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ニュースレター
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1995年10月号 |
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1995年システムダイナミクス国際会議
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成長の限界……ローマクラブ「人類の危機」レポート D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ラーンダズ、W.ベアランス三世 大来訳 ダイヤモンド社 1972年/1972年5月 |
このままの勢いで経済が成長し資源が消費され、環境が汚染されていった場合に果
していつまで地球が人間の棲息を保証しうるのか。 → 要旨 出生率 → よくでるキーワード 94 107 142 →本のページを示す 世界モデル を上にしている 8 86 経済成長 30 108 資 源 34 52 限 界 11 172 汚 染 55 115 人 口 131 168 安 定 146 182 ローマクラブ 171 197 幾何級数的成長 15 フィードバック 24 食 糧 37 土 地 42 廃棄物 64 破 局 123 地 球 175 |
1960年代以降に出版された環境大気に関する文献約100冊を整理し、以下に示す方針に基づいて解析した。
キーワード及びキーワード出現回数の時系列的な変化。
取り扱われているテーマの時系列的な変化。
同じ様なタイトルの文献において取り扱われている内容の時系列的な変化。
キーワードの時系列的な変化を図2に示す。また、これらの解析結果 から次のような結論が得られた。
1960年代後半から、廃棄物や光化学スモッグ等の公害問題が表面 化する。
1980年代から、大気汚染による酸性雨が問題となる。
1980年代後半から、オゾンホール等の地球環境問題がクローズアップされる。
このような推移を「人類一究極の選択 岸根卓郎著 東洋経済新報社
95年」では、 1960年代(第一期)公害防止政策の時代
1970年代(第二期)地域環境管理政策の時代
1980年代(第三期)広域環境管理政策の時代
1990年代(第四期)地球環境管理政策の時代
と呼んでいる。現在は環境問題を地球的規模で管理しなくてはならない時代にある。
廃棄物処理問題
1970年代の初期から公害問題が大きく取り扱われたが、廃棄物処理問題が大きなテーマであった。廃棄物の処理量
は1968年の62千トン/日から1991年の138千トン/日と23年間に倍増した。その処理方法については、焼却によるものが増加している。埋め立てによる処理は限界にあることを示している。1970年代から特殊な廃棄物が大きく増加している。
自動車登録台数
自動車登録台数の推移から、日本の自動車社会への移行状況を調べた。1950年には4輪及び3輪車の登録台数は合計337千台で247人に対して1台であった。それが1965年からほぼ一直線に増加し、1993年には63,000千台を超えて2人に1台となり、現在は1950年の約200倍に相当する68,000千台に達している。
発電電力量
1951年には402億kWhであったものが、1994年には7,684億kWhに増加しており、約40年間に20倍近く増加している。その内訳をみると1960年代は火力が増加の中心であったが、1970年代半ばからは原子力も増加している。また、1970年代前半は石油を燃料とする火力が主体であったが、1980年代に入ってLNGを燃料とする火力に次第に変化している。なお、バブル経済の時期の電力量
の増加は火力の増加によって賄われていることから、原子力の問題等発電は極めて限られた選択を強いられているように分析できる。
解析結果によれば、日本の環境対策は1960年代以降の経済発展による自動車台数やエネルギー供給の飛躍的な増加を考慮すると、不十分とは言えかなり成功したものと考えている。一方、環境対策が経済発展の阻害要因となることから、環境対策例えば排出基準の設定が緩い国が未だに存在する。これらの国が今後日本と同様な経済発展をした場合には、現在の緩い環境対策の元では大きな環境破壊を引き起こすことは明らかである。今後の環境問題は、エネルギー等を多量 に消費している先進国の国際協調による対応、現在も著しい経済発展を遂げている例えばNIEs諸国での環境対策の強化、及び発展途上国の公害問題への技術協力等が重要である。いずれの問題においても日本が果 たすべき役割は大きく、特に経済発展に伴う公害問題の経験を活かし、環境大気における日本モデルを積極的に全世界に普及促進を図って行く必要がある。
ジョンクウエルコンサルティング代表取締役
落合以臣 氏
現代の企業を取り巻く環境は、リスクに満ちているといってもよい。しかも、最近のリスクは広範囲にわたっており、企業内のリスクを見ても財務リスク、労務リスク、生産リスク、販売リスク等が上げられる。更には、地震等の自然災害のリスク、若王子事件に代表されるテロ・脅迫・誘拐のリスク等、企業外を起点とするリスクもある。こうしたリスクに対して、企業はリスクの起点を保険対象になるものとならないものとに分け、後者のリスクについては、話題程度に据置きどちらかと言うと避けてきた。しかし、今回の阪神大地震で保険の保証範囲が限定されたため、企業のリスクマネジメントとは一体どの様にあるべきかについて改めて考えさせられることとなった。
過去のリスクマネジメントを振り返ってみると、1930年代にアメリカから始まった大恐慌によってリスクマネジメントの研究が開始され、1970年代の第1次オイルショックでは功を奏しなかったが、1980年代の第2次オイルショックでは一応の成果 を上げることができた。しかし、1990年11月のウォール・ストリートを襲ったブラックマンデーのように過去に経験したことのないリスクについては、全く無防備であることも明らかとなった。
一方、環境悪化の防止を目的として現在ISOで環境監査制度が検討されている。これに伴い、企業は従来の体質を抜本的に変革する必要に迫られており、環境問題が企業にとって大きなリスクマネジメントの対象となりつつある。
環境保護運動は市場経済を環境の敵とみなすことから始まった。巨大な市場にできるだけ多くの法律の網をかけ規制していこうとするものであった。しかし、従来の考え方ではどの様な強力な国家でさえも環境破壊が続くのを阻止できないことは歴史が証明している。そこで、環境悪化の増長を阻止する策といて、国家レベルでは1992年の地球サミットにおいて国連を通 じた監視機構を設置し、また、企業レベルでは1989年に国際商工会議所が「環境監査」のパンフレットを発行し環境的経営を訴えた。この環境監査が企業憲章としてとどまっている限り、企業は単に条例に定める範囲内でプロテクトすれば良いが、公認会計士が監視機構としてこの任に当たることが法によって定められた場合には、環境問題への対応如何が企業の命運を左右するため、企業は経営方針を抜本的に変革しなければならなくなる。
1980年代後半になって姿を表した環境問題について、日本の企業は当初一過性のものかもしれないという希望的観測をこめて、事態の成り行きを戸惑いながら見守っていた。この時期が環境対応策の第一期である。その後、環境問題が社会的に取り上げられ建前的な反応を示した時期が環境対応策の第二期であり、現在は環境対応策の第三期にあるといえる。第一期では企業は環境問題への取り組みを表明するだけで、具体的行動はとらなかった。第二期になると環境問題をPRに使って企業イメージの向上は図るが、他社と自社を比較して自社の行動を検討する「貴方まかせ」の時期でもあった。従って、事業の本質的な領域での環境対応策はとらず、製品改良レベルに留まった。しかし、現在の第三期では「環境監査」制度導入の準備が着々と進んでいる状況を受けて、企業としても長期的視点から環境問題に対応すべく、事業や製品の本質的な領域を少しずつではあるが変革しようとしている。
企業と環境との共生を長期的な経営方針に掲げるためには、企業は「できること」、「できないこと」、又は「努力すべきこと」をはっきりと区別 し、それを明確な態度として表明することが必要であり、そうした経営方針の下で具体的な環境対応目標を設定し、達成するための方法論を戦略的に検討し実行することが重要である。
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