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1994年5月号

第8回地球規模の問題を考える懇談会開催


 去る、3月10日、講師に慶應義塾大学助教授嘉治佐保子氏をお迎えして、標記懇談会が開催された。

 以下、その講演を報告する。

【日本経済と新しい国際システム】

慶應義塾大学経済学部助教授
嘉治佐保子

 私が今興味を持っているのは、成熟した経済で如何にして成熟した社会を支えていくか、という問題です。

 この問題は日本及び欧州に於て、そして条件つきでアメリカに於ても、90年代以降重要となるように思われます。

 「成熟した」という言葉が経済を修飾する場合には、所謂先進工業国の状態、発展段階説に従えば、農業、工業と産業転換を経て発展してきて、サービス産業が主になっている経済のことを指しています。

 「成熟した」という言葉が社会を修飾する時は、社会保障や社会保険等の整備された、やはり先進国の社会をイメージして頂ければ結構です。

 2%から3%の安定成長の状態に入った成熟した経済が成熟した社会と同時に存在すると、どのような問題が生じてくるのでしょうか。

 財政収入という面 から見ると、余り自然増収に期待できなくなります。

 一方、社会は成熟しています。そして、ある程度社会の安定度を保つために必要となる制度は、民間のみに任せておけない公共性の強いものが多いのです。

 また、保険とか失業者に対する所得保障は、労働者の権利の確立と相埃って、経済の硬直性を増し経済成長を減速させることがあります。

 加えて、環境問題への関心や人口の高齢化に伴い、財政支出は増えざるを得ません。

 従いまして、先程の私の関心事を別 の言葉で云えば、どうやって財政赤字を拡大せずに社会的安定を保つのか、という問題になるのです。

 御承知のように、欧州は今東西ドイツ統合の後始末という特殊要因があるにせよ、経済が停滞し失業が非常に深刻です。しかし、欧州社会は労働者の権利を守ることに関して極めて神経質です。特に、ドイツ、フランス、イタリア、ポルトガルでは、ストライキの権利が憲法上明文化されていますし、政府も法律で労働者に非常に手厚い保護を与えています。

 一方、アメリカでは、政府の役割に対する考えは欧州とは異なります。アメリカ人にとっては自由は何ものにも勝る価値で、競争に敗れたものは自らの責任に於て敗れたのだから、その耐価を支払うのは当然と考えられているのです。

 但し、クリントン政権の医療保険改革や情報ハイウエー構想等は今までとは違ったベクトルを現しているようにも見えます。しかし、これらの政策には共和党から危惧の声が上がっています。

 アメリカは移民という手段で、常に年齢的にも知的にも自らを蘇らせている国です。その広さや大きさ故に、どこかの地域が停滞していると云っても、又別 の地域は結構伸びている、多様性という強さを持っている社会なのです。

 では日本はと云うと、外国から帰って一番に気付くのはホームレスピープルが極端に少ないということです。

 日本は国民皆保険という制度を有し、一般 的には終身雇用制度を維持していますし、失業率も他の先進国に比べて低く安定しています。国土面 積はアメリカのモンタナ州と同じ位、東京に一極集中の傾向があって移民が制限されています。日本はアメリカのような多様性や柔軟性を備えた国ではないのです。

 これが、今日お話したい第一のポイントです。即ち、日本の社会構造はアメリカではなく、欧州のそれに近い、ということです。

 第二次大戦後の日本人の目は揃ってアメリカに向けられています。私はそろそろこうした傾向から脱却して、少なくとも同じ位 の関心を欧州に払ってもよいのではないか、と考えています。

 何故なら、日本の社会はアメリカ社会と違って、競争に負けた人々を放置出来る社会ではないからです。

 より具体的に云えば、経済成長が減速して、産業構造の転換を迫られる今後の日本に於て、企業内失業や効率は二の次にして継続的な発注を受けていた企業の労働者が本当の失業者にならない為には、恐らく政府が金を出すしかありません。

 新しい分野を開拓して、例えばサービス産業で雇用を創出すればよい、という考え方もありますが、今後の国際環境、経済成長、規制緩和のもとで、それが100%円滑に進むとは思えないのです。

 最近、OECDの雇用と失業に関するレポートが発表されています。その中で、所謂アングロサクソン流の市場メカニズムを活用する労働市場は必ずしも雇用の創出に成功していない、という指摘があります。

