令和元年度 排出クレジットに関する会計・税務論点等 調査研究報告会要約


■ まえがき ■

 2015年パリで行われたCOP21/CMP11において、2020年以降の新たな気候変動に係る国際枠組みを規定するパリ協定が採択された。パリ協定は京都議定書と異なり、全ての国が参加する画期的なものであり、市場メカニズムの活用やイノベーションの重要性も位置付けられた。2018年のCOP24 では、パリ協定実施規則の策定に向けて各国間での交渉が行われ、パリ協定の実施指針が採択され、全ての国の参加を前提としつつ、途上国に柔軟性を持たせ、各国が国別約束(NDC)に係る情報を提供し、相互に確認し、行動を引き上げていく仕組みができあがった。COP25では市場メカニズム等の実施細目については合意に至らなかったが、気候変動問題への効果的、加速的対処を求める社会的な要請は、特に若い世代を中心に高まりを見せている。
 当研究所では、過年度から京都メカニズムの会計・税務問題について調査研究を進め、国内排出クレジットに関する会計・税務問題についても幅広い調査研究を実施してきた。そこで今年度は、これまでに蓄積してきた知見をベースに、会計・税務の観点を踏まえて、引き続き、気候変動に関する諸問題についての最新動向等について調査研究を行い、産業界さらにはわが国としての気候変動対策の推進に資することを本委員会の趣旨とする。


■ 名 簿 ■

委員長: 黒川 行治 千葉商科大学 大学院会計ファイナンス研究科教授
慶應義塾大学教授 名誉教授 
委 員: 伊藤  眞 公認会計士
委 員: 大串 卓矢 株式会社スマートエナジー 代表取締役社長
委 員: 髙城 慎一 八重洲監査法人 社員 公認会計士
委 員: 髙村ゆかり 東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
委 員: 武川 丈士 森・濱田松本法律事務所 パートナー 弁護士
委 員: 村井 秀樹 日本大学 商学部・大学院教授
(五十音順・敬称略)
(令和2年3月現在)
事務局  
     蔵元  進 一般財団法人 地球産業文化研究所 専務理事
     前川 伸也 一般財団法人 地球産業文化研究所 地球環境対策部長 主席研究員
 
(令和2年3月現在)


■ 第1章 開題 ■

2019年度排出クレジットに関する会計・税務論点等調査研究委員会開題

                      -新型コロナウイルスの蔓延の脅威に直面して-

委員長 黒川行治


 1.新型コロナウイルス発生の影響-第2回研究委員会の開催中止


 2019年度排出クレジットに関する会計・税務論点等調査研究委員会は、当初例年と同様に、2019年12月と翌2020年3月に開かれる予定であった。12月26日の研究委員会では、第1議題として、高村ゆかり委員から「COP25の結果と今後の見通し」と題して、例年同様にCOPでの審議の動向に関するご講演をいただき、さらに取材活動をした当研究所事務局から、新聞などでは報じられない現地の様子について報告を受けた。また、第2議題として、三菱UFJモルガンスタンレー証券(株)の吉高まりオブザーバーから「ESG投資の最新動向-サステナブルファイナンスとTCFD-」と題するご講演をいただき、委員およびオブザーバー各位によって両議題に関する活発な意見交換がなされた。
ところが、2020年に入り、にわかに中国武漢周辺で、新型のコロナウイルスによる肺炎の蔓延が明らかになり、わが国でも2月下旬になって、国内での感染例が急増し、政府の感染防止の観点からの閉鎖空間での講演会や会議、コンサートや舞台、さらに人の多く集まる遊園地や各種イベントの自粛要請によって、3月に開催予定であった上記の活動のほとんどすべてが全国的に中止あるいは延期となる事態になった。当研究委員会も委員およびオブザーバー各位の健康を第一に考え、3月3日に予定されていた第2回研究委員会は中止されることになった。したがって、本報告書に掲載される講演および報告資料は、第1回研究委員会の内容に限定されている。

