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排出権取引市場下の経営戦略にむけて
― 市場自由化と気候変動対策との融合 ―(下)
(財)日本エネルギー経済研究所 環境グループ
小川順子
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5.CO2排出権取引の実験
5.1 UNIPEDE/EURELECTRICにおける電力・CO2排出権取引の実験
1999年に、ヨーロッパ14カ国のUNIPEDE/EURELECTRIC(国際発送配電事業者連盟・電気事業協同欧州委員会)メンバー会社19社は、CO2排出権および電力の取引に関するシミュレーションを行っている[1]。
シミュレーションでは16の仮想電力会社が、2005年〜2007年および2008年〜2012年の2期間において、増加する電力需要に対応した電力供給を達成しつつ、CO2排出量
を定められた枠内に抑えるという仮定に基づいて行動した。各企業は、発電設備の増設、電源運用、発電燃料転換、CO2排出権取引、電力取引などを駆使し、電力供給とCO2排出抑制という2つの(一般
的には相反する)目標を達成しなければならなかった。最終的に排出目標を達成した架空会社は14社であり、そのうちの4社は排出削減目標を大幅に下回る排出量
を達成するに至ったのである。
報告書では、この背景として、「シミュレーションに参加した会社は、取引市場メカニズムをすぐに習熟した」、また遵守達成要因の一つとしては「各仮想電力会社が、発電および取引に関するあらゆる部門の専門家をあつめ、異なる視点から最適の戦略を立てた」ことをあげている。また、「この実験によって、排出権取引自体は技術的な問題を伴うことなく実施可能なものであることを証明した」と述べている。
この結果で注目すべきは、まず、ヨーロッパの仮想電力会社がすぐに排出権取引に慣れ、約9割の会社が遵守を達成したということだろう。ヨーロッパにおいては、排出権取引を経験している国はいまだ存在しないにもかかわらず、排出権取引を活用し、目標を達成させることに成功したのである(図3.参照)。新しい発電設備容量
への投資を、電力取引とCO2排出権取引に関連づけ、どのようにコストを低減させたらよいのかという戦略(オプション・ポートフォリオ)を、各仮想企業が上手く行ったことが成功要因として考えられる。とりわけ、CO2排出目標の遵守の問題は、適切な投資戦略を立てたかどうかという点に大きく影響を受け、そういった意味では、排出権取引関連部門のみならず、企業経営という視点から遵守行動を立案した結果
であったと言えよう。
また、実験の主要な目的が、「電力会社社員が電力取引およびCO2排出権取引に慣れること」であったとも報告書は述べている。つまり、各種「取引」についての知識を蓄積するためのキャパシティー・ビルディングであり、この実験により、参加者は自社の発電量
とCO2排出量を最適化するための意思決定方法の手がかりを得ることができたのである。ヨーロッパの電力会社が、排出権取引に対する積極的な興味を示したという点においても、この試みは注目に値する。
なお、この試みは、本実験を手伝ったIEAの手を離れ、現在では他のエネルギー多消費産業やエネルギー・排出権ブローカーを包含した形で第2段が実施されており、COP6においてその結果
報告が行われると期待されている。
5.2 地球研/エネ研におけるCO2排出権取引の実験
(財)地球産業文化研究所と(財)日本エネルギー経済研究所では、大阪大学の西條教授を中心とした研究チームを2000年2月に結成し、東京工業品取引所の委託によりGHGs排出権国際取引の実験を計画している。この実験では、上述のUNIPEDEの例とは異なり、排出権取引制度設計における効率性への影響を調べることを主眼としている。どのような制度・市場設計を行えば、経済余剰を最大化しつつ取引費用を最小化することができるのか。つまり、どのような制度のもとで健全な市場が構築され、遵守を効率的に守ることができるのか、という点に焦点を当てているのである。
すでに4章においてSO2排出権取引の実例を用いて説明した通り、CO2排出権取引を機能させるためには、「確固たる制度」の下における「健全な市場」が必要である。そのため、制度設計は重要な要素であり、慎重にデザインされなければならない。すなわち、公正で効率的な市場につながる制度設計が求められよう。地球研/エネ研の実験は、将来の排出権市場の制度設計において有用な研究となることを目指す。これに加え、上記の目的のもとで行われる排出権取引実験から、派生的に得られる知見もまた、排出権制度の議論のみにとどまらず、社会経済基盤として、さまざまな財サービスの市場設計においても、有益であると思われる。これらの知見によって、CO2排出権取引が、目標遵守のための「環境政策」として成り立ち、同時に「商品」として市場で機能する可能性を追求することができると期待される。
地球研/エネ研の共同プロジェクト発足後は、排出権取引関連の理論・実験研究の総合的レビューを行い、どの項目について実験すべきかの検討に専念した。その結果