 つまり、ある意味で盲目的にアメリカに倣って市場メカニズムを導入することは、日本の社会に適合しない可能性もあるし、望ましくないということもあり得るのです。

 第二のポイントは、社会のニーズが本質的に政府の出動を必要とする性格のもので、自然増収に頼れないことから、財政赤字拡大の危険性が高いということです。

 では、どうするかということになりますが、私達は幸いまだ、欧州が今日陥っている状態には至っていないのです。答えは、若いうちから老後に備えまさい、ということになるのでしょう。

 従って、今の日本は産業構造の転換、つまりどの産業に国際経済の中で比較優位 を持たせていくか、を考えなければなりません。

 恐らく、何十年か後、対日経常黒字国が出現した時、日本が今アメリカと欧州から言われているのと同じ批判をその国に向けるとしたら、歴史からなにも学ばなかったことになります。

 これが私の第三のポイントです。国として如何に年をとるかということです。

 私が申し上げたいのは以上3点です。後の時間は参考になるようなデータの紹介とともに補足させて頂きたい、と思います。

 先ず表1と表2ですが、この2表はEC委員会白書から引用したものです。

 法定コスト(Statutory charges)とは租税と社会保障費の合計額です。GDPに占める比率は、社会を安定に保つためのコストの割合になるのです。

 1970年、1980年、1991年のデータですが、年次別 に見るとやはりアメリカより欧州各国の方が高いのです。

 更に言えるのは、時系列的に見て、アメリカが余り変化していないのに対して、日本は19.7%から25.4%そして30.9%と急上昇し、1991年でアメリカを抜いてしまいました。これはやはり人口の高齢化が関連しているからでしょう。

 表2は、GDPに対する労働者の個人所得税と社会保障費の割合を1970年と1991年とで比較しています。

 やはり、日本は格段に増え、伸びは9%です。

 この次は国税庁の資料です。

 年金給付額と保険料率について、各国比較したものです。驚くべきことに、既に日本はこれら各国の中でモデル年金では最高額、平均給付額でもスウェーデンに次ぐ高額になっています。

 逆に、日本の保険料率は最低ですが、将来欧州のように高率負担になることを教えてくれます。

 図2は65歳以上の総人口に占める割合を、経年で見たものです。日本は欧米の3倍の速さで高齢化していく様を如実に現しています。

 図3は社会保障関係費とその歳出に占める割合の変化です。平成4年度に於て、わが国は17.6%に昇っています。本年度予算では18.4%です。

 アメリカの本年度予算のこの数字は48%となっています。と云うのも医療保険改革が計画されているからです。ちなみにイギリスは44.8%です。イギリスの数字は社会保障に加え医療制度があります。サッチャー時代にかなり削られたのですが、それでもなお、このように高率です。

 図4は社会保障関係費の内容構成の変化を時系列的に見ています。この中で著しく増えているのが社会保険費です。これは医療費の負担や年金支払で、これも高齢化に関係しているのでしょう。

 図5と6は、企業家に対するアンケートです。

 図5は「会社は誰のために存在するか」、図6は「雇用優先か配当優先か」という問いに対する回答です。

 法制度と云う面 もあるのでしょうが、日本、フランス、ドイツの企業家は株主より全利害関係者を、配当より雇用を優先する、という点で共通 しています。

 先に、EC委員会白書のデータを引用しましたが、今度はその要点を御紹介したい、と思います。

 何故なら、成熟社会を成熟経済で支えなければならない困難の只中にいる欧州が今執っている対策こそ、今後の日本にとって大きなヒントになるように思われるからです。

 第一に、1800万人、12%という失業問題の解決にとって、保護主義、拡張的金融財政政策、労働時間短縮とWork-sharing、賃金の大幅引き下げのいずれも正しい方法ではない、としています。

 第二に、1992年の単一市場は、それなりの成果 をあげていますが、問題はECの変化よりも速く世界(状況)が変わっていくところに求めます。

 まず、地理的に新しい競争相手の出現、これは恐らく、アジアを念頭に置いているのでしょう。それから、東欧の非共産化、これによって1億2,000万人の新たな需要が生み出されたにも拘らず、これを経済成長の原動力に変えることができていないのです。

