1851年10月11日に、ロンドンで開幕した史上初めての万国博覧会は、当時としては驚異的な6,039,195人の入場者を記録した。それから150年後の紀元2000年6月1日から、10月31日までの5ヶ月間、ドイツのハノーファーにおいて26回目のまたドイツでは初の万国博覧会-エキスポ2000ハノーファー-が開催される。
2月6日、7日にハノーファーにおいて、関係各国の主要NGOを対象にしたエキスポ2000ハノーファーの意見交換会が開かれ、我が国からはRITE(財団法人 地球環境産業技術研究機構)とGISPRIが招請に応じて出席した。本稿ではエキスポ2000ハノーファーの概要と説明会で得た印象を紹介する。
万国博覧会の歩みを文末に添えた簡単な年譜により振り返ってみると、電話機、蓄音機、電車、テレビジョン、人工衛星といったそれぞれの時代の技術の到達点を示す展示がなされてきたとともに、水晶宮、エッフェル塔、フーラー・ドームのように人間の生活空間に新たな領域を提示することを試みた建造物が造られてきたことがわかる。また、1970年に開催された大阪万博が、我が国の社会に様々な影響を及ぼしたことは記憶に新しい。
エキスポ2000では、従来の万博が技術の進歩が人類に対し常にプラスの影響を及ぼすとの前提に立っていたことを見直し、21世紀を迎える節目をとらえて、人間と自然、技術が相互に調和のとれた共生と発展をとげるべきことを基本的なテーマとし、以下の5つの領域に分けてそれぞれ具体化、見学者に訴えていく計画である。
第1は、パビリオンあるいは会場展示ホールにおける参加各国・機関による出展
である。ここでは、基本テーマに沿って各国がそれぞれ固有の文化的・社会的伝統をふまえて、未来に向かってどのように進んでいくのかを提示することになる。
第2は、エキスポ2000の中心となるテーマパーク
である。テーマパークは、エキスポ2000ハノーファー有限会社が準備と運営を担当し、100,000平方メートルの会場に次の7部門のパビリオンを設置し、21世紀を迎えるに当たり未来の諸問題を解決するための世界中から選ばれた代表的な構想を展示する。
基本物質のパビリオン:「持続的発展」をテーマに、リサイクル、省エネ、水利用等に関する技術を展示する。
知覚/感覚のパビリオン:「健康と栄養」をテーマに、人口増加と産児調節、栄養失調、心身両面 の健康、医学の可能性と限界、身体障害者との共存等について展示する。
生活のパビリオン:「住まいと職業」「余暇と健康」とテーマに、労働の未来、家族と社会構造の発展、育児、生活と住居に関するモデル、モビリティーと環境、公共交通 機関と個人の交通手段、ライフスタイル等について展示する。
参加のパビリオン:「現代の人類は未来の形成にいかに関与し、また世論形成や意思決定にどう関わっているのか」をテーマに、多数決、社会的責任、人権、政治と民主主義の発展等について展示する。
宗教と哲学のパビリオン:「宗教、哲学は未来への問いかけに如何に解答するか?」をテーマに、非物質的・精神的世界観、人間とは何か?、等について従来の思考、感覚、知覚、コミュニケーションを超えるような展示をする。
幻想のパビリオン:「壮大なイメージ、構想、希望はまだ存在するか?」をテーマに、未来の実験室を作り映像と音で仮想体験する。優秀な作品は表彰される。
第3は、ドイツ内外で実施されるプロジェクトである。
第4は、文化の領域で、芸術、スポーツ等のイベントを開催する。
第5は、エキスポ村で、博覧会場の外に作られ、エコロジー、経済、文化、社会の各観点から見て都市開発の新機軸を開くもの
となる。一般に公開され、万博終了後は新しい市街地となる。
またインフラ面を見ると、博覧会場は、国際見本市等で我が国にもなじみの深いドイツメッセAGの90ヘクタールに、新規に開発された70ヘクタールを加えた、160ヘクタールの広さがあり、1日当たり30万人と見込まれる観客の輸送のため、環境に優しい新交通 システムが導入されるとともに、ハノーファー国際空港の拡張も進められている。
今回の会議では、テーマパークで実施されるインターナショナル・プロジェクト・プログラムの内容及び応募要領の説明とそれに関する意見交換が行われ、WWF(世界自然保護基金)、IUCN(国際自然保護連合)UNEP(国連環境計画)等から20名のNGOメンバーが出席した。地域・国別 内訳は、EU:12名、アフリカ:3名、メキシコ:1名、インド:1名、カナダ:1名、日本:2名である。主催者側からは14名が出席、またエキスポ2000のインターナショナル・アドバイザリー・ボードからもホハライトナー議長(ローマクラブ会長)、ボテロ副議長が参加された。
会議全体を通して強く印象に残ったことは以下の3点である。
