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ニュースレター
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2006年
5号
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第17回GISPRIシンポジウム
「新時代のアジア産業協力と日本の役割〜共生的ダイナミズムに向けて〜」 日時 2006年9月29日 13:00〜17:00 会場 全社協・灘尾ホール
基調報告「東アジア域内の産業協力と日本の役割」 末廣 昭(東京大学社会科学研究所 教授) 東京大学社会科学研究所の末廣と申します。私は1年間、この地球産業文化研究所で10名以上の方々と一緒に、アジア域内の産業協力と、今後日本がどういう役割を果たすべきかというテーマで、研究を続けてまいりました。現在、その成果を纏めつつありますが、本日はその一部をご紹介させていただくと同時に、皆さんからご意見を伺って我々の研究に役立てたいと思いますので、どうか5時までよろしくおつきあいをお願い申し上げます。 実は、最初の写真は、9月14日に用意したもので、今、タイの社会では黄色い服を着た国王を礼賛するグループと、そうでないムスリムたちのグループ等に別れていて、アジアは一筋縄ではいかないというお話を予定しておりましたら、5日後にクーデターが起こってしまい、ややその意図とは違うのですが、ちょっと見ていただきたいと思います。 (以下、スライド併用) ○<写真1>は今年の8月にTISCOビルからから撮った写真で、大変な中進国になっているという姿です。 ○<写真2>は2月にタクシンに対する反対運動がルンピニー公園で行われたときのもので、皆さん黄色い服を着ている。タイではホーラサートという占星術が盛んで、現国王が月曜日にお生まれになっており、月曜日の色が黄色です。国王に対する忠誠を示す意味と、87年のフィリピンの民主化運動を兼ね併せて黄色い服を皆が着ています。 ○<写真3>はインド人のマーケットですが、このようにタイの街を歩いていますと、黄色い服があふれかえっています。 ○<写真4>は今年の7月に、私が地方の小学校をある財団のお手伝いで回ったときのもので、学校の先生、保護者の皆さんが黄色い服を着ています。タイの今年の7〜8月は国王賛歌の黄色い世界で、見るところ、見るところが皆、黄色に見え、黄色の服を着るファッション(fashion)が、いつの間にか国王礼賛のファッショ(fascio)に変わりつつあったのが8月ぐらいであります。 ○ところが、同じバンコクの中でも中国人街に行くと、上には「ソン・プラジャルン・プラマハーガサット」、つまり「国王陛下万歳」という意味の垂れ幕がずらっと並んでいるのですが、人々は黄色のシャツを着ていないのです。 ○むしろ、今回中国人街を回って大変興味深かったのは、2003年10月に、タイと中国はアーリー・ハーベストで、穀物、米、酪農品以外の農産物、188品目について自由化をしました。今や、かき、桃、なし、りんごに至っては、もう十何種類、ほとんど中国人街の果物は中国からの輸入に席巻されたことです。つまり「国王万歳」と言いつつも、しっかりと中国人街の人々は、中国との交易で潤っていると感じました。 ○最後の日、夜のJALで帰る前に、私が雇っている運転手がたまたまムスリムだったもので、彼の実家に連れて行ってもらって、半日ぼんやりと遊んでいたのですが、<写真7>ムスリムのタラート(市場)では黄色の服を着ている人がほとんどいません。 ○実はこの2日前に、南タイで22か所、銀行が一斉に襲われました。死者はなかったのですが、新聞で見ますとタイのムスリムは怖いテロの固まりのようです。しかし、16日間タイにいた中で私が一番のんびりと過ごすことができたのは、このムスリムの村でした。 かように、黄色い服を着ている人からのんびりしているムスリムの村まで、多様にあると言いながら、その後クーデターが起きてしまいました。逆に言うと黄色い服を着た人たちが支えるエスタブリッシュのグループが、タクシンがこのままいくと、タイの国体にも係わる大規模な体制変革が起こるという危機感を持ち、軍を使ってクーデターを起こした。あれは決して軍が権力を奪取するためのクーデターではなく、国体をめぐる、或いは体制全体をめぐる戦いの中で、民主化と反民主化ではなく、タクシンが進めようとする改革もしくは革命を、そうでない人たちが阻止したと理解しております。まさに今のタイは黄色に染まった形で、多様性よりは黄色のタイになったのではないかという気がします。 ○ということで、今日の私の話は大変シンプルです。三つあります。 第一は、アジア経済で今何が起きているのか。三つの点に注目したいと思います。 1番めは、アジアが再び成長軸(成長センター)、それも実物経済(リアルセクター)で非常に大きな力を持ってきているという点です。 2番めは、「アジア化するアジア」、要するに域内の貿易、投資貿易の相互依存度が高まっている。「アジア化するアジア経済」がこの後ご報告される篠田さんが提案される「域内貿易と東アジアサミット」の背景となっています。 3番めは、アジア化するアジアを支えているのは、日本や台湾、韓国の企業が域内で企業内貿易をしていることが非常に大きな比重を占めているということです。 第二に、なぜわざわざ産業別に取り上げようとしているのか、その意味を考えてみたいと思います。そのうえで、日本の役割は何なのかと。 第三は、産業協力の枠組み、対象地域、担い手をどのように考えたらよいか。こういう三つの柱で話を進めさせていただきたいと思います。 ○第一点の、世界経済に占めるアジアの地位<表1>ですが、ヨーロッパ、北米、アジア全域を足した中でアジアがどれくらいを占めているかと言いますと、GNPで大体4分の1、輸出では3分の1を占めているとお考えいただければいいと思います。これも過去30年の間に随分伸びて、3分の1になったわけです。 ところが、一歩踏み込んで産業別に見ますと、随分アジアの地位は上昇します<表2・表3>。例えば、鉄鋼は1980〜2004年の間に23%から50%に、自動車生産は29%から37%に、合成繊維は30%から79%になり、半導体は1984年の37%から今は世界の3分の2の65%を占めるようになっています。 そして、特に注目していただきたいのは中国で、鉄鋼、合成繊維、自動車の分野で急速に伸びています。アジアにおける地位が実物経済で伸びている背景には、まず中国経済の飛躍的な伸びと同時に、日本企業がアジア進出を積極化させたことがあるかと思います。 ○続きまして、「アジア化するアジア経済」、つまりアジア域内の相互依存が高まっているということを示したのが<表4>です。 EUの域内依存度が今いちばん高いのですが、過去20年間の伸びからいくと、アジアにおいて大変これが進捗していることが分かると思います。 ○その前に、これは私の問題の整理ですが、この20年間に日本をめぐるアジアとの関係がどのように変わったかを、「貿易のトライアングル構造」の観点から考えております。第一世代<図1>と第二世代<図2>があり、第一世代で決定的に重要なのは、アメリカが巨大なアブソーバー、つまり工業品のマーケットとして存在し、アジアNICs、当時の香港、台湾、韓国、シンガポールがアメリカに工業品を輸出する。日本は、アメリカにより高度な工業品を輸出すると同時に、アジアNICsに中間財、資本財を提供し、アジアNICsは日本に対しては赤字だが、アメリカの黒字でカバーする。このアメリカのアブソーバーとしての役割が、アジアNICsの輸出指向的工業発展を支えた構図があって、真ん中のアジアNICs、日本とアメリカの間にある太平洋を挟んで両域が協力する「アジア・太平洋協力」或は、「リム・パシフィック」です。 ○ところが、1980年代後半から、中国の台頭で中国、ASEAN、そしてASEAN域内での貿易が増え、アブソーバーとしてのアメリカではなく、マーケットとしてのアジアが生産輸出拠点としてのアジアと重なって「アジア化するアジア」を進めているわけです。 ○この「アジア化するアジア」は、日本よりはタイを中心に見たほうがよく見えてきます。1996〜2005年の10年間にタイのアメリカ向輸出は1.7倍で現在1位、日本向けは1.6倍で現在2位ですが、ASEAN諸国をすべて合計した金額で、122億から241億ドルになっています。つまり、タイはASEANを大事なお客様として伸ばしてきているわけです。 それから、中国を見ますと、19億から92億ドルで4倍、香港向けが33億から62億ドル、香港と中国を合わせると154億ドルで、中国向け輸出は日本を抜いてしまっています。 インドは1996〜2005年の間に2.4億ドルから15.3億ドルと、最も高い6.4倍の伸びを示していますが、まだ金額は大きくありません。いずれにせよタイを中心に考えると、アジアを中心にモノが動きだしたということが分かります。 しかも、タイからインド向けの一位が自動車部品であることを除きますと、タイからの輸出品のトップはコンピューター部品であり、もはや米や天然ゴムの時代ではありません。 ○なぜそうなるのかを考えるときに、 <その他の資料2・表5〜9> を見ていただいたほうがよく分かるのですが、今のアジアの域内貿易の大きな特徴は、中国がマーケットシェアを伸ばしているのと同時に、ASEANも伸ばしていることです。逆にアジアNICs、もしくはNIEsはかなり比重を落としている姿が我々の今回の調査で分かりました。 ○なぜ中国向けが伸び、なぜインド向けが伸びているのか、実は国と国との貿易ではなく、その背後にある企業内貿易を見ていかねばならないことが、はっきりしています。 ○パソコンのマーケットはアメリカだけではありません。台湾も、日本も、東南アジアもパソコンの最終製品のマーケットで、しかも部品が行ったり来たりしています。もはやアメリカは唯一のアブソーバーではなく、マーケットとしての中国が前面に出てきて、かつ東南アジア、中国、韓国、台湾、日本の間で部品や完成品が行ったり来たりしているという形で、アジアの域内貿易を急速に増やしているといえます。 ○そこで、中国の台頭に対し、中国は脅威かという議論のときに、台湾を例に取りますと<図8>、台湾からアメリカ向けのコンピューター製品は1996〜2004年の間に8億ドル減り、その代わり集積回路が8億ドル増えて、とんとんになっています。 ICの日本向け輸出は145億ドルも増えました。同時に、完成品のコンピューターは中国向けに147億ドル増えて、さらに中国を経てアメリカ向け輸出はコンピューター製品とICを合わせて43億ドル増えています。このように、中国の台頭の中で台湾は違う形の分業で輸出を伸ばしてきています。そういう意味でのWin-Win関係的なものが実はいろいろなところで起きていることを、第一に強調したいわけです。 ○次に、「アジア化するアジア経済」について圧倒的に例として紹介されるのが、電子製品です。企業内貿易をいちばん見やすい例として紹介することが多いわけで、金型はどうなっているのか、石油化学は、繊維はという産業別の問題は、意外と注目されていません。 しかし、今後どのようにアジアと共存、共生関係を結ぶかというときに、産業の違いをきっちり見ないとだめではないか。技術革新のスピード、工程間分業が簡単か、相手国政府が保護政策や優遇措置を執っているか、あるいは企業がどのような戦略を執っているのかという面から見た場合に、産業別の違いにもっと注目しておく必要があると思います。 ○自動車については今、東南アジアと中国とインドで、企業は別々に戦略を展開していて、インディペンデントなマーケットを展開しています。自動車では当面、インド、中国、東南アジアをカバーする、広域な地域内での分業関係やモノの交流は、直には進みません。 ○一方、繊維産業、これは本当に中国の一人勝ち現象です<図12>。日本の繊維の輸入浸透率は、80年の18%から、2004年には84%になっています。衣類に至っては、点数ベースでは我々の内需の94%が輸入品、その多くが中国で、大英帝国でさえも実現できなかった世界の4割以上の繊維の生産を中国一つが占めるという突出した存在になっています。 ○<図13>は繊維製品の日本の輸入と輸出の図で、中国が脅威と言うよりも、日本はもう相手になっていない。そのようにとらえていいかというと、実はそうとも言えないわけです。もはや政府間の交渉ではなくて、業界が中心になって調整をやるとか、あるいはまだ日本が伸びている自動車向けのシートや、電子製品の部品の中で使われているファイバー関係のもので、もう一回繊維産業をとらえ直す姿勢も必要ではないかと思います。 ○ということで、中国を敵視するわけでなくて、まず生産(輸出)拠点としての中国、あるいはASEANにとっての巨大な市場としての中国など、産業別、製品別にそれぞれの地域はどういう関係にあるか、もっときめ細かく見たほうがいいと思います。 ○では域内産業協力をどのような枠組みで、かつどのようなプレーヤーが中心になって行うのかが最後のテーマになります。 この問題は、まず政府=政府(G=G)ベースが中心になると思います。しかしそれ以外に、あとで石油化学や化学で出るように、政府と民間の協力も必要になってきますし、先ほど申し上げた繊維など民間レベルの協力もありうるでしょう。 ○政府レベルでもWTO、あるいは東アジアサミットやAPECの世界、ASEAN+3のレベル、あるいは二国間のレベルといろいろブレークダウンして考えることができます。 我々の研究チームが強調しようと思ったのは、政府=政府(G=G)ベースだけではなく、業界団体や経済団体、NPO/NGOレベル、あるいは大学レベルでの協力というものを、産業協力とくっつけて考える必要があるのではないかということです。 ○その一つとして、<表8>は三上さんが苦労して作られた表ですが、1995年に東アジアが日本へ送っているのは留学生全体の18%です。東南アジアも日本はわずか4%で、北米とヨーロッパを合わせて70%。つまりアジア諸国は貴重な、優秀な頭を日本には送っておりません。こういう問題は、政府レベルではなく、もっと民間、あるいは大学が頑張っていかなければならないのではないでしょうか。 ○ということで、今回のテーマはここに挙げた三つです。一つは、産業別にもう一回問題を見直してアジア諸国との連携を考えよう。二つめは、G=Gベースだけではなく、大学、市民組織、あるいは業界団体との連携のあり方を考えてみたらどうか。三つめは、中国との関係を単なる対立的競合やゼロサム的な競争ではなくて、現在の中国とASEAN、インドとASEANが示しているように、ともに創り、ともに生きる共創的・共生的関係に行くためには、どのようなシナリオを描いたらよいか。以下、篠田さんに政府レベルの地域協力の実態を、そして小島さんに、今、躍進著しいインドの実態をお話しいただいて、コーヒーブレイクを間に挟みまして、それぞれの産業に詳しいかたがたに登場していただいて個別産業の問題点を語っていただく、このように進めたいと思います。 ○これはタイで作られている朝採りのアスパラで、バンコクから200km離れた所のアスパラですが、次の次の日の朝の日本の青果市場には、タイのフレッシュなアスパラが出ている、今はそういうところまできています。どうもご清聴ありがとうございました。 報告1「東アジアEPA構想と日本の経済・産業協力」 篠田 邦彦(経済産業省通商政策局アジア太平洋地域協力推進室 室長)
(篠田)私自身は昨年の7月まで、タイにありますJODCバンコクで、特に日本とASEAN全体の経済産業協力を3年間ほど担当しておりましたので、そのときの経験も交えながらご説明させていただきたいと思います。 (以下、スライド併用) ○本日は、四つの項目についてお話したいと思います。 1番めは、そもそも経済連携協定(EPA)とは何かという話、2番めは、日ASEANにおける経済連携の動き、3番めは、日ASEAN間の経済・産業協力、最後に、中国、韓国、場合によってはインド、オーストラリア、ニュージーランドも加えた東アジアにおける経済統合の方向性ということで、お話をさせていただきたいと思います。 ○最初は経済連携協定の話ですが、新聞誌上にFTA、EPAという言葉が並んでいます。集合論からいうとFTAのほうがより狭い概念で、伝統的に関税引き下げ、サービス貿易の自由化等の話が中心ですが、EPA(Economic Partnership Agreements)になると、それ以外に投資、知的財産権、競争政策等、さまざまな分野での円滑化や協力が含まれます。 ○EPAやFTAとWTOとの違いですが、WTOには全世界で150か国くらいが加盟していますが、FTAは二国間、あるいは複数の国の間で自由化を進めていくものです。 WTOに比べるとFTAのほうが投資や政府調達、競争政策等、WTOに入っていない幅広い分野で、よりWTOプラスの自由化を追求していけるといった側面もあります。 ○我が国の経済連携協定の目的は三つで、一つは、WTOを中心とする自由貿易体制の補完。次に、日本にとって有益な産業の国際ネットワークがある東アジアでの地域的な共同体の構築、第三に、日本の中での、人の移動や農業などの分野での構造改革の推進です。 ○経済連携協定が目指すべき内容は三つございます。一つは、一般的経営資源、モノ、サービス、人、場合によっては資金などの流れの円滑化。二つめは、日本の企業が海外へ進出した際の、現地における投資制度、知的財産権、基準・認証など、制度面での事業環境の円滑化。それから、三つめは、地域の安定的な発展を目指すということで、エネルギーや環境、場合によっては金融のような分野が含まれるかと思います。 ○続きまして、日ASEANを中心とした経済連携の動きにつきお話をいたします。 ○これが、全世界の主要な経済連携の動きですが、FTAの数は1970年代に6件しかなかったものが、今や193件です。1990年代後半〜2000年代に入って、急速に東アジア地域におけるFTAが増えました。 ○これは、日本が今進めている経済連携の動きで基本的には、ASEANと交渉しています。個別には、既にシンガポール、マレーシア、フィリピンと合意がなされています。それから、アジア地域以外ですとメキシコとの間で既に合意をしています。 ○これが、全体のスケジュール表で、2000年代の初めにシンガポールから始まって、メキシコと合意し、ASEANとのFTAを始めるときに、全体でやるとレベルの低いものになってしまうのではないかということで、個別の国とできるだけ包括的、かつレベルの高いFTA交渉をやるということで始まり、1年ぐらい遅れてASEANの交渉が始まっています。新規加盟国のベトナムやブルネイなどとは、やや交渉が遅れて始まっているところです。最近の動きとしてはチリ、湾岸諸国、インドとの交渉が始まっています。 ○中長期的な話では、東アジアと書いてあって、ASEAN+日中韓にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加え、地域における経済連携の将来像を議論していく専門家会合が、今動いているところです。 東アジアのFTAは、今、ハブ&スポーク構造になっていて、ASEANを中心に、その周辺の対話国といわれる日本、韓国、中国、インド、オーストラリア、ニュージーランドとの間で、リジョナルな交渉が進められています。