 人口構造、家族構成が変化しており、人口の高齢化が進んでいます。

 技術的には、新たな産業革命が起きて、生産技術、雇用、労働者の技能に及ぼす影響が多大であり、経済がサービス化しており、情報の重要性が増しています。

 更に、資本移動が自由化され、新しい金融商品が誕生しているのです。

 第三に、過去20年間、EUの国民所得は80%増加したのに、雇用は9%しか伸びていません。経済成長があれば、簡単に雇用を確保できる、というわけではないのです。

 白書は『循環的失業』、『構造的失業』、『技術的失業』という3種類の失業を掲げています。

 『循環的失業』とは、経済成長率が労働増加率(0.5%)より低いことに起因するもの。『構造的失業』とは、将来の成長産業を無視し、既に確立した伝統的産業に固執していること、未熟練労働者のコストが相対的に高いこと、サービス部門での雇用創出を妨げられていること、途上国の生産コストが競争できない程低いこと等。『技術的失業』とは技術進歩と雇用創造とのギャップにより生じるもの。

 第四に、目標として、今世紀末までにEUで1500万人の雇用創出を掲げています。

 その為に、財政赤字の削減、低金利、経済の開放に指向します。更に、単一市場計画の根底にある地方分権化と情報化社会を構築する、とします。この白書の中でも、クリントンやゴアの云っている『情報ハイウエー』という言葉を使っており、極めて、重視していることが、窺えます。

 『情報ハイウエー』だけではありませんが、欧州全体のインフラ整備のために、1994年から1999年にかけて年間200億ECU(1ECUは1991年2月現在、約$1.4)投資する構想もあります。

 又、これと関連して、EU全体で大規模な共同プロジェクト−情報・バイオテクノロジー・環境技術−を進めようとしています。

 それから、競争力増大の環境づくり、という認識があります。具体的には、各国間での経済・環境等の関係法規の整合性を図るのです。

 現状、単一市場の恩恵は大企業に限られる模様で、中小企業も享受できるように、という方向もあります。

 いかにもEUらしいのですが、労使間、世代間、所得格差のある地域間、所得階層間の連帯を強調しています。

 雇用について云えば、まず、労働者の生涯を通 じた教育訓練が必要であるとしています。これは恐らく日本のOJTが国際的に見ても素晴らしいシステムであることが認識されるようになつたからでしょう。欧州の人々はその土地に定着し引越しを嫌うのですが、そこで労働力の地域間移動の促進が求められます。

 企業の内部でも人の移動があまり見られず、人的資本利用を最適化することが必要です。

 今、EU諸国の中で、賃金の低い国の方が社会保障負担が高くなっています。この為、未熟練労働者の賃金は相対的に割高になり、雇用へのインセンティブが働きません。事実、昨年9月から10月にかけて、欧州各国が雇用対策を発表した時、低賃金労働者の社会保障を政府が肩代わりするという政策を導入した国もあります。

 失業対策費の支出内容を後ろ向きの所得保障から、再教育等の前向きの対策費にする必要が指摘されています。

 EUレベルではEU civilian voluntary cerviceという構想があります。具体的には、高齢者や子供の世話、問題のある青少年の世話、アパートの管理、レジャーや文化的活動の普及、郊外での店舗経営等で、新しい雇用機会を創ろう、というのです。

 要するに、EUはnew social economyを築こうとしています。但し、予算はエジンバラ・サミットで合意された枠内に留まる、というのはいささか気になるところです。

 最後に、面 白い雇用関係データがありましたので、幾つかご紹介します。

 表3は失業率、長期失業率、給付期間、仕事へ復帰率、一人当りの産出願に対する失業者一人当りの前向きの雇用促進策への支出額の比率です。

 図7はEU、アメリカ、日本いずれに於いても、サービス産業の重要性が増していくことを示しています。

 雇用のトレンドも同様の傾向です。

 これと関連して、サービスとりわけ特許の国際的取引についての国際ルールは未だ確立していません。今後、問題になるところだと思います。

 図8は製造業の雇用の減小数。図9は製造業に於けるハイテク、中テク、ローテク別 の貿易シェアです。日本は全体シェアはもとより、ハイテクシェアを伸ばしています。

 図10は製造業の単位 時間当りの労働コストを時系列で見ています。日本は円高で高くなり、逆にイギリスとアメリカは安くなっています。

 図11は途上国の賃金がいかに安いかを示しています。今後産業構造の転換を進めていかざるを得ない一つの理由になると思います。

 フランスのバラデュール首相は自分達の社会的安定度や生活レベルまで下げて競争したいとは思わない、と語っています。だからこそ、私が冒頭で申し上げたテーマに行き着くのですが、日本とて明日はわが身なのです。