先ず挙げなければならないのは「環境」という言葉の持つ意味と内容の広がりである。従来「環境問題」といえば、主として自然環境と人類の発展を如何に調和させていくかが中心的なテーマであり、その解決には技術の進歩に、経済学からの知見を織り込んで方策を考えていくことが主流とされていたように思う。しかし、各NGOと主催者の間で交わされた公式・非公式の議論では、特に環境問題の解決に向けたアプローチの第一歩として、人間とその生活を改めて把握し直すことが必要であるとの認識が共通 のベースとなっており、方法論的には、工学、経済学だけではなく、社会学、宗教学、哲学、文化、政治学、文化人類学等を全面 的に取り入れた、いわば新たな学問的パラダイムを切り開く必要があるとの強い信念が感じられた。
次はNGOの役割とその重要性である。今回、主催者側が特にNGOを対象に説明会を開いた理由は、エキスポ2000参加各国に対する強い影響力と、世論形成に対する役割を高く評価したからに他ならない。実際、参加各NGOメンバーは豊富な国際経験を持つ個性豊かな人材揃いで、主催者側の示した応募条件を参加者側に有利なものに変えていくことを目指したロビー活動に於いても、その情報収集・分析力及び交渉術には舌を巻くことが多かった。また彼らには、とりわけ環境分野における国際的な取り組みにおいてNGOがコーディネーターとして中心的な役割を果 たしていくとの、強い自負心が感じられると同時に、それに対する責任の重さを十分自覚しているように思われた。
最後は我が国に対する期待である。我が国は従来から技術移転、共同実施等を通 して環境問題解決に向けた国際的な取り組みに積極的に貢献してきているが、技術的な側面 に重心が置かれていたことは否めない。他方、我が国の発展における固有の社会・文化的側面 については、これまでともすると我が国の特殊性を諸外国に強調し対外摩擦等を回避するための理論武装に用いてきたきらいがある。しかし今後我が国に求められるのは、むしろそうした固有の要因に普遍的な側面 を見いだし評価した上で、環境問題の国際的な取り組みの中で積極的に共有化していくことである。またそのような活動を進めて行くに当たっては、人材・組織・資金の各面 で国際的な水準に達したNGOが育ち、コーディネーションを行っていくことが必要である。
そのような意味で、エキスポ2000は21世紀への入り口に立って、我が国が環境分野の国際的な取り組みにおける貢献に新たな道を切り開き、提示する格好の場となるように思われる。我が国サイドからはすでに当研究所の顧問である福川伸次電通 総研社長が、インターナショナル・アドバイザリー・ボードに加わられ様々な貢献をされておられ、また、2月7日には、エキスポ2000への参加が閣議決定されたが、今後は、各機関、各企業による積極的な取り組みが期待されるところである。あわせて、エキスポ2000ハノーファーの成果 を引き継ぎかつ発展させ、「新しい地球創造:自然の叡智」をテーマに2005年に開催される予定の愛知万博が実現することを強く期待するものである。
1851年:ロンドン:
英国の建築家ジョセフ・パクストン卿が全面 が、ガラスで覆われた温室-水晶宮-を建て、中では熱帯産の睡蓮を観賞することができた。これは世界で初めての、鉄のフレームを用いた建造物でもあった。
また、米国のシラス・マコーミックは刈取り機を発表し、その優れた性能により世界中の穀物畑で草刈りがまに代わり用いられるようになった。
1855年:パリ
1862年:ロンドン:
不燃性の布が発表され、これで作られたスカートが大流行した。(それまでは、暖炉の火がスカートに引火する事故が多かった。)
1867年:パリ
1873年:ウィーン
1876年:フィラデルフィア:
アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発表し、話題を独占するとともに金メダルを受賞した。
1878年:パリ
1880年:メルボルン
1889年:パリ:
トーマス・アルバ・エジソンが蓄音機を発表した。また、エッフェル塔が建築された。
1893年:シカゴ
1897年:ブリュッセル
1900年:パリ:
世界初の電車が発表された。時速120キロを出す性能があった。
1904年:セントルイス
1905年:リエージュ
1906年:ミラノ
1910年:ブリュッセル
1913年:ヘント
1915年:サンフランシスコ
1933年:シカゴ:
大型スクリーンを持つテレビジョンが展示され人気を集めた。(1929年に初のテレビジョンが発表された時には、スクリーンが葉書大のサイズであったことから注目されなかった。)
1937年:パリ
1939年:ニューヨーク
1958年:ブリュッセル:
ハスキー犬ライカを乗せて初の宇宙飛行を行ったスプートニク号がソ連館に展示され、数百万人の人々が訪れた。
また万博のシンボルとして、ガラス性の9個の原子模型を作り、それを1,000億倍に拡大して万博会場の敷地に建設した。アトミウムと名付けられた球の最大直径は102メートルあり、リフトが見学者を数秒で球の天井まで運びあげた。
1967年:モントリオール:
米国館を覆うために、リチャード・バックミンスター・フーラーが設計した通
称フーラー・ドームが話題をさらった。石鹸の泡でできた巨人のようなガラスとスチールでできたこのドームは、76メートルの直径もさることながら、人の腕くらいの長さしかない台座の上に乗っていることで人々を驚かせた。
1970年:大阪
1992年:セビリヤ