就職協定が廃止され、企業、学生双方とも手探りながらもリクルート活動が進められている。中には有名大学卒業の社員を中心としたリクルーター制採用方式をやめたり、インターネットを使ったアクセスを取り入れたり、企業によっては従来とは異なる、新しい採用方法が試みられるケースがあるのは新聞などで報道されている通 りである。
一方、入社式で、トップ・マネジメントが新入社員に、「専門能力を磨くこと」「社外(世間)で通 用する実力を身に付けること」を求める事例がみられることもまた報道されている通 りである。90年代に入って日本企業においても年功給制度の見直しや能力給・業績給の導入を計る動きが相次いでいるが、こうした動きの背景にも社員ひとりひとりの専門能力アップを通 して競争力の強化を図ろうとする日本企業の姿勢が感じられる。
目を大学に向けると、戦後大学教育のひとつの特徴であった教養部(大学1・2年生を対象とする一般 教養教育組織)が解体され、全国の国立大学から姿を消している。残っているのは東大駒場ぐらいである。解体された教養部は各学部に吸収され、大学教育は学部による4年一貫教育へと移行しようとしているのである。高校教育の繰り返しのようだとして一般 教養教育の評判は芳しくなく、5月病の原因のひとつとも言われてきたことから、学生サイドからも専門教育体制への移行に抵抗はない。
このように、企業、大学、学生のいずれもが高い専門能力を求め、専門教育の充実を追求する姿勢をみせていることからすれば、日本の企業システムに適合的な人材像やその育成システムの変革へ向けて、社会のベクトルがうまく合っているようにみえる。
ところが、実際に束京、大阪などの企業を訪問して、人事部長など企業の担当者から各社の採用方針などについてヒアリングを行なうと、そこで直面 するのは相変わらず、「明るく積極的で、職場でうまくやっていけるタイプ」という企業側の求める人材像であり、「人物本位 で採用するので、大学の成績は重視しない」という採用基準・方針である。
こうした人材像や採用基準はほとんど大学の存在意義や専門教育の価値を否定するものであると言ってもよいであろう。こうした見方が専門能力を重視する社会やトップ・マネジメントの新しい人材感に対応できない、人事部門の古い体質に過ぎないのかと言えばそうではない。人材の需要側である企業内各部門の責任者にインタビューしても答えは同じなのである。例えば、経理部長に、「会計や経理の専門知識に秀でた即戦力の新入社員が欲しいかどうか」「他の部門に配属されるぐらいなら入社したくないというほど経理指向の強い社員が望ましいかどうか」について聞くと、ノーという答えが多い。「会計や経理の専門知識は入社してからのOJTでも十分間に合うが、学生時代に基礎学力や思考能力を十分に磨いているかどうかが入社後の伸びに大きく影響する」というのである。
大学に専門知識の習得ではなく、人材の育成を求めるこうした考え方は時代遅れであり、21世紀に通 用しないものなのであろうか。
21世紀を目前とした今、日本の経済社会は明治維新、戦後改革期に次ぐ大きな転換期を迎えていると言われているが、変革期における教育という意味で、幕末、長州藩の吉田松陰、松下村塾の事例について調べてみると、松陰の教育方法は『孟子』『資治通 鑑』などのテキストの字義、解釈ではなく、むしろそれを題材にして松陰自身の考え方、問題意識を展開していくスタイルであったとされる。テキストそのものも画一的に指定するのではなく、塾生の個性に応じて適宜与えられ、講義に加えて「会読」「討論会」(今で言うゼミ)や「課業作文」(レポート)が組み合わされるなど、人材育成を目指した総合的な人間教育が行なわれていたと考えられるのである。
松陰の狙いは、自分の目で見、自分の頭で考え、自分の言葉で表現し、自ら行動する精神の形成にあったように思われる。質問し、討議し、互いに切薩琢磨することを奨励したことと、自分の知識、間題意識を塾生たちに問い掛け、ともに真理を追究しようとする松陰の情熱とが相侯って若い塾生達の魂を揺すぶったのであろう。実際に、松陰の思い通 りに多くの人材が自ら考え、行動する道へと羽ばたいて社会を動かしていったとすれば、教育に「個々の知識ではなく、人材の育成を求める」考え方は必ずしも誤ってはいないと考えられる。松陰はまた、人材育成を目指した教育に併せて『農業全書』や『経済要録』などをテキストとして使うなど、実践的な知識教育も行なっており、松下村塾の事例から考えれば、人材の育成と実践的な專門教育とは必ずしも矛盾するものではない。
米国に目を転ずれば、「大学で一般教養中心の教育、専門教育はロー・スクールやビジネス・スクールなど大学院で」という仕組みもある。日本の企業システムにおけるOJTが米国における専門大学院の役割に等しいと考えれば、企業の必要とする人材像やその育成方法には、案外日米の違いを超えた共通 点があるのかもしれない。