中長期的には、一つの大きな全体的なまとまりとして、経済連携を進めていこうという話になっています。 ○ASEANは、1992年にAFTAがはじまり、原加盟国といわれる6か国は、2010年までに関税をゼロ%に、新規加盟国であるベトナム、ラオス・ミャンマー、カンボジアは5年くらい遅れて関税の自由化を進めるスケジュールになっています。中国、インド、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドがFTAの交渉を順次進めていて、大体2007〜2008年あたりに交渉の決着がつくのではないかといわれています。 ○ASEANの中の経済統合の動きですが、短期的なステップとして、優先11分野と言って、重要度の高い産業で関税の引き下げや非関税障壁の撤廃を行っているところです。 中長期的には2020年までにASEAN経済共同体を実現することを、2003年のASEANサミットで決め、今年8月のASEAN経済大臣会合の場で、2020年の期限を5年間前倒しできないかという話が出たところです。 ○続きまして、日本とASEANの間で進めている経済連携協定の動きをご説明いたします。協議開始は2004年の2月で、来年協議終了を目標としているところです。 重要なのは、我が国にとって重要な生産拠点であることと、日本が出遅れていると、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランド、その他の国が先にFTAを結んでしまって、日本企業が相対的に不利になってしまう可能性があることです。 ○ASEANの対世界貿易の中で、日本とASEANとの貿易額は13.7%しか占めません。しかし、ASEANの域内貿易の中には、日系企業などの企業内貿易も含まれています。 ○単純に日本を中心としてASEAN各国とハブ&スポークで取引をしているだけではありません。例えば日本から部品をタイに輸出して、タイでまた再加工してインドネシアに再輸出する、三国間貿易の形態がかなり増えています。 ○なぜASEAN全体と結ぶことが重要なのか。例えば二国間の経済連携協定を結んでいる日本とタイ間の関税はゼロ%になるのですが、そこからさらに再加工して他の国に輸出する際のASEAN内の貿易については、WTOで決まっているMFNの税率が適用されます。ASEANの域内で40%の付加価値が確保できれば、この間はゼロ%になる可能性もあるのですが、ハイスペックの液晶テレビだと、日本から来る時点で既に高い付加価値比率を占めて、ASEAN域内では40%の付加価値基準を達成できないわけです。 そこで、日ASEAN包括経済連携協定を結んで、ASEANの中だけではなく、日本も含めた原産地規則を作って、ASEANの中における取引も関税がゼロ%になる。これがいちばん大きなメリットになります。 ○中ASEANや韓ASEANのFTAが実現した場合、中国や韓国からの輸出は、一定の付加価値を超えればASEANの中でゼロ%になるのですが、日本だけ交渉が遅れたりするとASEANの中でMFN税率がかかってしまい、不利な状況になる虞があります。 ○3番めの、日ASEAN間の経済・産業協力は私自身が過去3年間やっていた話です。 ○歴史をたどってみると、地域的な協力で三つくらい歴史のパラダイムがあると思います。 一つは、1990年代初めにカンボジアで和平が成立し、インドシナ諸国で地域が安定してきたときの、カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナムのASEAN加盟支援で、一生懸命協力をしていた時期があります。 1997年にアジア経済危機が起きて、テーマはむしろASEANの経済産業の再生ということで、AMEICC(日ASEAN経済産業協力委員会)を立ち上げました。 2000年を越え、中国、日本、インド、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどの経済連携の動きが活発化して、第3番めのパラダイムとして、経済連携を強化する協力を進める方向性に変わってきていると思います。 ○日ASEAN経済産業協力委員会は、1997年の首脳会議で合意されて、1998年に設立され、ASEANの経済統合支援を目的に、ASEANの競争力強化、産業協力の推進、ASEAN新規加盟国への支援および日ASEAN経済大臣会合への政策提言などを進めています。年に1回、日ASEAN間の経済大臣会合に合わせて日ASEAN経済産業協力委員会が開かれます。人材育成、中小企業、メコン地域の開発、統計といった横割りの課題に加えて、縦割りの自動車、化学、ITといった産業毎の協力も進めています。 ○具体的には、日本としてASEAN経済統合を支援するさまざまな分野での協力を進めようと、日ASEAN経済大臣会合でさまざまなイニシアチブを出しているところです。 ○具体的な協力ですが、現地に進出している日系企業としては貿易投資の自由化、円滑化が重要なテーマで、ICタグの活用、物流の協力、各国の基準・認証の整合化、知的財産権、特に特許の申請を早めたり、模倣品・海賊版対策のような取り組みを行っています。また、ASEANの11優先分野の経済統合に合わせて日本として優先順位の高い自動車、電気・電子、IT分野で協力を進めてきているところです。 カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム(CLMV)諸国はASEANの中では相対的に経済発展が遅れていますが、中国の南に位置し、中国がASEANに南下していく際の一種の結節点になっており、ぐずぐずしているとその市場なり、生産基地としての場所を取られてしまう可能性があります。この地域では、タイを中心とした後背地の産業や物流のネットワークを強化する協力をしているところです。 最後に、それ以外の横断的政策課題ということで、エネルギー、環境、確率・統計、人材育成、中小企業等、さまざまな分野で協力をしています。 ○もともとインドシナ半島の場合には、バンコクを中心として比較的経済発展が進んでいるハノイ、ホーチミンがありますが、その間の物流は海上物流が中心です。 そこで、陸路物流の効率化、特に国境沿いの地域に経済特区を作って、生産物流ネットワークに組み込む協力を、今進めているところです。 ○メコン地域の地政学的重要性ですが、まずASEANの中で遅れている地域の経済を底上げすることで、ASEANの経済統合をしやすくする意味がありますし、日ASEAN交渉でも、これらの国々は取り残された側面があり、支援を強化していくということです。 対中国との関係では、特許権の侵害や密輸問題で、日本企業の競争条件を整備し、中国の北から南への進出に対して、日本はむしろ東西を結ぶ物流インフラの整備でこの地域を開発していこうということです。 ○今年8月に日ASEANの経済大臣会合で、カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナムに対して行った協力を述べています。まず、ASEAN向け海外直接投資の促進に向けた協力として、第一にASEANの共通投資環境整備とありますが、各国の投資環境を日本企業の目で評価して、投資環境の改善に向けた競争を促していく調査やシンポジウムを考えています。第二に、物流効率化に向けた取り組みで、さまざまな活動やICタグの活用を行っています。三番目は、メコン地域の経済特区の調査、能力開発、専門家派遣です。 次が、アセアン産業競争力強化に向けた協力として、第一にASEAN全体として売り出していけるようなブランド作りの話、第二にこの地域の人材を日本にどんどん呼ぼうという話、三つめは、リーディング・インダストリーの一つである天然ゴムの育成支援です。 ○最後に、東アジア経済統合の方向性に移らせていただきます。 ○東アジアにおける相互依存関係の深化ということで、このグラフは、1999〜2004年に東アジアと日本との間で、貿易、投資で見た場合に、かなりシェアが上昇しています。 ○貿易の関係では、1999〜2004年に加工組み立て産業の中間財の貿易が拡大しています。 ○日本の貿易に占める東アジア地域のプレゼンスは高く、全体の約50%を占めています。 ○域内の貿易比率の上昇ということで、EUに比べれば、まだ高くないのですが、最近上昇のペースが急速に上がっていて、NAFTAはかなり超えているレベルです。 ○昨年(2005年)12月に、マレーシアで第1回の東アジアサミットが開かれ、今後、東アジア共同体を作る動きがあります。ただ、NAFTAやEUに比べると、経済の発展度合いも上下で差があり、文化的、社会的なバックグラウンドも違う国なので、より前進的な取り組みが必要かと思います。 ○これが、東アジアサミットまでの経緯を示したものです。話し合いが始まったのは、1997年の第1回ASEAN+3首脳会議が開かれてからです。その後、2001年ぐらいに東アジアビジョンができて、ビジョングループが報告書を出し、東アジアスタディーグループが報告書を出して、この地域における中長期的な取り組みを明らかにしたわけです。 ただ、日本としては日中韓+ASEANでは中国がこの地域の主導権を握りかねないと、オーストラリア、ニュージーランド、インドも加えた、より自由主義、市場主義、民主主義といった同じ価値観を共有する国も加えたサミットを2005年に開こうということで、第1回サミットが去年の12月に開催されました。 ○サミットを開く背景は、ASEANとその周辺の対話国との経済連携の流れが進みつつあり、例えば原油高、エネルギー安全保障の話、鳥インフルエンザ、SARSのような地域全体の共通課題が増えてきていることす。 ○東アジアサミットをめぐる対立構造は最近変化しつつあるのですが、ASEAN+日中韓+オーストラリア、ニュージーランド、インドといったASEAN+6が、東アジア共同体構想で主導権を握っていくのだという立場と、ASEAN+3が主導権を握っていくのだという、二つのグループに分かれているところです。 アメリカは、もう少しこの地域への関与を強化し、特にAPECなどを通じてこの地域の経済発展、安全保障により深く関与しようとしています。 ○今後の動きとしては、今年の12月に第2回のサミットが開かれ、具体的な課題への対応策を議論する予定です。翌年(2007年)12月に、ASEAN+3の首脳会議で、第二東アジア協力共同声明を策定して、今後の東アジア協力の基本方針を固めていく予定です。 ○最後に、今年の5月に、二階経済産業大臣が、「東アジアEPA構想」と「東アジア版OECD構想」を出しましたので、それについて説明いたします。 ○中国が主導する形で2005年から東アジアFTA研究会を開いています。東アジアFTAの内容がモノの貿易を中心とした経済統合の姿しか描いていないので、モノの貿易だけでなく投資やサービスなど、さまざまな分野を含めた包括的な協定を作らなければいけないという話と、日本と価値観を同じくするような国を加えたASEAN+6での検討を進めていくべきではないかという話を、日本から働きかけています。 ○東アジアEPAに含めるべき要素は、まず貿易の自由化。次に現地に進出した日系企業のための投資、知的財産のルール整備。第3は地域の安定的な発展のための経済協力です。 ○盛り込むべき具体的内容は、貿易の自由化・円滑化、投資ルールの整備、人の移動、知的財産、紛争解決手続き等を今のところ想定し、2007年から民間セクターを中心とした研究会を開き、そこで具体的に決めていく予定です。 ○東アジアEPAができた場合に、従来の国際分業がどう変わるかですが、従来は日本、ASEAN、インド、中国と、それぞれの生産拠点や市場が別々にFTAを結んだ国の間の貿易投資の流れを拡大してきたのですが、今後、地域を大きくまたぐEPAができると、個別の経済圏が一体となって、地域における国際分業を進めていくということです。 ○これは、モノの貿易を中心に経済効果を試算したもので、ASEAN+日、ASEAN+3、ASEAN+6と加盟国が増えるほど、GDPに与える影響がプラスになる試算が出ています。 ○二階大臣が出した構想のロードマップでは、2007年を目途に、日ASEAN経済連携協定などが一段落し、そのあとインドやオーストラリアなどと話を進め、中国や韓国とも投資協定を進めていく。そのあと、本格的な東アジア全体の経済連携協定の可能性を探っていくタイムテーブルを想定しています。 ○最後に、二階構想の中の2番めの、東アジアOECD構想ですが、東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)に東アジア諸国から研究者を集めて連携し、この地域における将来的な経済統合のビジョンを検討していこうという提案を、二階大臣がしました。場所は今後決めていくのですが、複数年で100億円くらい日本から拠出して、研究者の人件費などに充てようという話をしているところです。来年のプロセスでさらに具体化していくものと思われます。 2「インドの台頭とルックイースト政策」 小島 眞(拓殖大学国際開発学部 教授)
(小島)インドといいますと、従来、閉鎖的な体制の下で、しかも対外的な経済関係はヨーロッパ、或は旧ソ連、アメリカにシフトしており、東アジアとの経済関係は若干疎遠な状態にありましたが、1990年代以降、インドも「ルックイースト政策」を導入して、最近は東アジアとの経済関係も緊密になりつつあります。 また、東アジアサミット、ASEAN+6に入って、ようやくインドも東アジアの一員として認知される状況にあるのではないかと思います。 (以下、スライド併用) ○今日は、インドITの進展状況、さらには近年の東アジアとの経済関係の動向、或は今後の可能性につき、お話をさせていただきたいと思います。 ○まず、インドの経済発展の新しい局面です。 ○昨年度のインド経済概要は、GDPで世界第10位ですが、購買力平価で換算すると第4位の高いレベルです。輸出額も1000億ドルを超え、乗用車、冷蔵庫に手が届く中間層、年収20〜100万ルピー(約50万〜250万円)の層が、1億1000万人を超える状況です。 ○インドは独立以来ネルー体制の下で経済的な充実を図り、1980年頃までの30年間は平均経済成長率が3.5%で、ヒンドゥー成長率といわれてきました。しかしこの間は、幅広い産業基盤が形成された時期で、1980年代に入り5%台、1990年代以降は6%台と順調な成長を続けています。1980年代に少し成長がアップした理由の一つは、穀物自給の達成で、今インドは穀物の輸出国です。また、規制緩和の措置が導入され始めた結果、工業部門で生産性向上が見られ、更に1991年に本格的な経済改革が導入されました。 ○1980年代以降のインドの成長率ですが、GDPの成長率は1990年代以降6%台で、特に1990年代に入るとサービス産業の成長率が工業を上回り、東アジアと違い、サービス主導型の発展が見られ、その最たるものがIT産業だと思います。 ○インド型の経済成長の特徴ですが、やはりサービス牽引型でITサービス、及び通信が、相当な伸びを示しており、現在、通信では最近1か月の(携帯電話の)新規加入者が500万人、総加入者数は1億人を超えている状況です。同時に工業部門もかなり高い成長を示しており、東アジアとの関係も少し拡大してきていると思います。 ○これはゴールドマン・サックスのBRICsとしての将来展望で、アメリカを100とした場合、インドは今後数十年間、5〜6%以上、或はそれに近い成長を示すという展望が専ら支持されており、このままいくと2032年には日本のGDPを上回り、2050年には日本のGDPの4倍ぐらいになるといった予測です。 ○最大の立役者はIT産業で、1980年代まではほとんど問題にならなかったのですが、1990年代に入ってから成長し、現在の売り上げはGDPの4.5%を超えています。 ○インドの場合のIT産業はハードかソフトかといいますと、典型的にソフトで、1995年ごろからソフトのシェアがどんどん伸びています。 ○インドIT産業は、国内市場指向型の従来産業とおよそ逆の輸出指向型です。1990年代の年平均輸出は50%、21世紀に入っても30%の成長を続け、輸出では最大の稼ぎ頭です。 ○これは、インドのIT産業構成で、インドの業界団体の統計を用いたものです。ITサービスはソフトウェア開発、ITES−BPO、更には製造業向けのエンジニアリング、R&D、CAD/CAM、組み込みソフトウェア、ソフトウェア製品の開発といった、先端の部分も新しい項目として最近注目されています。他方、ハードのシェアはまだ少ないのがインドIT産業全体の最近の構成です。 ○輸出が64%で、明らかに輸出依存型の産業です。輸出先は英語圏だけで8割ほどを占め、日本との関係はまだそれほど多くありません。 ○ソフトウェア開発の輸出の細かい項目ですが、カスタム・アプリケーション開発、アプリケーション・マネジメント等のシェアがまだ大きいわけです。 ○それから、最近ではITES−BPO(Business Process Outsourcing)が重要になってきており、卑近な例ではコールセンターです。しかし、より高度なドメイン、知識、スキルを要求するBPOが増えてきて、いわゆる知識プロセス・アウトソーシングも注目されるべき内容として拡大しています。 ○エンジニアリング、R&Dサービスでの半導体のデザイン・開発、自動車や航空機等のCAD/CAM、組込みソフトウェアで欧米企業や、最近は日本企業もインドを活用しています。 ○今後の輸出の伸びがこのまま30%程度で続くと、2009年度にはIT(サービス)の輸出は600億ドルになり、商品輸出とサービス輸出の両方を含めた全体の輸出に占める割合も3割を超える状況が展望されます。 ○インドのIT産業のプレーヤーには、三つのグループが考えられます。一つは民族系トップ5社で46%。二つめは多国籍企業の自社内センターで30%のシェアを持っています。あと3000社以上の企業があり、残りの24%を占めています。 ○民族系企業トップ5の輸出額、雇用数ですが、特にトップ3の場合は5万人以上の雇用数です。しかも年々急激な拡大を続けてきている状況です。 他方、多国籍企業、例えばIBMも4万人を超える規模のセンターを設けています。 ○民族系企業が主流で、大手企業が20〜25%の高い利益率、30〜40%の売上げの伸びを示しています。大手企業の場合、品質管理或はプロジェクト・マネジメントが非常に卓越したレベルで、常に改善が図られ、CAD/CAM、組込み等の分野に力を入れています。 ○民族系プレーヤーTCSの事例ですが、昨年度は1万7000人の従業員の拡大があり、今年も2万人の拡大を目指して、拡大のテンポが急ピッチです。しかも、海外11か所に拠点を持っています。海外でのM&Aも非常に活発で、グローバルな事業展開をしています。 ○外資系プレーヤー数は正確には分かりませんが、400社を超える企業がインドで開発センターを持って、機密性という点で自社内センターを活用しており、拡大を遂げています。 しかし最近は、インドのIT技術者の賃金が高く、自社内センターの離職率も高いので、民族系企業と提携しながらIT技術者の提供を支援してもらう形の、ハイブリッド・モデルを展開する傾向も見られます。 ○今後マイクロソフトではインドでの人員を4000人から7000人の規模に拡大する予定だそうです。