 2.あらためて自然の脅威を感じる


 地球温暖化により、世界各地の季節外れの異常な高温日の頻繁な現出、結果としての平均気温の上昇が観測されただけではなく、海面からの水蒸気の発生の増加により、積乱雲などの厚みがましての集中豪雨、勢力が維持されたままでの中緯度地域への台風の接近・上陸、海面上昇による影響もあってのさらなる高潮など、日本のみならず世界各地での土砂災害、水害が報告されている。さらに、地球温暖化の人間社会に与える負の影響は、感染病を引き起こすウイルス・細菌などの宿主となる生物の生息域の拡大により、比較的高緯度にある先進国にも低緯度地域の感染病の蔓延が危惧されている。
 この開題を記している現在、新型コロナウイルス蔓延の脅威の渦中にあるので、冷静に考えれば、地球温暖化現象との因果関係を想定するのは非科学的な推論であることは分かっているのであるが、しかしそれでもなお、人類による地球環境への負荷が、豪雨などの自然災害の増大だけではなく、ウイルスなどの微生物による人類の免疫力への挑戦・脅威ともなってきたと私には思えるのである。
ウイルスの存在自体を自然界における悪と見なすことは自明ではない。コロナウイルスが人間という種を宿主として増殖するのは、生物としての種の存続・発展という普遍的な目的の遂行にすぎず、それが悪であると見るのは人類という種の存続にとっての負の影響・脅威となるので、正確にいえば,人類にとっての悪なのである。後述する環境哲学で言えば、「環境主義」に依拠し、人類をそれ以外のすべての生物とは別の特別な存在と考える「二元論」を暗黙の前提として、私には人類に対する自然の脅威と感じられたに違いない。

