京都大学 西村和雄教授を委員長に迎えて進めてきた標記研究委員会の平成11年度の報告書概要、および継続して開催される平成12年度の研究委員会趣旨について報告する。
1.平成11年度報告書概要
従来から、人材は、我が国にとって「唯一の資源」と呼ばれてきた。実際、過去においては日本の教育制度は世界の手本とされていた。
しかし、「分数ができない大学生」と言われるように、日本の教育レベルは急速に低下し、「唯一の資源」を日本は失いつつある。労働力人口の減少、技術の高度化、グローバリゼーション等の近年の諸状況は、事態の深刻度をさらに深めており、一刻も早く「教育力」を回復させなければ、経済・産業総体としての日本の国際競争力は急速に失われてしまう。他に資源のない日本では、常に他国に優る教育を行っていく必要がある。
日本の若者だけが、劣悪な教育環境のために世界レベルの教育を受けられないのは
不公平である。「ゆとり」を与えることが彼らへの優しさではない。しっかりとした
基礎学力の上に礎を置いた高等教育を受けさせ、世界のトップレベルで活躍できる能
力を身に付けさせることが、真に彼らのためになり、日本のためになる。
本報告書が日本の教育改革のための一助となれば幸いである。
本報告書では、まず大学での数学・理科教育を中心に、学力低下の現状を指摘する。テストで測れる学力の低下はもちろんのこと、「論理的思考力」「学ぶ意欲」が低下していることに警鐘を鳴らす。これらの現実を真正面
から見据えて、日本の教育を考え直す必要がある。「二次方程式が解けなくても日常生活に不便はない」といった無意味な議論は廃さなければならない。数学の勉強は論理的思考能力を養うのに不可欠である。
学力低下は、単に少子化によって大学の門戸が広くなったから起こった現象ではない。受験勉強の弊害を取り除き、子供に「ゆとり」を与えることを目的として、1982年の学習指導要領改訂以来進められてきた「教育改革」により、小・中・高校において主要5教科の授業時間数が大幅に減少したこと、および大学入試において面
接入試・論文入試に代表される少数科目入試が普及したことが、学力低下の大きな要因と考える。
さらに皮肉なことに、「ゆとりの教育」は、当初の意図に反して、授業内容を理解
できる生徒を増やしておらず、逆に減らしてさえいるのである。
これらの現状を打破し、日本の教育を改革するために、本報告書では、主に以下のことを提言する。
1)論理的思考能力を身に付けるための数学教育の重視
2)自ら考える力を養うため、また触れ合いのある教育のための少人数クラス(20人
程度)実現
3)大学入試科目数減少への歯止め
4)新指導要領による2002年からの教育内容・時間の3割削減の撤回
5)センター試験の大学入学資格試験化
6)小学校低学年からの英会話教育
また本報告書では、心理学的アプローチによる個々の教育現場における新しい教育の可能性を示す。
アメリカやイスラエルで行われているアドラー心理学に基づく学校教育では、「教師と生徒を平等とみなすこと」「賞罰を用いず、勇気づけを与えること」等を理念としている。学校のカリキュラムは「教科」「創造性プログラム」「社会性プログラム」にほぼ3等分され、いわゆる勉学に充てられる時間は普通
の学校の3分の1しかない。またどの授業を受けるかは生徒の自主性に任されており、学校が強制することはない。にもかかわらず、アメリカの統一テストでは普通
の学校並みの成績をとる。
また米国で行われている「クオリティ・スクール」の取り組みは、グラッサー博士が提唱した選択理論に基づいている。「競争ではなく、協調する」「強制のあるボスマネジメントではなく、リードマネジメントをする」「罰しない」「他人による評価ではなく自己評価をする」ことなどを基本理念とした教育を行うことによって、学校は生徒・教師・保護者が欲求を充足させる場となる。クオリティ・スクールと認められた学校では、規律違反はなく、学業成績も非常に優秀である。
マクロ的な教育制度を改革することも当然必要であるが、個々の教育現場でも様々な試みがあってしかるべきである。
2.平成11年度報告書目次
(1)学力低下の現状とその打破のための教育のあり方
・教育の意味を考える (西村和雄委員長)
・「分数ができる大学生」にするために
(岡部恒治委員)
・事実を見ない日本の教育論議−「虚論」を超えて必要を語れ (原田泰講師)
・日本の大学での数学教育は今…
(浪川幸彦アドバイザー)
・大学から見た学力低下問題(上野健爾アドバイザ ー)
・学力低下は国力低下につながる(松田良一講師)
・大学の理科教育から見た大学と高校と入試の問題点 (正木春彦講師)
・教育改革「ゆとり」路線の問題点(苅谷剛彦委員)
(2)高等教育の現状とその周辺
・入試の多様化と学部コアカリキュラムの教育方法 −私立A大学経済学部を例にして
(平田純一委員)
・大学入学後の学力保持に関する実証的研究
(倉元直樹委員)
・フランスとアメリカの大学入試制度・大学制度 −数学者からの視点
(戸
瀬信之委員)
・教育機会と学歴の社会・経済的効用に関する比較
(石田浩講師)
・技術革新の進展によって高まる問題解決型技能の希少性 (中馬宏之委員)
(3)英語教育のあり方
(4)心理学的アプローチによる教育のあり方
3.平成12年度研究会趣旨
平成11年11月の中央教育審議会の報告で、「一律な受験科目少数化をこれ以上進めない」という表現が盛り込まれるなど、流れは徐々に変わりつつある。この流れを確実なものにし、さらに正しい方向に導くために、平成12年度は、主に以下のポイントに重点をおき、研究会を開催する。
- 人間性にあふれた子供の教育
- 社会に貢献する人材の育て方
- 時代の変化に伴い、経済・産業界から求められる新しい人材の育成
- 現行高等教育の問題点(カリキュラム、入試、教育環境等)
- 新しい人材の養成に必要な教育の内容
- 以上を踏まえた我が国の21世紀の教育制度のあり方
4.平成12年度委員名簿
<委員長>
西村 和雄(京都大学経済研究所 教授)
<委員>
岡部 恒治(埼玉大学経済学部 教授)
苅谷 剛彦(東京大学大学院教育学研究科 教授)
倉元 直樹(東北大学アドミッションセンター助教授)
子安 増生(京都大学大学院教育学研究科 教授)
戸瀬 信之(慶應義塾大学経済学部 教授)
<アドバイザー>
上野 健爾(京都大学大学院理学研究科 教授)
浪川 幸彦(名古屋大学大学院多元数理科学研究科 教授)
<オブザーバー>
掛林 誠(通商産業省基礎産業局 参事官)
勝野 龍平(通商産業省大臣官房 企画室長)
谷川 浩也(通商産業省通商産業研究所 研究部長)
山田 厚史(朝日新聞社 編集委員)
山田 宗範(通商産業省大臣官房 参事官(産業政策局担当)
横山晋一郎(日本経済新聞社 編集局社会部)
(五十音順、平成12年4月末現在)
(事務局 古見孝治)