冷戦後の世界の貿易秩序
我々は冷戦期間の50年間をどのように理解すべきであろうか。
この50年間はやはり特異な時期だった。それはアメリカがリーダーシップを執って旧ソビエト連邦に対抗すべく、非常に普遍的な価値観を求めたことだ。
アメリカの普遍性には二つの側面 がある。第一に、アメリカ流の経済活動は西欧諸国に共通である。第二に、(西欧起源ではあるが)リベラルデモクラシーである。
アメリカには、世界に覇を唱えた時代のイギリスとは明かに異なる特徴がある。アメリカは19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、多くの移民をヨーロッパから受け入れ、多民族国家への道に拍車がかかった。イスラエル・ザングウィルのThe Melting-Potはそれを称揚した。
アメリカ経済は如何なる人にも、ビジネスに対して平等な機会が開かれている。ヨーロッパのような歴史的伝統がなかったこと、この経済的な意味での機会の平等とが大量 生産、大量消費の文明を創り出したのだろう。
ある意味で、冷戦体制はアメリカの掲げた普遍性に利する働きをした。というのも、アメリカとソビエト連邦がイデオロギー的に対立したため、経済的普遍主義とリベラルデモクラシーは求心力を保ち得たからだ。
となると、冷戦体制の終了はアメリカの掲げた普遍性の終了でもある。
70年代、80年代以降の世界は経済的に相互依存が増すようになった。冷戦終結とともに、民族紛争の多くが表面 化したように、冷戦時より深刻な経済的利害対立を生む可能性がある。
そこで今、自由貿易が声高に叫ばれている。歴史上、自由貿易が機能したと考えられる時代は、イギリスやアメリカの非常に強いリーダーシップが発揮されていた。強者の論理という側面 があるものの、ある大国が貿易ルールを確立するとともに、経済小国に対して技術供与、資金援助、投資等の便宜を図っていくことで、世界の経済秩序が維持された。
アメリカの経済的普遍主義はアメリカ経営のみならず、産業技術の移転をも促進した。とりわけ、自動車、電機、機械、コンピュター関係は程度の差こそあれ先進国共有のものとなった。ハイテク技術が主体になるにつれ、ある国が総体的な優位 性を持つことが困難になる。一方、ある種の先端技術を開発・応用するレベルが高い国は非常に大きなメリットを持つことになる。
これは経済問題というより教育の問題、研究開発投資の問題、或は企業内の技術者訓練の問題である。
自由貿易の理論は、これらの要因(教育システム、企業内の技術者教育等)は、変数ではなく、与件と考えられていた。ところが、10年程前から、従来、市場経済にとって与件であったものが、戦略的変数になってしまった。
こうして見ると、自由貿易が冷戦後の多極化した世界でそのまま機能するとは思えない。
市場競争についても、同様のことが云える。市場競争を100%善としてきたアメリカの経済学は、様々な経済的要因以外は与件として、そのもとで市場競争には大きなメリットがあると考えていた。しかし、その与件が甚大な影響を経済に及ぼすことがしだいに明らかになってきた。
世界の貿易を安定に導くためには、何を何処までという競争の分野・領域が明かにされなければならない。何故なら、日米間では競争の解釈そのものも異なるからだ。市場競争を支えるある種のバックグラウンド、特に文化の違いを相互に認め合うことが必要だろう。
これから、アメリカ、ヨーロッパ、日本が世界貿易秩序のバランサーとなることかが期待されるが、その中でも、来年1月に設置される予定のWTO (World Trade Organizafion) が重要な役割を担うこととなるだろう。
国際経済協調に向けての日本経済への変革の要請
最近、経済学者の中で注目されているのが1940年だ。このころから、今日的企業理念、謂わば企業をコントロールする仕組みの多くが確立した。
第一に、株主の地位 の低下、第二に、それによって、従業員の発言権が増し、従業員から経営者になる人も現れるようになったこと、第三に、銀行が単なる出資者からメインバンク化したこと、等である。
このシステムは日本が高度成長の時にはそれなりの合理性を持っていたが、今や変革を求められている。
例えば、高齢の労働者に貢献度の低下にも拘らず高賃金を保証する年功賃金はOJTには好ましい制度だった。日本が海外の技術にはキャッチアップし、効率的に技術を習得した時代にあっては、外部の専門家に頼るのではなく、企業内教育で学ばせるのが一番よかった。
日本経済に於て、大企業は経済のコアだが、中小企業の一産業に占める付加価値比率は高い。それは大企業が仕事のプロセスの多くを中小企業に生産委託しているからだ。年功賃金によって大企業の資金体系は硬直化している。需要によって変動があるところを中小企業に吸収してもらった訳だ。
これらは制度的補完関係と呼ばれる。企業の組織構造や企業行動、企業の理念というものは全て一体であって、ある一つの部品を外して他のものに換えることはできないという性質を云う。
制度的補完関係には二つの側面 がある。
第一に、メインバンク・システム或は終身雇用制度を廃止しても、他の要素が変わらないと全体は変わらない。第二に、一旦、何処か閥値を超えると、変化が連鎖的に起こる可能性がある。
だか、現在大きな環境変化が起きている。かつて、日本は小国であり、技術はキャッチアップの状態であり、若い経済は高度成長を誇っていた。ところが今や、わが国は世界GNPに占める比率は15%を超える大国となり、技術はフロンティアに至り、高齢化が進み低成長経済となった。
高成長から低成長への移行、或は高齢化が進むことによって、終身雇用を維持することは不可能となる。
経済学は企業内を内部労働市場、企業間を外部労働市場と呼んでいる。この両者は極めて補完的関係にある。今までわが国は、この内部労働市場が活性化していたため、企業間を自由に動き回る外部労働市場の成長の余地はなかった。
だが、終身雇用が崩壊し、自由に転職して高賃金を得る人が増えてくると、両者の関係は逆転する。一生懸命、社員に技能を習得させても、その技能を持って高い賃金の会社へと転職するようになれば、社内のOJTがやりにくくなる。
わが国の企業は、技術がフロンティアに達したことで外国から学ぶものが少なくなっており、どうしても自社で開発・研究を行わなければならなくなる。この点でも、OJTは余り良いシステムとは云えず、やはり専門家の知恵に頼らざるを得ないだろう。
更に、もう一つの国内的要因が今までの日本型システムの変革を要請している。輸出財産業の生産性と、それ以外の非貿易財産業の生産性のギャップである。
輸出財産業はまさに国際市場でオープンに競争にさらされているが、非貿易財産業は競争を免れ、ある意味でその国の事情で変化する。
日本の産業構造の特徴は、産業間の生産性上昇率格差が著しいということだ。
円高もわが国への変革要請の一つである。
1985年、わが国の一人当りGDPは約1万$だったが、昨年その数字は3万$を超えた。恐らく、この間世界中どこにも所得が3倍になった国はないだろう。その犯人は云うまでもなく為替である。円高によって、日本のマーケットが我々が意識する以上に大きくなったのだ。
1982年、世界の銀行ランキングに名を連ねた邦銀は1行だったが、1988年には1位 から8位までを占めるに至った。これは銀行を資産で評価したためだが、要するに円の購買力の大きさを物語っている。加えて、カラーTVの製品輸入比率の急上昇に象徴されるように、製品輸入の増加がわが国の貿易構造を変えていく。
よく云われることだが、高齢化が進んで貯蓄率が下がれば、日本の経常収支の黒字は減少し、場合によっては赤字に向かうだろう。これも産業構造の変化のトリガーになるかもしれない。