 3.新作歌舞伎の「風の谷のナウシカ」を観る


 「風の谷のナウシカ」は、アニメファンのみならず、35年前のスタジオジブリ映画を通じて、その名前およびおおよそのストーリーを存じておられる方が多いと思う。「風の谷のナウシカ」の原作漫画は全7巻からなる長編で、アニメ映画は、とくに前半の原子力兵器による人類自らの文明社会の破壊とその後の地球環境の汚染という、現在、私たちが直面している人間の無限の欲望、原子力技術の進展、そして地球環境の破壊に焦点があたっていたように思う。9年前の3月11日に起こった東日本大震災後の福島第1原子力発電所のメルトダウン、その後、現在に続く放射能汚染地域の長期におよぶ復興過程、依然続く汚染水の増加は、多くの警鐘をならす著作物とともに映画「風の谷ナウシカ」の歴史的遺産の価値を高めている。
 しかし、全7巻の原作の「風の谷のナウシカ」は、地球環境問題を超えて、信仰・宗教とは何か、個体の生命と死とは何か、生命科学と人工知能(AI)の進歩の行く末など、結局、人間とは何かという「哲学」の究極の存在に主題が発展している。宮崎駿氏の原作は、アニメーション専門誌の月刊「アニメージュ」で1982年から連載が始まったが、私たちが知っている「天空の城ラピュタ」(1986年)、「紅の豚」(1992年)などのジブリの名作アニメ映画の製作・監督のため、何度か中断し、1994年3月号になってその連載は終了した。日本では原作漫画が空前のヒットとなり全7巻が累計部数1600万部を超えたとされている。(注1)
 ちなみに、私の自宅の書庫にも、ANIMAGE COMICSワイド版(徳間書店)全7巻(1995年の6刷から55刷)がある。
 2019年12月に新橋演舞場で、昼と夜の部の2部に分けて、通しで演じられた新作歌舞伎の「風の谷のナウシカ」は、この全7巻のストーリーを、ほぼ網羅するという驚くべきものだった。私は、残念ながら、新橋演舞場での初演の舞台を直接観劇する機会を得ることはできなかったのであるが、松竹(株)が歌舞伎の舞台を録画して映像作品として公開しており、2020年2月に、第1部(昼の部)および第2部(夜の部)の2本を観ることができた。
第1部では、「巨神兵」という究極的な原子力兵器による世界の破滅後、各地に散らばる僅かに生き残った人類の各部族は、放射能汚染後に現出した菌類の森である「腐海」がまき散らす毒に堪えながら(なんとか適応しながら)、その周辺に僅かに残った土地で生存している。しかし、その生存できる土地も腐海の拡大によってますます減少している状況にもかかわらず、性懲りもなく、権力・支配を欲する人類の業は変わらず戦争を継続する2大勢力があり、そして、風の谷という土地の族長の娘であるナウシカが、進化した昆虫と菌類の森の謎を研究しつつ、自然と人類との共存を図ろうとする姿が主として描かれている。すなわち、原子力技術の危険、貴重な自然環境の保全の貴さ、権力・支配欲を忘れぬ人類の愚かさという原作前半の主題が、その主たる内容である。
 第2部では、原作同様に、驚くべきストーリーの展開となる。2大勢力の一つである「土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国」では、各地に伝わる自然崇拝・土着神などを想定した多神教が迫害され、すべての生物を超越する1神教の教祖が神聖皇帝となって独裁しており、一方、もう一つの勢力である「トルメキア王国」では、王族同士が権力闘争をし、さらに世界制覇を目的に「土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国」を壊滅させる戦争を仕掛けている。(注2)
 その状況で、「地球生命体」の回復のために出現したらしい菌類の森である「腐海」と進化した昆虫の王である「オウム」の謎が解明され、土鬼帝国神聖皇帝は、世界が破滅した1000年前に創られたAI(神となったAI)の守り人であり、不死身の「ヒドラ」も、その手下として創造されている。そのAI(神となったAI)が菌類等を創造したのであり、有毒の「腐海」にも適応しつつ生存する現人類さえも改造されたものであり、すべての地球生命体が腐海の浄化作用によって清浄になった時には、逆に改造された現人類は生存できず、その清浄の地球には、新たな人類がAI(神となったAI)によって創造されることになっているとする驚くべき真実が解き明かされる。そして、ナウシカたちは、このAIを破壊するのだが、その直前にAIとの問答で、地球環境清浄化の時には存在できない現人類であっても、その現人類が「善く生きる」とはどのようなことなのかが、示唆される。すなわち、原作の中・後半の主題であるところの自然崇拝・多神教と一神教の信仰・宗教問題、地球生命体の回復とは何か、AIによる人類とすべての生命の支配・改造(AIの脅威と遺伝子操作などの生命科学の行き着くところ)、生命の有限性と善く生きることの意味(死生観の裏返し)などが主題となって、観客である私たち一人ひとりに問いかけてくるのである。

 4.環境哲学・思想と「風の谷のナウシカ」の示唆


 以前にもこの開題で記述したことがあるが、人間という種にとって心地よい環境を保全するために自然を管理するという思想は、人間という種を特別な存在と画定し、人間と、人間以外の生物ならびに非生物からなる自然とを対立する存在とみる「二元論」が根本にある。しばしば、この思想は、キリスト教世界(いわゆる西洋文明)の進歩の基礎ともなったもので、旧約聖書の創世記にその源泉を見いだせると言われてきた。「持続可能な発展」を目指す現在の人間社会は、人間にとって安全で快適な環境を創出すべく自然を造り変え、管理していく(「環境保全」していく)ことを肯定する「環境主義(Environmetalism)」は都合が良く、それは西洋文明の二元論と軌を一にするものとされている。この思想に対して異議申し立てをするのが、ディープな「エコロジズム(Ecologism)」である。人間種も生態系の一部を担う存在であり、生態系を保存(「環境保存」)するような人間社会の在り方を提案するものであった。人間種を人間以外の生物種とは異なる特別な存在とは見ないことから、エコロジズムは「一元論」思想ではないかとされ、自然崇拝の原始的宗教や仏教等はこの思想の発現であり、西洋文明に対して東洋文明は、一元論的であるとも言われる。(注3)
 二元論の「環境主義」に依拠するのであれば、人類およびこの世界のすべての存在は絶対神によって創造されたものであり、絶対神の意思によって、その生存と死滅は決定される。「土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国」の神(AI(神となったAI))は、人類が破壊した生命体として地球の清浄化のために、菌類の森である「腐海」と進化した昆虫たち、そして清浄化が完成すると死滅する改造された人類さえも創造したのであり、さらに、清浄化後に新たな人間という種を創造することを目的として存在するという想定は唐突なものではない。二元論における人間は他の種とは別格の存在として創造されたとはいえ、絶対神の勘気に触れたならば、その存在は否定されるのである。
 一方、一元論のディープな「エコロジズム」に依拠するのであれば、ナウシカの目指す理想の状態、進化した昆虫と菌類の森からなる自然と人類との共存を図ろうとするナウシカの行動は、十分に理解可能なものである。「風の谷のナウシカ」では、自然崇拝・土着の神々への回帰が背景にあると言っても過言ではないであろう。そして、多様な種の一つとしての人間の存在と、その種の一員である私たちにとって、個としての生と死を自然の理として受け入れる思想へと導くであろう。

