21世紀初頭における朝鮮半島情勢の行方と
中国・台湾関係について
〜「アジアの総合的展望」研究委員会より〜
当研究所では、広い視野から、21世紀初頭の25年程度を総合的かつ大胆に展望し、日本として、いかなる戦略をとるべきか検討することを目的に、「アジアの総合的展望」研究委員会を設置して研究を行っている(委員長:青山学院大学国際政治経済学部・天児慧(あまこ・さとし)教授)。平成12年11月に開催された当研究委員会において、「朝鮮半島問題の構造と展望」と「東アジアの台湾ファクターと中台関係」をテーマに、2名の参加委員よりそれぞれ発表が行われたので、以下の通り概要を紹介する。 |
○「朝鮮半島問題の構造と展望」について: |
李 鍾元 立教大学法学部政治学科教授 |
1.朝鮮半島問題の重層構造
基本的に朝鮮半島問題には、3つのレベルがある。つまり、
1) |
南北朝鮮(韓国と北朝鮮)の緊張緩和と平和共存体制、関係の安定化の問題 |
2) |
北朝鮮の体制が今後どのように変化するかという北朝鮮問題 |
3) |
統一朝鮮となった時に、南北合わせた朝鮮半島が地政学的な構図の中で
どのような方向性を示すのかという問題 |
、、、があげられ、今後この3つの問題が重なりながら展開されていく。
2.「危機の10年」の総括
1989年の冷戦終結からの約10年間、朝鮮半島では北朝鮮の核ミサイルなどを中心とした危機が連続した。その理由として、1990年と92年に旧ソ連、中国が韓国とそれぞれ国交樹立した時期から、冷戦期に存在した地域の枠組みが突然消滅した。その間それに代わる枠組みが存在せず、冷戦終結後の朝鮮半島を巡る国際システムの形成過程であったと見る。危機の長期化の要因としては、
(1) |
北朝鮮が孤立の状況を脱するための戦略を展開してきた時期にあたり、アメリカ、日本、韓国など外の世界とのコンストラクティブな関係を築くとの目的に対して、持っている手段がミサイル輸出や核疑惑など破壊的なものしかなかったというその乖離と矛盾から来る悪循環が継続したこと。 |
(2) |
アメリカ、日本、中国、韓国など周辺関連諸国において、北朝鮮の現体制がどの程度持続できる能力を持っているかという判断が、それぞれの国によってかなり違っていたため、北朝鮮の現状把握と展望についてコンセンサスがなかなかできなかったこと、である。 |
その中において、初期から安定者の役割を果たしたのは中国であった。1994年から中国が北朝鮮に対して戦略的な関与を強め、これが北朝鮮の孤立感、不安感を解消し、安定化に向かわせる大きな背景になった。アメリカは、1994年のジュネーブ枠組み合意からは、韓国あるいは日本が軍事的に脆弱な状況であるため、強硬オプションがなかなか使えず、限定的な関与戦略を展開して現在に至っている。韓国はそれまでの吸収統一政策から1998年の金大中政権による包容政策(太陽政策)へ転換し、中国は1996年後半以降アメリカと緊密に協調しながら朝鮮半島を安定化させていたことがあげられる。北朝鮮は2000年7月にアジア地域フォーラム(ARF)に加盟し、核、ミサイルに加えいろいろな意味での外交カードをかなり持つようになり、2国間関係だけではなくて、多国間の安全保障の枠組みに入った。これにより、かつてのような武力衝突の危機をはらんだ瀬戸際的な状況への逆戻りというのはよほどの状況がない限り起こらないと考える。
3.北朝鮮体制の政治経済的展望
金正日体制は、意外と強い政権基盤、権力基盤を固持して現在に至っており、中期的には権力基盤は揺るがないという判断が多数である。軍に対する掌握も内部の人的基盤もほとんどひびが入らなかった。また、歴史的な正統性の認識と、それが大衆にもある程度浸透したナショナリズムの強い意識が体制を支えている。これを基盤として、金正日体制が目指そうとしているのは、60年代の韓国、あるいはシンガポールのような開発独裁体制であろう。1999年から特に法律・制度の整備が急ピッチで進められ、テクノクラートの養成も行われている。主に自動車と電子を中心とした戦略的な産業の工業化計画を建て、北東アジア地域経済への参入の関心を持っている。障害と課題としては、宣伝・イデオロギーといった「紅」の指導者から、経済の「専」の指導者への変貌可能性は未知数であること。経済開発の人的資源であるテクノクラート、中間管理職等をどのように確保できるのか。また、経済開放が進んでいった時に、民主化への政治的な圧力をどのように処理していくのかということである。
4.統一朝鮮と北東アジア地域秩序
