示」が必要である。しかし、RIO+5の多少の混乱にも見られるように、この二つをどのように組み合わせるかは、かなり難しい問題である。専門家の意見があまりにも巾をきかすと、参加コミットメントの意欲がそがれると思われるし、「参加」をあまりにも強調すると、専門家の意見は軽視される傾向が生ずる。我が国では、今「官僚バッシング」が盛んである。これまで官僚機構があまりにも政策決定過程を独占してきたことの反動として、我が国の最強の専門家集団である官僚機構の力を削ぐことが必要であるかのごとき議論すら見られる。他方で「シビルソサエティ」の強化が主張されているが、「シビルソサエティ」側の専門家集団である独立のシンクタンクは、なかなか育たない。
こうした背景の下で、我が国では「参加」も不十分、「専門家集団による政策選択に関する討議」も不十分といった過渡期の混乱があるように思われる。巻町や御蒿町で生じている原子力発電所の立地や廃棄物処理場の建設をめぐる混乱はなかなか問題の解決の緒口が見出せない状況にあるが、このような事態は、政策決定についての適切な仕組みが欠けていることから生ずる多くの類似の事態のうちの幾つかの事例にすぎない。よりよい政策決定プロセスの構築が急がれるところである。最近この分野は、「新しいガヴァナンス」の問題と称され、多くの関心を集めている。RIO+5そのものの主要主題も、ローカル、ナショナル、グローバルなレヴェルでのガヴァナンスの問題だったし、最近スットックホルムにグローバルガヴァナンス研究所がランファル氏の指導の下に形成されたところでもある。地球産業文化研究所としてもこのようなグループと連携しつつ、ガヴァナンスの問題を主要な研究課題として追求していく必要性を痛感している。
RIO+5の最後のセッションでの主催者のモリス・ストロング氏の挨拶も私にとって印象深いものであった。同氏はもろもろの感慨を込めて、「こうした会議の終わりにあたっては、いつも何らかの満足感、達成感を持つが、同時に、依然として、手についていないことが山のようにあるとの思いを深くする。」と述べていた。リオサミットから5年、地球環境や持続的開発に関する大規模な国際会議はいくつも行われてきた。しかし、こうした会議がどこまで問題の解決に貢献してきたと言えるだろうか?最近実施された旭硝子財団の世界の有識者約四百名程度を対象としたアンケートの結果 では、リオサミット以降の5年間、前進したのは市民団体や自治体の参加の拡大だけで、実質的な面 での対策は気候変動問題であれ、森林対策であれ、ほとんど進んでいないという認識が示されている。リオの街を5年ぶりに訪問してみても、外観上美しいイパネマ海岸の家庭排水による汚濁は、そのままだし、リオの夜を輝かすファベーラ(スラム街)もその規模を増やす一方である。
一方で市民や自治体の環境問題への意識の高まりがありながら、実質的対策はこれまであまり進まないという矛盾の原因は、何処にあるのだろうか?一人一人の個人がそれぞれ、自らの身辺で出来ることについて、着実に実行することが大切なことは言うまでもないが、同時にそれを超えた大きな流れについて、冷静に認識することも必要だろう。曰く、人口爆発のイナーシャが当分の間続くこと、南と北の間では持続的発展に関する理念に違いがあり、相互不信があること、グローバリゼーションに伴う競争激化に伴い、企業が環境に配慮する余裕がなくなってきていること(最近の企業の環境R&Dに対する支出の激減は、その一つの現れである。)、等々が問題の解決を複雑なものにしている。
地球産業文化研究所は、こうした問題を解きほぐすことを目的として、これまで長期の持続可能な社会像(サスティナビリティ2050)、人口安定化のヴィジョン(静止人口社会)、南北間のパートナーシップのスキーム(環境技術移転のための早期行動計画)の構築等の分野で政策提言を行ってきた。グローバルな資源環境問題、グローバリゼーションのもたらす諸問題、グローバルガヴァナンスの問題等、地球的課題が山積する中で、地球産業文化研究所は、来年1998年末で10周年を迎える。我が国において、政策分析提言グループの役割への期待は、大きくなる一方である。これまでの地球産業文化研究所の遅々たる歩みに内心忸怩たるものを感じつつも5年ぶりのリオ再訪を契機に、日本における政策論争の活性化に少しでも貢献したいと念ずるものである。