今年の8月にハイデラバードの開発センターを見る機会があり、話を伺いましたが、ここでは最先端の製品開発がなされており、レッドモンドのR&Dセンターと連携した海外で最も重要な研究開発拠点であり、また、インドの大手IT企業と人材面で連携しながらやっているそうです。 ○インドのIT産業は、世界ITハブとしての役割を持っていると思いますが、その優位性は何処にあるのか、どういった課題があるのかにつきお話してみたいと思います。 ○世界全体のアウトソーシングに占めるインドのシェアですが、ITオフショアのシェアは65%で、だんだん高まってきています。ITES−BPOについては46%ぐらいです。 ○インドのIT産業は、特に米国との関係抜きに考えることはできません。つまり、人的ネットワークです。 アメリカには現在200万人ぐらいのインド系の人がいて、6割は永住権を持っているといわれていますが、この人たちの平均所得はアメリカの平均所得を上回り、シリコンバレーをはじめ、アメリカのIT企業の立ち上げに重要な役割を果たしています。アメリカでもIT人材は不足しており、H−1Bビザの45%ぐらいはインド人が占めています。 去年、シリコンバレーでインド人のネットワークを見学したのですが、最近はインドのIT産業は非常に給料が高いということで、インドへ帰還する人も増えています。 ○強さの源泉は人材で、特にIT産業の場合は人材が決定的にものをいいます。もともとインドでは優秀な人は理工系に行く流れですが、IT関係は給料が高いので、理工系に加速した流れがあり、英語に堪能な人材は、国際的な業務を遂行するうえで非常に有利です。また、プロジェクト・マネジメント能力という点で非常にレベルが高く、年間、工学系と理学系(ディプロマ)を合わせ、90万人を超える人が卒業しています。 ○品質管理でも、ソフトウェアの場合はCMMというモデルがあり、レベル5に行くと、すべて数量化して自動的に改善を図るという体制ができているのですが、この認定を受けている企業が、インドではもう82社を超えています。これは世界の半分以上の割合です。 ○ハードウェアに関しては、大きな課題が残っています。ただ最近、携帯電話の普及がめざましく、外国企業もインドで生産する傾向が強まり、今後充実される見込みがあります。 ○問題は国内市場ですが、この点については、ハードの普及が前提条件です。さらに州ごとの言語による入力変換のソフトが普及することが条件だと思います。 ○では、このインドが東アジアとどういった関係拡大にあるかということです。 ○インドは、1991年に改革開放を導入し、その時点でルックイースト政策を掲げました。高い成長を続ける東アジアと連携したい、対外指向的な発展政策を掲げたわけです。 まずASEANに接近し、対話パートナー、地域フォーラム・メンバー、2002年には首脳国会議を開催しました。 ○FTAの締結に力を入れており、例えばBIMSTEC(バングラディッシュ・インド・ミャンマー・スリランカ・タイの経済協力協定)ですが、南アジアの国々とともにASEANに接近という思惑から、調印しました。ASEANとの間では枠組み協定を調印、タイとの間でも枠組み協定を調印してアーリー・ハーベストを実施しています。シンガポールとの間では、昨年6月に包括的な経済協力協定を締結しました。 ○ほかの地域と比べたインドと東アジアの貿易額の推移ですが、伝統的にインドはEUやアメリカとの関係が強かったのが、2001年度から東アジアがEUとの貿易額を上回り、東アジアへの接近が明瞭です。 ○東アジアの中では、ASEANの伸びが非常に顕著で、同時に、中国が2002年度には日印貿易を上回り、現在は日印貿易の3倍、韓国も昨年度は日印貿易にほぼ迫る状況です。 ○インドへの直接投資の動向で、日本も上位につけていることは否定できませんが、シンガポールのほうがインドへの直接投資額が多く、日本は確実な拡大を示してはいません。 ○東アジアとの貿易は、2003年度にEUを上回り、北東アジアとASEANを分けた場合、北東アジアの場合はインドが一次産品や半製品を輸出し、機械類や工業製品を輸入する流れですが、ASEANとは、石油製品や宝石に加えて、電子製品や機械類のインドからの輸出が増えている特徴があります。 ○印中関係が日本の3倍、香港を含め4倍ぐらいと急ピッチに拡大した背景には中国側の要因があります。中国は大変な勢いでインフラを整備し、それに要する鉄鉱石、鉄鋼製品が急増しています。そして中国からは電子製品、石炭、コークスがインドへ出ています。 ○印中関係で注目されるのが、ITでの連携です。インドでは賃金も上昇し、インドの大手企業は中国でIT人材を確保しようと中国へ進出、そこから日本等への輸出も含めたグローバルな事業展開を、更には中国国内市場をとの思惑から、最近中国へ進出しています。 中国側も、イIT人材の育成、或は輸出拡大に向けたノウハウを学ぼうと、インドの進出を歓迎しています。他方、中国企業も、華為技術や中興通訊(ZTE)等の通信、IT系がインドにソフトウェア・センターを設置し、或は携帯電話の販売も行っています。 ○韓国の場合は家電製品の販売でインドに大きなシェアを持っています。また、現代自動車も乗用車部門では第2位のシェアを持っており、POSCO、鉄鋼会社がインドで1200万トンの生産をしようと、オリッサ州との間で正式な合意をしています。また、インド企業のタタ・モーターズでは、韓国の大宇の商用車部門を買収しようという動きもあります。 ○ASEAN、特にシンガポールがインドのインフラを中心に幅広く投資を展開し、マレーシアも道路建設など、インドへの進出が注目されています。 ○日印関係では、インドが1990年代に改革開放をした後あまり拡大していません。それどころか、貿易に占める日本のシェアは低下し、2.6%ぐらいと、マイナーな地位になっています。また、インドから日本への輸入品も、伝統的な三つの商品がまだ支配的です。 ○直接投資は自動車を中心に、インドでは大きな意味を持っていますが、全体として力強い拡大はまだ見せていません。 他方、ODAではインドのシェアは日本では最大です。今後ODAをインドでのインフラ整備に活用し、それによって日本企業のインド進出を容易にするという方向で、日印関係拡大の可能性があるのではないかと感じています。 ○最後に、東アジアから見たインドの重要性で、巨大市場として自動車、電気製品は顕著な拡大を示しており、東アジアから見ても耐久消費財市場として注目されます。 インドは確かにインフラが未整備で、企業進出の課題ですが、逆にインフラ整備で大きなニーズが生まれています。インド政府は今後5年間で1500億ドル規模の外国投資の受け入れを期待し、マレーシアやシンガポールは参入しています。インフラ整備も、巨大市場の可能性につながると考えることもできます。 それから、生産拠点です。FTAの締結によって、インドを巻き込んだ企業内国際分業の拡大が期待できます。 また、日本をはじめ、ものづくりの分野では、ソフトウェアの占める比重が高まり、ITのアウトソーシング先としても、インドの重要性は今後大いに期待できます。 パネル討論「アジア域内連携の枠組みと産業協力の意義」 モデレータ 末廣 昭(東京大学社会科学研究所 教授) パネリスト 大川三千男(東レ株式会社 顧問) 斉藤 栄司(大阪経済大学経済学部 学部長教授) 高山 勇一(株式会社現代文化研究所 常務取締役) 竹内 順子(株式会社日本総合研究所 主任研究員) 丸川 知雄(東京大学社会科学研究所 助教授) 三上 喜貴(長岡技術科学大学経営情報系 教授) 峰 毅(東京大学大学院経済学研究科 博士課程) 山近 英彦(経済産業省貿易経済協力局技術協力課 課長)
(末廣) 引き続き後半の部、パネルディスカッションに入りたいと思います。 前半の部分について、質問やコメントがあると思いますが、流れとして、まず個別産業のコメントをいただき、質問等はそのあとにフロアから受けたいと思います。 それでは最初に、東レの大川さんから、繊維産業の状況についてお願いいたします。 (大川) 私は、日本の繊維産業連盟や化繊協会などでも、繊維産業全般に関わる問題について、色々担当してまいりました。現在はまた、日本経団連の中のアジアとの経済連携を促進する役目も果たしております。 今日は、繊維産業におけるアジアの中の域内連携の枠組みと産業協力につき、お話をいたします。 お手元の資料 は10年前からアジアの化繊産業の連盟を日本が中心になって作り、そこで行ってきた色々な活動です。繊維産業はアジアの中で今非常に大きな産業になっていますが、イギリスの産業革命もそうでしたし、日本の明治維新や戦後の産業発展もそうですが、繊維産業を軸に新しい近代的な産業が起きる。そして、外貨獲得のために、途上国から近代的産業を興す国が必ず手掛けるので、激しい通商摩擦も伴います。 繊維は、着るものだけでなく、生活用インテリアや資材、自動車や航空機等、様々な産業で非常に機能の強い繊維、先端的な素材が使われるため、色々な局面を持った産業で、発展段階の国々が、コスト競争力、技術開発力など様々な競争力を発揮できます。 10年前、今東レの名誉会長の前田が日本の化繊協会長をしていたときに、アジアがこれから世界の繊維産業の中心になり、素材的な面では化合繊が中心になるので、その連盟を作ろうと呼びかけ、日本、韓国、台湾、中国、ASEANのマレーシア、フィリピン、インドネシア、そしてインドとパキスタンまでの地域をアジアと定め、地域の化繊産業の連盟を作り、何回か会議をやってきました。今年が10周年になるので、1年間かけて「アジア化繊産業ビジョン」を作ろうとまとめた内容が、書いてあります。 需給問題の正確な認識を持つということだけです。