今後5年〜10年のスパンで見ると、南北朝鮮にある程度の平和共存体制が築かれ、交流、協力関係が安定化すると考えられ、南北朝鮮と中国等も組み入れた北東アジアの地域的経済協力の拡大が見込まれる。一方で、北東アジアの地域安全保障体制は、在アジア米軍の再編に絡む部分を内包している問題であるものの、大型の地域紛争型の可能性が、南北関係の安定化により劇的に低下することになる。今後、日米韓同盟の再定義のもと、この地域での安全保障体制のあらたな枠組み作りが必要であり、日本としては、日韓自由貿易協定や日中韓の枠組を強化する「新北方政策」の方向性を考える必要がある。朝鮮半島において緩やかな連邦制・国家連合というのが進展した場合に、新しい地域経済圏に大きく組み入れられた韓国が北朝鮮との経済統合を進め、中国市場に食い込むという構図が、中国の変容を促進する基盤になるのではないかと考える。負担の少ない形で朝鮮統一を進めるためには、北東アジアにおいての国民国家の枠組み、地政学的な構図と発想をかなり根本的に変えていくことが必要であるが、現在のような大きな南北経済格差がある限り、物理的な統一はかなり無理であろう。
○「東アジアの台湾ファクターと中台関係」について: |
井尻秀憲 東京外国語大学外国語学部教授 |
1.東アジアの台湾ファクター
台湾は、東アジアと東南アジアの影響が政策的に、戦略的に、重層的に重なり合う要衝である「国際公共財」であり、中国問題の核心の一つとして台湾問題がある(ドゴール元仏大統領)。朝鮮半島は「統一」指向である一方、台湾は「現状維持」指向であり、東アジアの台湾ファクターには変数が非常に多い。
2.10年後の台湾
陳水扁総統の任期は第1期目が4年間。立法院の議席(220)中、与党民進党(68)は国民党(115)を下回る勢力にあるため、2001年の立法院、県市長選挙および2002年の台北、高雄の両市長選挙で与党民進党が議席・得票数を増やすことができれば、陳水扁政権2期目(2009年位まで)の可能性も出てくる。現在は、第一に内政重視で国内での足固めの時期であり、中台問題はその後になるであろう。
3.中国指導者体制の動向
中国は、2002年のポスト江沢民(総書記、国家主席)として、曾慶紅・中央組織部長を党総書記として党務に専念させ、国家主席を胡錦濤・国家副主席とすることを考えている。軍を江沢民が握り続ける場合、今後どのように体制のバランスを取るのかが注目されるが、軍の指令が届くのは師団長クラスぐらいまでで、地方のそのクラス以下はかなり地方経済に癒着し、腐敗問題を起因として次第に地方から体制が崩壊する可能性もある(2010年頃)。
楽観的な見方としては、中国の体制が連邦制へ上手に変化できれば、台湾との国家連合や色々な選択肢が想定される。
4.アメリカ大統領選挙後の東アジア政策の見通し(平成12年11月時点)
ブッシュ共和党新政権は、対日政策に関してブッシュ・シニア時代のアーミテージら日本通の人間が支え、対中国政策は前政権の「戦略的パートナーシップ」から「戦略的競争相手」へ変換と、東アジア政策を変えてくる。一方、中国側は台湾問題を2カ国間で対応したいとし、外国による関与を望まない。
5.台湾内政問題
野党の国民党と親民党の要人の訪中が陳水扁周辺より先行し、4年後に一緒に陳水扁政権をひっくり返す試みがすでに行われているが、現状で陳水扁政権を評価するのは時期尚早。しかし、第四原子力発電所建設中止問題を巡り、行政院長が辞任するなど「全民政府」が揺らいでいる。また、台湾野党全部が中国との関係が陳水扁以上に強いという「内なる中国」と、中華人民共和国の「外なる中国」の両方の挑戦を受け、政権基盤が揺らいでいるのが現状ではないか。
6.中台関係と日本の役割
中国は、「一つの中国」の確認外交をグローバルに展開し、同時にまた「武力」を背景にした「平和統一戦略」=台湾側から見れば「平和統一の罠」を展開しているものの、中台(両岸)の経済交流が大幅に増加している。「小三通(金門、馬祖との直行)」は2001年1月から開始されたが、これは陳水篇の中国に対する台湾側からの一方的な措置(陳政権の中国に対する「善意の放出」)であり、中国はそれを対話の突破口とは考えていない。本年中にWTO加盟問題が浮上するが、中台双方が加盟を目指すとすれば、両者の対話の機会が出現する。ただし、関係改善の「大三通」はまだ先。台湾海峡を挟んだ中台軍事バランスは、4〜5年間位はバランスがとれているが、その後は中国優位となろう。
中台両岸の指導部同士が直接接触することが今後可能となる場合、日本としては、中台関係安定化のための補足的な外交努力に留まる。日本が自国の安全保障のために行う紛争予防のための外交努力(予防外交)の際に、中国の軍事面での透明性を要求しなければならないが、実際それは期待できない。中台間の軍事アンバランスが将来発生することを想定して、日・米・韓国による戦域ミサイル防衛構想(TMD)に移行することが7〜8年後には必要になると予測する。(了) |
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