、シミュレーションでは主に、@取引形態(相対取引か取引所取引か)、A責任の所在(売手か買手か)、B商品設計(商品の各付け、現物のみかデリバティブ技術も使うのか)、C情報公開の内容・タイミング・方法、D不遵守の場合のペナルティの設定、などの影響を検証する予定になっている。さらに、これらの項目について実験するにあたって、ソフトに盛り込むべき実験項目とその方法を決定するための研究とウェブ・ブラウザをベースとしたソフト開発を行っている。また、実験を進めると同時に、理論グループによる計量
研究などをふくむ理論的研究を行う予定である。
この実験結果に関しても、COP6の場で暫定的な成果を発表する予定である。
図3.CO2排出権の取引実績
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出所:UNIPEDE/EURELECTRIC |
説明: 第一約束期間(2005年〜2007年)および第二約束期間(2008年〜2012年)では、期間末の取引が活発であった。これは、排出量
を超過しそうな会社が排出権取引によって遵守の達成を試みた結果である。担当者の慣れと規制の強化にしたがって、取引量
が増加してきた(市場が活性化した)ことが見て取れる。 |
6.日本へのインプリケーション
6.1 日本における排出権取引議論の現状
排出権取引における議論が先進諸国で活発になされている中、日本国内での排出権取引制度検討状況はどの段階なのであろうか。残念ながら、中央環境審議会、総合エネルギー調査会においても、排出権取引については、まだあまり具体的な議論がなされていないようである。日本では政府税制調査会の動きなどに代表されるように、環境税制導入の議論が先行しているように思われる。2002年における議定書の批准を目指すのであれば、またより確実な排出目標の達成を期待するならば、国内排出権取引制度の早急な検討は、税制の議論と共に、今後ますます重要性を帯びてくるのではないだろうか。
6.2 排出権市場の活用-環境問題と市場のグローバル化-
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)において気候変動が起こった場合の異常気象や様々な影響等にかんして最新の知見が蓄えられてきていること、そして世界最大の条約のひとつである気候変動枠組条約が既に発効し、発展しようとしていることなどを考慮すると、地球温暖化対策の必要性は、将来も続いて行くと思われる。また、京都会議以降、市場を活用した手段のメリットは世界中で広く認識されるようになってきた。その意味で、(米国議会の動向に左右される)議定書の発効の如何に関わらず、排出権取引制度などの市場を有効に活用する手法は、国際的にも各国国内制度という意味でも、将来その重要性が大きくなることはあっても小さくなることはないと考えられる。
同時に、世界的なグローバル化の流れから、エネルギー市場等における競争はますます激化したものとなってくるであろう。例えば、リスク管理技術に長けたアメリカのエネルギー総合会社ENRONの、日本のエネルギー市場への参入に代表されるように、日本のエネルギー産業も外国のエネルギー企業との直接競争にさらされることになる。電力産業のような公益事業においても、市場自由化のトレンドの中で、いかに自らの企業経営を行っていくか、という点が企業存続のカギと言えよう。
米国のSO2排出権取引の成功例やヨーロッパでおこなわれた取引実験の結果
を踏まえると、排出権取引は、市場自由化の流れに沿った手法であり、地球温暖化対策の重要性へのコンセンサスの高まり、および市場グローバル化の世界的な流れの中で、環境問題と市場自由化とを結びつけることのできる重要な手法であるといえる。
最後に日本における排出権市場の活用についてであるが、ヨーロッパで行われたCO2排出権・電力取引実験の結果
から、有益な知見を得ることができる。電力市場がまだ完全には自由化されていないこと[2]、また排出権取引の経験がないという点ではヨーロッパと日本は類似している。そのようなヨーロッパにおいてでさえも、参加者は排出権市場に積極的に参加し、自らの知識の向上をはかり、取引を駆使し目標を遵守することと利益を最大化することを両立できることを実証した。京都議定書のような国際的な目標達成の合意に備えるべく、日本においても、知識蓄積と取引市場自体に慣れていくことを含め、(CDM等のクレジット取引を含めた)排出権取引に関して早期に行動を起こすのは有効であると考える。
ちなみに、1716年から大阪の堂島米会所で、帳簿上の差金の授受によって取引の決済を行う「帳合米取引」が行われ、これが世界初の先物取引市場であったとされている。このように、排出権市場などで積極的にリスク管理をしていく手法は、けっして日本人の気質にもあっていないということはできないであろう。
本稿は、地球研/エネ研両機関の諸氏との議論に基づくところが多い。またここに記された意見は筆者個人のものであって日本エネルギー経済研究所の公式見解ではない。
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