 5.新型コロナウイルスの脅威と新実在論


 二元論からすれば新型コロナウイルスの出現は、人類の不遜な行動に対する神から与えられた一つの警告であり、神に祝福される存在としての普遍的倫理に基づく人間社会の活動、さらに言えば、人類が持つ他の生物とは異なる特徴である社会・政治システムにおける公正、平等な活動が試されているのであろう。一方、一元論からすれば新型コロナウイルスの蔓延は、ウイルス種の生存・発展原理による自然界の営みの一つであり、人類にとっては、ウイルスから人間という種の生存を守っている抗体メカニズムで対処することに注力し、特効薬・特効メカニズムの開発に全力をあげることになる。
 ここで、私は、新型コロナウイルスの脅威に端を発して、地球環境問題への私たち人間社会の対処が極めて不十分なものではないかということに関する観点を提供するものとして、「新実在論」を提唱するマルクス・ガブリエル氏と新進気鋭の哲学者である斎藤幸平氏の次のような対談を思い浮かべた。それは『未来への大分岐』第2部・第2章 「「人間の終焉」と相対主義」の一節「政治、嘘、恐怖」のなかでの文章である。少々長くなるが、原文を引用させていただくことにしようと思う。(注4)

[斎藤] 相対主義による「客観的事実の危機」と「他者の非人間化」というふたつの事柄について話をしていて思い浮かぶのは、全体主義と嘘の密接な関係性を指摘している、ハンナ・アーレントです。・・・アーレントの言葉によれば、人々の心が求める心地よい嘘は、現実を架空の世界に置き換えてしまうパワーをもっています。嘘は不都合な事実を隠すだけではないのです。
 嘘は、客観的事実だけでなく、道徳や人権への意識も弱体化させます。嘘が公共圏に広がると、民主主義の条件は破壊され、全体主義の運動の台頭につながるのです。

[マルクス・ガブリエル(以下MG)] 嘘というのは、事実の意図的な歪曲ですよね。社会的、政治的、経済的な現実を歪んだ形で認識させられている、嘘の犠牲になっている人々が増えています。

[斎藤] たとえば、先進国で生活をしている我々は、途上国の貧困に向き合おうとはしません。

[MG] 誰かがうまくいっていないがゆえに、自分たちがうまくいっているのだと、暗に私たちは気づいています。どこかの誰かの堪えがたい苦しみと、ここでの私たちの生活の質の高さとのあいだに因果関係があるはずだとかね。  さて、これに対して、私たちはどうかかわるべきなのか。ひとつの方法は、飢餓に苦しんで死ぬような人々がいる状況を放置してはならないと考えることです。そう考えることは「真」です。平等が私たちの幸福の基礎になっていることは望ましいからです。
 ところが、別のかかわり方もあります。自分たちに関係のないことだと、飢餓の状況を見ないようにしてしまう方法です。