世界の約75%はアジアの国々で作られ、非常に影響力が高いわけですが、また、設備過剰、供給過剰の問題もあります。 また、圧倒的に中国が大きな力を持っています。繊維産業がイギリスで起こり、ヨーロッパ、アメリカ、日本、それからアジア各国と地球を西へ進む形で発展し、最後は中国で行き止まって、繊維強国になっています。インドもそれを追いかけておりますが、そういうアジアの国々が連盟を作り、一つの共通認識をしっかり持とうと。勿論、生産的な統合はできません、状況をしっかり掴み、各々の文化に根差した技術を開発して市場を開拓していこう。そのための色々な協力活動を10年間進めてきました。 市場開拓は、様々な用途についての技術開発をしっかりやるとか、ダンピングなどで貿易が荒れる産業ですので、通商問題、知的財産権についてしっかりやろうと。 それから5年ぐらい前からFTAやEPAという動きを日本もとるようになりました。環境、資源・エネルギー問題、人材の問題、石化原料の問題を広域的な枠内でどのようにやるかしっかりしたビジョンを作り、それを連盟の行動指針という形にまとめた成果が、一つの業界単位の産業協力という形になっています。 そういう中で、日本は非常に技術力と質の高い産業を持ち、また、用途開拓力や先端材料的な点でリードをしている。中国はともかく量とコストですし、ASEANその他の国もやってきている。それから一つ重要なことは、台湾と中国が全く平等の立場でこの会議に参加できる。このために色々な仕組みも用意したということです。 これ以外にも韓国と日本との繊維産業どうしの会議や、中国と日本との日中繊維産業発展協力会議といって、強い中国と質的レベルの高い日本がお互いの協力策を求める動きがあります。それから、FTAが今進んで、原産地規則を二工程主義にする、お互いの産業がお互いの工程を生かしうるような原産地規則で今ASEAN各国と繊維産業のFTAを結んできています。それによって関税は即時お互いが撤廃する、皆が各々の力を持って参加し、アジアの中で色々な協力関係を、色々な場面でしっかりやるということです。 以上で私のレポートを終わります。ありがとうございました。 (末廣) どうもありがとうございます。 政府レベルで二国間経済連携協定をやろうとすると、色々な問題があります。農産物の問題も一つですが、もう一つ大きなのは絹製品や繊維製品で、この問題があるために、EPAを結ぶことが、簡単にはいかない。ところが、業界レベルの対等な立場で、台湾も含めて、早い時期から業界での調整が行われていることは、大変注目してよいと思います。 それでは次に、大阪からお忙しい中来ていただきました斉藤先生は、一貫してこの間、10年以上にわたり金型産業の日本、韓国、台湾、中国の比較をやってこられ、大阪経済大学の中にある中小企業研究所の所長も以前お務めになっています。中小企業の振興と日本の金型産業を、東アジアというコンテクストの中でどのように考えたらよいかを研究しておられます。 それでは、斉藤先生、よろしくお願いいたします。 (斉藤) 私の専門は経済学の競争論で、金型とは縁が遠かったのですが、日本の競争力を考えたときに、製造業の中で中小企業の普通の部品産業があり、中小企業研究所に関わることになって、フィールドワークをどの分野に求めたらいいか聞き回ったところ、誰もやっていない金型分野があると。部品産業自体が支援産業といわれ、金型産業はその支援産業を支える支援産業で、金型そのものも種類がたくさんあり、しかも更にすみ分けを小さくしているので、全体像は掴みづらく、中小企業論をやっている方も、あまりやっていませんでした。これはしめた、何かやればそれで成果になるという発想で金型産業の聴き取りを始めたのが出発点です。 1990年代に入ってバブルが崩壊して、製造業の組み立て部門が本格的にASEANから中国へ一斉に動きだしました。関西の家電メーカーを見ていてそういう感じがしました。 組み立て部門の次に部品部門が行く。最後の支援産業の支援部隊である金型産業が行ってしまうと、ものづくりの技術が根本的に行ってしまうだろうという危機感を関西の製造業としては持っていました。金型はどのように動いているのか、日本に次ぐ金型生産国の韓国、台湾、マレーシア、シンガポール、タイを調査し、中国を2000年から見ています。 アジア全体の状況では、技術レベルで日本が依然先頭を切っており、生産能力、生産量もトップです。金額でしか比較できないのですが、日本の生産能力は1兆5000億〜1兆8000億で、中国が5000億円、韓国が3000億円、台湾が1800億〜2000億ぐらいです。 技術レベルとは何を基準にしているか。金型はプラスチック・樹脂用金型、これもさらに、プレス、打ち抜き、曲げ、絞りと細かく分かれています。また、一品生産が原則で、その技術レベルの比較は、きちんとはできません。 そこが私の付け目ですが、聴き取りをしながら社会科学的に見ている一つの目安は、ユーザーに対する提案力です。最終ユーザーから、新しい製品を造る、それを部品分けするとこういう形になる。それをどうやって造れば効率的かという話があったときに、金型メーカーの提案で部品がより効率的にできる、或は機能的にもよりよい形状の部品ができるという提案力を日本の企業は上位20%ぐらいが持っているといわれています。韓国は5%にいくかいかないかです。 世上では、よく韓国が追いついたといわれます。貿易額で韓国の対日本輸出が初めて黒字になったのが1997年で、その中身も調査してきましたが、韓国から入っている金型で、そのまま使える完成品は、黒字になったとはいえ20%程度といわれています。それ以外は、日本の金型メーカーが開発輸入といって、80%ぐらいまでの仕上がり、或は20%ぐらいまで下ごしらえをしたものを輸入する、それが韓国からの輸入が増えたという格好で出ていることを確認した次第です。そういう意味で、依然、技術レベルでは日本がトップで、次いで韓国、台湾、中国の順番と思います。 日本の金型が、産業協力・技術協力という形で、どのようにアジアに流れているのか、或はこれから流れていくのかについても、関心を持って調べていますが、これからどうするかは非常に難しいところです。ものづくりの基盤がそのままそっくり流れてしまえば、中国で完成品までそっくりできるということになり、完成品までものづくりができるということは、実はオリジナル開発の能力もそっくり移ることになるわけですが、日本がその辺を戦略的にどう考えるかというところが、私はこの分野から調査研究をしていて見えないところで、その点を今後勉強・調査したいと思っています。 実際の技術協力にどういう形の流れがあるか、簡単にいいますと、現状では政府間レベルで、規模はJICAがいちばん大きいのですが、一事業当たり(一国当たり)10億前後の資金を投入して技術者を現場(当地)に派遣し、5年間ぐらい技術を訓練をやっています。これは今、5か国ぐらい進んでいます。それから、JETROが定期的に、1か月ないし2か月の短期間で、技術指導者を派遣しているのが、政府間レベルのやり方です。 工業会レベルでは、アジア金型工業会ができて、そろそろ15年目を迎えますが、現在分裂の危機といわれている状況です。 民間レベルでは、ユーザー経由で金型技術が現地の部品メーカー、金型メーカーに流れています。ここで一時期問題になったのが、図面とデータ、或は金型を造るための部品が金型メーカーに無断で流れてしまうことで、なかなか止まらないという状態です。それから、金型どうし、直接の協力もありますが、これも非常に件数は少ないのが現状です。 中国の自動車産業ですと、図面が行くか、金型現物か、それとも技術指導か、色々な形態がありますが、現状では中国の日系メーカーに関しては、ほぼ9割が日本の金型産業に依存している状況です。その意味で、日本の金型産業をどのように維持・発展させ、産業協力と結びつけるかという構図が戦略的に立てられる必要があると思います。以上です。 (末廣) 金型は、これからのアジア諸国の製造業のアップグレードとキャッチアップには不可欠ですが、そのいちばん革新的なところを斉藤さんにお願いしています。 続きまして、現代文化研究所の高山さんをご紹介します。私はアジア経済研究所に11年いたのですが、そこで1970年代後半から「アジア製造業比較」をやりました。恐らく日本でアジアの中の製造業比較をプロジェクトで立てたのは、アジア経済研究所が初めてだと思いますが、高山さんにはそのときから、自動車でご指導いただいております。 (高山)私どもの会社の設立は1968年で、ちょうど日本のモータリゼーションが始まったころです。自動車文化の研究をと始まり、「自動車」を取って「現代文化」となったのですが、自動車の市場や自動車産業についての調査研究を主にしている関係上、日本の自動車メーカーの国際化の中で、アメリカや東南アジア、中国などの市場・産業・政策の研究もするようになり、現在もそれを進めています。 自動車は東南アジア、中国、インドの3地域が相対的に独自の発展をしていて、域内分業、地域内協力ができていない、或は難しい現状ですので、その背景からお話しします。 日本の自動車産業の東南アジア進出は70年代から始まり、その時期に進出したメーカーの成熟度と90年代半ば以降、中国にようやく進出して、シェア獲得のための企業基盤・産業基盤形成の最中というメーカーとの発展レベルには、大きな差があります。インドも、スズキは80年代の頭からですが、多くのメーカーはつい最近インドに出なければと言っている状況で、東南アジアと中国とインドでの日本の自動車産業、部品産業の、成熟の度合いが全く違うということが一つあります。従って、その地域の中でまずどう競争力をつけ、基盤を作るかに、精力を集中している。特に中国はその段階です。 