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「対岸」から眺めてみよう
―対中経済協力とODA大綱
法政大学比較経済研究所教授
下村 恭民
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日本を覆う閉塞感が外の標的を求めて噴出したかのように、政界や言論界に嫌中ムードが高まっている。江沢民の訪日で火がつき朱鎔基の訪日時にピークに達したが、一つの焦点になっているのが対中経済協力の見直しである。
大平首相の訪中によって対中協力が開始されてから20年の歳月が経過し、一方で、深刻化する財政赤字や不況下での「内向き思考」などによって、ODA自体の見直しが始まっているので、対中協力についても新しい姿を模索していくことは有意義であろう。ただ、特定国としてただ一つ中国だけが見直し対象に取り上げられたのは何故だろうか。
たしかに中国との間には懸案事項が多い。1995年には核実験をめぐって無償援助が凍結されたことがある(1997年に再開)が、1989年以来、中国の国防費は12年連続で二ケタ増であり、「軍拡の中国になぜODAか」の声がある。日本近海での中国の海洋調査船や海軍艦艇の活動も報道されているし、援助事業の軍事転用の可能性を示唆する声もある。また、チベット問題や「法輪功」などの人権問題がある。これに加えて、援助によって建設された施設の一部の民営化に対する批判がくすぶっており、日本の経済協力が中国内で余り知られておらず、日本に対する感謝が少ないという不満も強い。こうした問題があるにしても、両国間に生じているギクシャクした関係や、特に日本側に広がっている感情的な姿勢を説明するのは必ずしも容易ではない。「中国に援助する必要があるのか」と叫ぶ人々が、同時にインドやパキスタンに対する援助の一部再開や、北朝鮮に対する協力交渉を進めているからである。
このような対中協力の状況を考えていくと、結局のところ、「歴史認識」の問題に突き当たらざるをえない。日本側が中国側の「感謝の言葉」にこれほどまでに固執するのは、「いつまで謝罪を求め続けるのか」という気持ちの裏返しではないのか。
もっとも、日本が経済協力を受けていた頃に、われわれが感謝に溢れていたわけでもない。東海道新幹線を「日本国民の汗と叡智の結晶」と形容するのは正しいと思うが、世界銀行からの巨額の支援が重要な役割を果
たしたことは余り知られていない。「ガリオア・エロア」支援に対する日本側の謝意も、終戦直後の食糧危機を救った貢献に比べれば控えめなものである。これが支援される側の心理なのであろう。それにしても、中国側が日本からの経済協力に触れたがらない頑なな姿勢は普通
ではなく、悲惨な歴史の遺産として理解するべきなのだろう。
ところで、「ODA大綱」は「軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造」や「基本的人権及び自由の保障状況」などに「十分注意を払う」としており、対中協力の実施に当たっては、ODA大綱との関係を十分整理する必要がある。外務省のこれまでの対応は、「多角的オプション」を基本原則としてきたと言えよう。好ましくない状況が発生すると、色々なチャンネルで、中国側に改善の説得を試みるとともに注意喚起を行い、効果
がない場合にはさらに厳しい対応(たとえば前述の無償援助凍結)に移行するやり方である。この姿勢は妥当であると思うが、こちらの意図が中国側にもっと明確に伝えられるように、メッセージを一段と工夫する必要があろう。他方、政界や一部のマスコミには、個別
の事件に直ちに反応して、ODA大綱を根拠に援助の停止や削減を行うべきだという考えが多い。
このような短期的・直線的なやり方では相互信頼の構築は望めないし、したがって、長期的な改善効果
は限られざるをえない。われわれの目的は援助を頻繁に停止したり減額したりすることではなく、ペナルティーを与えることでもない。
対中協力をめぐる論議について懸念されるのは、双方が相手側の心理について想像力を欠いていることである。相手を非難するよりも日本側が違った視角を採ることが望ましい。
経済協力を受ける立場だった時のことを考え、広島・長崎について覚える痛みを考えれば、われわれにとって「感謝」も「歴史認識」も違った形で見えてくる。われわれが「対岸から見る姿勢」を中国側に示すことが、事態改善の第一歩になるのではなかろうか。
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