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ニュースレター
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1996年9月号 |
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異見・グローバル経済論(財)国際貿易投資研究所理事長 「グローバル経済」という概念を字義通 りにとれば、経済活動が地球規模で一体化した状況を実現するものであろう。「ボーダレス(国境のない)経済」というのも同じ意味に解される。諸国間の経済関係(=国際経済)に代って、「一つの世界経済World Economy」(A.Bressandの造語)が地球を覆うのである。 そのような意味の「グローバル経済」が現実に成立しているという主張はほとんどないが、その方向への動き、すなわち「グローバル化」のプロセスが近年目覚しい勢いで進行していると見る人はきわめて多い。主な論拠としてよく指摘されるのは以下の諸点である。
これらの指摘は事実に関わるものであるから、異論の余地はなさそうに思われるが、果 たしてそうか。実際には、指摘された事実はその通りだとしても、それらの事実のもつ意義については見解が分れているのである。少なくとも以下の問題がある。 (1) 経済の開放度第2次大戦後、貿易と直接投資の拡大によって各国経済間の結びつきが強まり、国際経済の統合が進展してきたことは明らかな事実である。しかし、その結果 、世界経済に前例のない全く新しい状況が出現したと言えるだろう。P.ハーストとG.トムソンは、経済の開放度(openness)の点で、現状が第1次大戦以前の国際金本位 制の時期(1879〜1914)より高い段階に到達しているとは言えないことを指摘している。参考文献[1]主要国経済の貿易比率(輸出入合計/GDP)は概ね1914年以前の方が高かったし、また1905〜1914年の時期における英国の資本輸出はGDPの6.5%を超えており、これは1980〜1990年代のいかなる主要国にも例のない水準である。 (2) MNC及びTNCの活動の拡大多国籍企業(MNC)の概念は、1960年代の初めに登場してきたものであるが、実態上MNCと呼んで差し支えない企業形態が19世紀中頃から出現し、第1次大戦時までに確固とした存在に育ったことは広く認められている。それらの企業の活動は1920年代に著しく拡大したものの、大不況と第2次大戦によって収縮を余儀なくされ、1950年前後から再び拡大期に入ったのである。 グローバル経済論者の多くは、超国家企業(TNC)MNCと区別 し、TNCが世界経済の主要なプレイヤーになったことがグローバル経済の重要な特徴だと主張している。TNCは、特定の国と結びつきがなく、利益を求めて世界のどこにでも活動を展開する真の意味での「フットルース」な資本である。しかし、ハースト&トムソン[1]や、R.ウエイド[2]は、そのようなTNCはきわめて稀な存在であり、グローバル経済論者の主張には甚しい誇張があると批判している。 (3) 金融の国際化に対する見方金融市場のグローバル化が情報通 信技術の飛躍的発展によって支えられてきたことは確かである。また、貿易・海外直接投資など国際経済の「実物面 」の拡大と金融の国際化とが相互に密接に関連していることには疑問の余地がない。E.ヘライナー[3]は、それらの点を認めつつも、金融のグローバル化が不可逆的な趨勢だという考え方に異議を唱えている。 すなわち金融市場の国際化は、過去20年の間に主要国政府が国際資本取引に対する規制の緩和・撤廃措置を実行したことではじめて可能となったのであるが、ヘライナーは、この様な金融自由化措置が取られた政治経済的背景の考察を基礎として、政策のゆり戻しが起きる可能性を指摘している。たしかに、新古典派的リベラリズムへの不満や、経済の「カジノ化現象」に対する批判が高まることは考えられるし、EUの統一通 貨導入をめぐって混乱が生じ、あるいは何らかの原因で大規模な金融危機が突発するようなことがあると、ヘライナーの指摘する可能性が現実化しないとも限らない。 (4) 世界経済は一体化しつつあるか声高に語られるグローバル経済論は、先進国資本が大量 に発展途上国に向かうというイメージを喚起するが、これは現実ではない。FDIのストックの約70%は北米、欧州、日本の先進国に集中しており、フロー面 でも受け手としての発展途上国の地位は、東アジアを除けばマージナルなものでしかないのである。 [1]
Paul Hirst and Grahame Thompson, Globalization in Question, Polity
Press, 1996. |
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