ただASEANは、各国市場が小さいため、量産効果が必要で、域内を一つの市場にして、域内分業で一部品当たりの生産規模を拡大するというニーズも背景にあります。 分業或は協力が進まない二つめの背景は、自動車産業の特性からきていると思います。自動車は生命にかかわる商品で、安全技術が部品段階、生産段階で必要になります。部品メーカー或は素材メーカーを選ぶ基準には、「QCDD」クオリティ(Quality)、コスト(Cost)、デリバリー(Delivery:納期)が非常に重要で、達成できないと取引先にはなれません。更に重要なのは最後の「D」ディベロップメント(Development)で、新モデルの開発で、日本の自動車メーカーは部品メーカーや素材メーカーと共同開発します。従って、海外で国際レベルの商品を造ろうとしても、周辺産業が育っていない、或は素材を海外から入れて中国で造っても、コスト的に高くなるのです。中国で造るものはむしろ高いですから、外に持っていくことはできないわけです。輸送費もかかる、相手国へ関税もかかることになると、生産コストが国際レベルまで落ちることが前提になってきます。中国では、これから2〜3年でコストを3割ぐらい落とそうとしています。そうしないと、国内メーカー、或は外資系メーカー間の競争もあり、生き延びていけないからです。 そういう生産体制ができ上がって初めて中国から外に持っていくレベルになるので、既に労働集約型の部品では中国から出ていますが、完成車は時間がかかると思います。中国における競争力基盤をどう作るか、インドではどうかというのが、今の状況かと思います。 自動車分野の協力は、政府よりも、民間ベースが中心になると思います。ASEANに対しては、政府レベルの協力がありました。というのは、ASEANに工業基盤がないので、政府ベースですそ野産業を育てる支援、或は人材育成をやっていますが、中国に対してはまだ行われていません。従って、企業ベースで生産技術をどう現地工場に移転するか、中国の場合は全部合弁メーカーですので、中国側パートナーにどういう協力をするかです。 今、中国の最大の課題は、製品開発技術や基幹部品の製造、或は開発技術です。というのは、中国は台数ベースで600万台を超えており、2010年には1000万台に届く、世界第2位の生産大国になるわけです。ところが、生産強国ではないのです。もともと中国は商用車中心で、乗用車の生産技術がない、開発技術もない。そこで今は外資との合弁、或は技術提携によって吸収し、自主開発技術を取り込もうとしています。そこで中国政府は、合弁会社独自の知財権を持った製品を要請してきます。その流れの中でどこまで各メーカーが協力していくかが一つの課題と思います。 中国サイドの受け皿の問題も課題と思います。中国にも国有系と民営系企業があり、外資メーカーは、国有系企業との合弁のケースが多いのです。もともと国有系企業の経営者は、自社開発にあまり関心を持たず、市場拡大の中でいかに利益を上げるかに関心が高かったので、その辺りの意識の変革が一つ前提になると思います。また、開発組織をしっかり作って、持続的にやるかが中国内で問われていて、一部のメーカーはやり始めています。 それに対して民族系企業の奇瑞汽車や吉利汽車が最近、途上国を中心に完成車輸出を始める、或は海外生産を始めるという記事が増えていますが、ここは外資と合弁していないのです。独自開発を掲げ、コピーといわれながら何とか自分でやろうとしており、国有大手に比べ人材も揃えようとしています。特に奇瑞汽車などは、元の第一汽車や上海汽車で育った技術者を引っ張ってきて、技術陣を作るなど、意識面、体制面で随分違います。こういうメーカーから第2の現代自動車が、この10年ぐらいの間に生まれるかが、一つのポイントだと思います。 中国は、自動車産業強国といっても、二層化していると私は見ています。二層の意味は、国際レベルの品質、技術水準の車を造ろうとする企業群、部品メーカー群と、もともと商用車を造っていて、非常に安いコストで品質は国際的安全基準も通用しない車を造っている層です。部品産業は、後者が圧倒的に多いのです。これは中国のユーザーが求めるからそういう産業が成立するわけで、10年やそこらはこういう二層構造が続くだろう。そのレベルからどれだけ国際レベルの企業が生まれるかが、ポイントだろうと思います。 (末廣)市場がグローバルな形で単一化しないで、中国、インド、東南アジアと分かれ、一段と生産技術レベルではなく製品開発技術の移転を望まれていると。ただ、先ほど高山さんが言われた中国基準というのは、業界で「ご当地基準」と言いますね。東南アジア各国も自由化前はご当地基準で済んでいたのが、経済競争が激しくなって、このご当地基準と、グローバル・スタンダードの二層分化が起こるという、非常に興味深いお話でした。 今度は電子産業について、竹内さんからお話を伺いたいと思います。 (竹内)電子産業について、2点ほどお話をさせていただきます。まずはアジア化するアジアの実態をどう見るかについてお話しします。 日本を含む東アジアの電子製品の域内貿易比率は約6割で、NAFTA、EUの約5割を上回っていますが、その中身を中間財と最終製品に分けると、中間財では域内貿易比率が7割を上回る一方で、最終財で比率は、2004年でも3.5割に留まっています。つまり、高い域内貿易比率は、東アジア内の中間財貿易の拡大による性格が強いといえます。 一つ面白い傾向をご紹介します。日本の電気メーカー各社の売上高の構成を地域別に見ますと、欧州事業とアジア事業には大きな違いが見られ、売上高に占める事業部間取引の比率が、欧米では極めて低い一方、アジアでは20〜40%に上っています。ですから、アジア事業では事業部間取引、言い換えると、企業内分業が大きな役割を果たしています。ここから、アジア化するアジアの集約というのは、企業であり、利益を求めた活動であることがお分かりになると思います。 もう一点は、アジア域内における競合と補完をどう見るかです。競合と補完の性格は、地域によって異なります。中国、ASEANにおいて基本的にあるのは、外資系企業の輸出生産能力をめぐる競争だと考えています。 例えば、アジア各国の電子製品の輸出は拡大していますが、世界の需要は同じようなペースでは増加していません。そこで生じたのは、電子製品の輸出で先行してきた東南アジア生産分が中国にシフトされたのではという東南アジアにとっての中国脅威論でした。 確かに多国籍企業の生産能力の拡充を考えた場合に、中国が選択されることで潜在的な機会がその他の国で失われた側面はあったでしょうし、製品によっては東南アジアの生産が落ちているものもあります。けれども、電子製品全体で見ると、中国の生産と輸出の増加とASEAN諸国の減少が、同時期に生じた事実はないのです。むしろ顕著であったのは、ASEAN諸国による対中電子製品輸出の急激な拡大で、それは中国の対ASEAN輸出を上回る速度で進みました。現状では、むしろ中国の最終財の輸出の増加がASEANの輸出増加につながるといった補完関係が生じています。こうしたところから、投資については競合するが、貿易では補完性が強い関係が築かれていると思います。 一方、日本と韓国、台湾では、状況が変わってきます。端的に言うと、競合面がよりクローズアップされました。2000年代の電子産業の牽引力であったDVDプレーヤーやレコーダー、薄型テレビ、デジタルカメラで何が起こったかを見れば、非常に分かり易いのです。こうした製品の登場後数年間は日本の独壇場で市場が推移しましたが、韓国と台湾、この台湾の背後には中国工場があり、そこがシェアを急速に拡大したことは、広く知られています。 けれども、その背後に何があったかを考えると、まず日本企業間の熾烈な競争があり、そうした競争を、韓国、台湾企業との技術提携あるいは生産委託で切り抜けようという企業の行動があり、企業レベルで見ますと、提携によって補完関係を構築し、多くの利益を得ている例もありますが、価格競争の激化で収益が出にくくなったのも事実です。補完から出発して競合へ至るといった関係が、この地域にはあると考えられます。 電子産業の場合は、他の産業に比べ、Win-Winの側面が多く観察されますが、それはこの地域で日本を基点とした産業内の構造転換が連鎖的に生じたからこそ実現したわけで、日本企業が常に他の企業に先行して技術と市場を開拓してきたからです。ですから、キャッチアップの速度が速まり、十分な収益が確保できなくなり、こうした連鎖を維持することが難しくなると、今後こうしたWin-Winの関係は失われてしまうことを懸念しています。 こうした関係は民と民が主導してきたわけで、今後の経済協力では、企業の活動を促進する環境整備が重要だと思います。これだけの財のやり取りの多さを考えると、貿易の円滑化が重要でしょうし、もう一点は知財権の侵害による不公正な競争、あるいはロイヤリティやライセンス料を適正に回収できない問題であり、こうした制度面での構築とサポートが重要と思います。 (末廣)それでは、丸川さん、若手の中国研究のホープで、たくさんの産業・企業の調査を、中国の現地でやってこられました。今日はちょっと違う角度で、中国の通信機器に見るグローバル規格とローカル規格(ナショナル規格)の問題を中心にお話しいただきます。 (丸川)具体的にアジアで産業協力といった場合に、やはり想像するのは日本の進んだ技術をアジアに直接投資の形で移転する、或は技術移転する、中には技術を盗まれるなど、結局技術の出処は日本という構図で大体話が進んでいて、それはそのとおりと思います。 その際に、例えば中国というのは、労働力の提供をする、最近では巨大市場を提供するという役割を割り当てられるということだと思います。 