[斎藤] しかも複雑な現代社会システムのなかでは、自分が他者に与えている影響は、相当に意識しないと見えにくくなっています。

[MG] 因果関係のつながりは無数にあるのに、不可視化されています。
 それでも、暗に悪いことだと気づいているのです。それにもかかわらず、――これまた暗に――私たちはより強く、より豊かにならねばならないと信じている。それが不公正なことで、私たちがその不公正を引き起こしている原因だと知っていながら、現在の秩序の維持を暗に欲している。

 この秩序がまともでないとして――実際、道徳的にまともでない状況に私たちはいるわけですが――だからこそ、政治もまともであるべきではないという考え方がでてくるのです。秩序がまともなものじゃないからこそ、それに対応するためには、政治もまともであってはいけないと。こうして、人々は嘘であると実は知っていても、嘘を受け入れてしまう。 もし政治がまともになれば、ないことにしている他者の権利を認める必要がでてくる。それに対する、暗黙の恐れがあるのです。今、否認している他者の権利を認めることは、実際、とてもコストのかかる取り組みになりますから。

[斎藤] 恐れが、私たちが見たくない事実から我々を遠ざけ、嘘を受け入れやすくしている。嘘が相対主義の心理的基礎だというわけですね。

 何億年とかけて地球が創り出してきた化石燃料の無節操の消費による温室効果ガス濃度上昇に伴う地球温暖化、そして化石燃料を原料とするプラスティック(マイクロ・プラスティック)の海洋汚染など、地球環境へ回復不可能な負荷を与えながら、それでもなお飽き足らない、より物質的に豊かになろうとする私たち現在の先進国の住人は、同じ地球の人間という種でありながら、未開発国の人々の環境・生活状況や未来の人々の環境・生活状況にどれだけ思いが至っているのであろうか。地球環境における人間という種の存続可能性に関する真実を見ようとする試みを、本当に私たちは行っているのであろうか。環境哲学の「環境主義」、「エコロジズム」を問わず、このような社会生活を送っている人間という種が、どれだけの時間、未来に向かって存続できるのであろうか。これが、新型コロナウイルスによる、リーマンショックを上まわる可能性がある世界の大混乱の渦中に、本報告書の「開題」の執筆を求められた私の素直な感想である。

(注1)スタジオジブリ著「漫画「風の谷のナウシカ」について」『新作歌舞伎 風の谷ナウシカ』プログラム(松竹(株)新橋演舞場、2019年12月)

(注2)トルメキア王国の第4皇女「クシャナ」は、フリードリッヒ・ニーチェが理想とする超人「金猛獣」を想起する高潔な貴族で、ナウシカに次ぐ主役の一人。なお、ナウシカを尾上菊之助、クシャナを中村七之助が演じている。
(注3)この文章は、黒川行治(2017)『会計と社会』(慶應義塾大学出版会)6-7頁。さら,に、その参照・引用文献などは以下のとおりである。「環境思想の分類と特徴については、松野弘(2009)『環境思想とは何か』ちくま新書815(ちくま書房)第1章参照。また、環境に対する西洋の態度と価値観、アジアの伝統的なディープ・エコロジー思想については、キャリコット、J・ベアード著-山内友三郎・村上弥生監訳(2009)『地球の洞察』(みすず書房)第1章、第3章、第4章などが詳細である。なお、ディープ・エコロジーとは、自然環境を人間に従属させる人間中心主義的な環境倫理を批判し、人間をあくまで生態系の一部としてとらえる全体論的な環境倫理学をアーン・ネス(Arne Ness)が打ち立てた。そのような環境中心主義的、反人間主義的なエコロジー思想をよぶ。(訳者中野の「解説注3」(ラトゥ-シュ、セルジュ著-中野佳裕訳(2010)『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社)、257頁参照。))

(注4)マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート・ポール・メイソン、斎藤幸平編(2019)『未来への大分岐』(集英社新書0988)、155-158頁。

■ 第2章 国際枠組み ■

・2-1  COP25の結果と今後の課題(高村委員)


■ 第3章 ESG投資 ■

 


■ 第4章 議事要旨 ■

 
以上







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