1) |
各国がそれぞれの国益にこだわるのは仕方ない。まず「温暖化対策を行うことで利益を受けるのは誰か?」ということを意識する必要があると考えます。Pronk議長も、IPCCのWatson氏も「温暖化問題に関しては、各国が損を受け入れることが肝要」という主旨の発言をしてますが、損をすることがはじめから明らかな国際条約が成功する可能性は少ないでしょう。少なくとも各国が進んで交渉に参加するインセンティブを提供する取り決めが必要に思います。経済学では「個人合理性を満たす」という表現をします。 |
2) |
地球温暖化の被害も考慮する。対策にかかる費用だけでなく、対策を行った際の便益分も可能な限り考慮すべきです。後者は、温暖化ガス排出削減で回避されるであろう環境被害に対する評価です。温暖化の被害は明確に把握されていない為政策に反映できないとするのは合理的と言えません。確実な情報がなくても、リスクを含めて政治的な評価を下すことは可能です。換言すると、情報が不確実でもそれを可能な限り利用して政策的判断の助けとするべきです。その際は削減投資と温暖化現象にまつわる不可逆性を考慮にいれて対策の内容とタイミングを決定することが重要となります。
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3) |
京都議定書の“Environmental(and Economic)Integrity”とは?2008年から2012年の間、先進国全体で1990年比で5%削減するという京都議定書の目標そのものに説得力が欠けていることが混乱の一因と思います。さらに、ホットエアー問題の根本的な対策が講じられないこと等にも不満を感じます。やはり、多少なりとも温暖化の被害を考慮に入れた政策への視点が必要と考えます。経済学の貢献は、与えられた目標を最小の費用で達成する政策の模索に限られるべきでしょうか?多分に理想的な考え方とはいえ、経済学は純便益(=粗便益−粗費用)を最大化する「最適な」政策に対する示唆も提供してくれます(温暖化のような国際的な問題に関しては、各国の純便益をどう集計すべきかという倫理的に大きな課題もありますが)。これは、何を以って、温暖化問題が「解決する」と見なすかという根本的な疑問にも関連します。 |
4) |
効率性(経済的最適化)と平等性(配分)の両立を目指す。この両者は必ずしも二者択一的な目標ではありません。理論の上では、途上国による「一人あたり二酸化炭素排出量の均等」という基本的人権に根ざした主張に配慮した所有権レジームの下でさえ、国際排出権市場により完全に効率的(経済学で言う「最適」)な対策を行うことも可能です(もし仮に温暖化問題に関して慈善的で強権的な世界政府があれば)。より現実的には、少なくとも上に記した各国の「個人合理性を満たす」という制約がネックとなって、当初はある程度の平等性が失われるでしょう(しかし、長期的には途上国の経済成長により平等性の問題も徐々に解消すると思います)。反対に、平等性を保持しながら、効率性を犠牲にする選択肢もあります。その場合、利他主義も含めて、世界市民的意識があれば、温暖化ガス削減の効率性における損失が小さくなるとも考えられます。
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