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ニュースレター
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1999年11月号 |
OPINION |
不確実性について
東京大学・新領域創成科学研究科 教授 地球温暖化への対策を難しくしている本質的な要素の一つは不確実性である。人為的な二酸化炭素の排出量 が増大を続けていること、大気中の二酸化炭素濃度が上昇していること、そして過去百年間で全球平均気温が上昇していることは科学的に観測されている事実である。 しかし、これらの事実を繋ぐ科学にはまだまだ大きな不確実性が残されている。人為的な二酸化炭素排出量 は、エネルギー起源のものについてはほぼ正確に推定できるが、森林破壊や農業活動に伴うものについては正確なところは分からない。植物や海洋のような自然の働きを含めた地球規模での炭素循環についても未解明事項は多い。メタンなど二酸化炭素以外の温室効果 ガスを含めると分かっていないことはますます多くなる。温室効果ガスの濃度と気候変化の関係についても現在の科学的知見には大きな不確実性がある。ましてや、このまま推移した場合に気候変化によってどれほどの損害が生じるかについて、科学的に正確に予見することは到底できない。 しかし、最悪の事態を考えると、われわれは地球温暖化対策に今着手する必要がある。1997年末の京都会議によって既に対策への第一歩は開始されている。われわれは上記したような多重の不確実性の下で、人類の未来を大きく左右するような政策の選択を行おうとしている。これは非常に難しい選択である。誤った選択が何もしない場合よりも悪い結末を導く場合もある。不確実性に対処するための柔軟性を維持しながら、科学的知見の進展に応じて段階的に政策を決定して行かねばならない。 しかし、地球温暖化対策にはより難しい不確実性がある。政策決定は未来を選択する行為であるが、この決定自体にも不確実性がある。 1998年から開始されているIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第3次報告作成における共通 の留意事項の一つは不確実性の扱いであるが、ここでは冒頭で述べたような科学的知見における不確実性と共に、政策決定を含む人間の意思決定における不確実性にも取り組まねばならない。 意思決定問題における不確実性は自然科学の不確実性のようには扱えない。意思決定は人間の判断による未来の選択であり、これは決定者の責任において行われるべきものである。決定の不確実性の範囲は合理的選択肢を超える場合すらありうる。このような不確実性は客観的に数量 化することができない。数量化できる不確実性はそれほど恐れる必要はない。恐るべきは誤った決定である。人間の選択にこそ最も難しい不確実性がある。 意思決定における不確実性に対して、今までは決定者に責任を負わせることで対応してきた。しかし、地球温暖化対策の選択において、いったい誰が責任を取れるのであろうか? われわれは未来の世代に対して責任を取れる決定をしなければならないのだが、どうすれば良いのだろうか? この問題は、地球温暖化問題に限らず、放射性廃棄物処分など、世代間にまたがる意思決定問題に共通 の課題である。 ここで必要なのは、まず第1に、科学的事実を人類共通 の認識として確認することである。IPCCの作業、特に地球温暖化の科学的知見に関する第1作業部会の報告はこの点で極めて重要である。次に必要なことは、現段階で取れる対策の選択肢を論理的に整理してその評価を行うことである。この点でもIPCCは大いに貢献しているが、われわれの理解はまだまだ不十分である。そして、今までほとんど手がつけれられていないが最も重要なことは、世代間にわたる政策決定の仕組みを構築することである。 民主的決定の論理的な不完全性は論証されているにもかかわらず、われわれはこれに代わる適切な政策決定プロセスを見出していない。未来への選択肢は、科学と論理に裏付けられるべきであり、その範囲の中で十分に幅広く確保しなければならない。そして、合理的な決定が可能である時にはタイミングを失わずに速やかに決断して対策を実行する必要がある。 しかし、現状では衆愚の決定によって未来が選択される可能性が十分にある。とりあえずわれわれが採るべきは、「いかに知らないか」ということを知るソクラテス的態度であろう。
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