実は、午前中に東大と北京大学の学生の交流会で講演をしたのですが、彼らも同じような構図を描いていて、中国は労働と市場と外交力が強い、日本はトップテクノロジーと資本とアイデアが強いようなことを言っていましたが、こういった構図に対して、最近、中国が非常にいらだっている。「世界の工場・中国」ともてはやしても、中国では専ら反発が起きます。「おれたちはただの工場ではいたくない」と。それがはっきり出てきたのが自動車で、最近は自主開発を強調しています。とりわけロゴマークにこだわっていて、ロゴマークを漢字で書けとか、ロゴマークが外れないようにしろなどと、ある意味大変意地悪な規定が出てきて、各自動車メーカーが対応に追われていますが、そこから分かるように、中国、多分潜在的にはほかのアジアの国でも、単なる労働力、単なる市場では嫌だ、やはり技術開発の一翼を担いたい、それで特許料収入も得たいのだという気持ちがふつふつとわいてきています。それは、すでに産業発展もかなり軌道に乗ったからこそ生じてくる、ある種ぜいたくな望みかもしれないけれども、しかし我々としてもしっかり理解してあげる必要がある、理解だけではなく協力する必要もあると思うのです。 そこで、ようやく移動通信の話になるのですが、移動通信の話では、まさにそういったことが今始まろうとしています。かつて、90年代は、アジアは規格がばらばらでした。日本は日本の開発力があるから自主規格です。中国はヨーロッパのものを採用し、韓国はアメリカと組んで半自主規格を作りました。このアジアはばらばらという状況が、日中韓それぞれの産業の世界的な競争力を阻害して、その間にヨーロッパは欧州統合で携帯電話も統合し、ノキアというフィンランドのメーカーが世界のトップメーカーになったわけです。 そのことに日中韓、とりわけ日本が危機感を持って、単独ではだめだ、日本・中国・韓国で、我々が使っている電話の次の世代の技術を共同開発しよう。そして、それだけではなく、新たな世界基準として打ち出していこうというプロジェクトが、今、進展しています。この話は、ともあれ非常に注目すべきことだと思っていて、もしこれが成功すれば、日中韓それぞれ一定の特許を持って、なおかつ世界に売ることができれば、みんなで技術の収益が得られようになります。 他の産業で似たようなことができるかというと、それは難しいかもしれません。例えば金型などは、日本と中国では非常に大きなギャップがあるし、ではASEANをこういう話に巻き込めるかというと、もっとレベルが低いかもしれない。でも、将来的な方向性として、日本が技術を「出す、出さない」の話から、我々も卒業していくべきではないか。ある種ナショナル・プライドの部分も含めてのWin-Winを目指して、お互いに気持ちのいい、当然利益も上がる方向へ進むべきではないかと思います。 (末廣) さすが中国研究者です。私のようなタイ研究者は自主開発をあきらめており、自動車でも電子でも「マイペンライ(気にしない)」ということで日本とくっつきましょうと言うのですが、その辺の違いがはっきり出たのではと思います。 今までは製品開発を含めた生産技術でしたが、その前の段階の、一般的な基盤になる人の問題、人材をどう考えるのか、それも現場だけではなく教育という面も含めて、三上さんから報告していただきます。 (三上) 最初に、長岡技大を紹介しておきますが、明日30周年記念日を迎えます。戦後の高度成長期に、全国に1県1校以上の高等工業専門学校ができました。最初卒業生は、就職しましたが、大学進学希望者が現れ、その受け皿として76年に技大ができました。 また、日本のモノづくりの現場が海外に出ていくに従い、技大のカスタマーベースも、大きく変わってきました。2200人の学生の8%が留学生ですが、最大のお客はマレーシアです。なぜマレーシアかというと、日本の国費の他に、マレーシアがルックイースト政策で高等専門学校に毎年学生を送っており、その一部がうちに来るので、マレーシア人が最大のキャンパス人口となっています。家族も入れると全部で100人ぐらいの巨大なコミュニティで、自分達でハラルミートなどの調達チャンネルを持っています。 今、その大学で私は留学生センター長をやっており、大学の現場の視点も含めて、産業協力と留学生のフローを関係づけて考えてみたいと思います。 38ページのデータをもう一度ごらんいただきますと、日本は留学生の受け入れという点で、東アジアはともかく、東南アジアと南アジアについては非常にわずかな存在でしかない。オーストラリア、ニュージーランドよりも低い状況です。 私は、この留学生のフローは、産業協力パターンの、10年、20年先行する指標だと思います。IT産業はそのいい例ですが、インドのソフトウェア産業の成長の基礎には米印間の強力な人的ネットワークがあるというお話がありましたが、アメリカの留学生の受け入れ人数を見ると、70〜80年代を通じてインドは常にトップで、学部生で数千人、ドクターで数百人から千人規模で人を出し、それが溜まってインドIT産業の基礎になっています。 同じ期間に2位だったのが台湾で、これも台湾におけるエレクトロニクス産業の基礎を作ったということで、小島先生の資料の中に、シリコンバレーの事業立ち上げの15%がインド人だという話がありましたが、単にプログラマーとして働いているというのではなく、IT産業時代の新しいパラダイムを作るような企業にも、インド人が大きく係っています。 例えば、ペンティアムチップのデザイナーはインド人で、サン・マイクロの創立者もインド人、それからヤフーの創立者の一人は台湾出身で、いわばIT産業の節目、節目で、アジアの人材が大きな役割を果たしています。 特に規格のアライアンスとか、高度技術人材がいないと成立しない産業協力を考えると、留学生のフローが基礎になり、次の時代の産業協力のパターンができ上ると思います。 そういう視点から留学生フローを見ると、現在の状況には大変危機感を覚えざるをえません。先ほど、70〜80年代にアメリカのアジア人でドクターを出している数は、1位・2位がインド・台湾でしたが、90年代からは断トツトップが中国になって、ドクターだけで三千人〜五千人出ており、これが21世紀もしばらく続くとすると、インド或は台湾をしのぐ、数倍巨大な頭脳コミュニティができ上がり、アメリカとの間にブリッジがかかる。それが恐らく次の時代の産業アライアンスの、戦略的な部分での力になると思います。 そうなると日本は、パッシングあるいはナッシングということになりかねない。成長のトライアングルのアジア化が、貿易面では三極の美しいトライアングルになっているにもかかわらず、人の流れでは全く日本の存在のない、或はアメリカに集中したトライアングルになってしまう恐れが高いと思います。 最後に、留学生政策の課題ですが、文科省だけの課題ではなく、大学にも課題がある、企業にも課題がある、あるいは入国管理の面でも課題があると思います。 一つは、奨学金の問題で、文科省では一応10万人計画は達成したという基本認識がありますが、それは表層的なものだと思います。実際、10万人といっても大部分は私費の留学生で、私費の留学生のほとんどは中国・韓国ですが、バイトで生活費を稼ぐのでは、勉強時間がないと思います。うちの大学の学生を見ていてよく分かりますが、バイトで生活費を稼いでいたら研究なんかできません。やはり何らかの形での奨学金がついていないと、実際に日本に来て勉強したことにならないのです。 もう一つは、日本語の教育支援です、先日、私が非常に脅威を感じたのは、中国が全世界に孔子学院を作るということです。孔子学院といっても儒教を教えるのではなく、中国語の学校を作る。アテネフランセ或はブリカンに相当する、中国語の全世界的教育ネットワークを作ると。日本はそこが非常に弱い。例えばJICAも、日本語教育は技術移転ではないので技術協力の対象にしないとか、頭の固いところがあって、もう少し日本語教育、日本語の分かる人材のネットワークを広げることの意味を考えていただきたいと思います。 三つめ、日本を選ばない最大の理由の一つは、卒業後のキャリアが不透明だということだと思います。企業の外国人採用に関するポリシーもありますし、入管の問題もあります。また、日本に来る留学生は非常に起業家意欲が高いですから、卒業後に起業したいのですがその環境がない。東京都の石原さんなどは、むしろ留学生だけにターゲットを絞った起業家政策を作ったらと言っているそうですが、そういうことも含めて卒業後のキャリア見通しができるということが必要だと思います。大学自身の反省点として、やはりファカルティの中に外国人をもっと作らなければいけないと思っています。 最後に一点、ものづくりを考えると、やはり日本語が分かる技術者が必要です。マレーシアでは、大体どの日系工場にも高専出身者がいて、日本語がペラペラで日本人技術者との間をつないでいます。そういう環境を作っていくということを考えると、もう少し高専向けの留学生とか、AOTS(海外技術者研修協会)の累積訓練人数は、これまでの国費の留学生の総数とほぼ同じです。そういう意味で、地道な日本のものづくり技術の移転に大きな役割を果たしているので、そのあたりも総合的に見ていく必要があると思います。 (末廣)お話のあった孔子学院については、私は今年の7月に東北タイのコンケン大学を訪ねたのですが、その中に孔子学院を普及させる一環として儒教研究所が作られていました。タイで発行されている今年の8月の中国の新聞に、これはタイ語の新聞には絶対に出てこないのですが、コンケン市で中国語を受講した人が、350人から今年は1200人を超えたと出ていました。そういう感じで、地方でさえも中国語を勉強し、それをまた中国が支えるころが日本は非常にお寒いというか、違うなと感じました。 次に峰さんは、長期にわたって三井で化学産業の専門家としてラテンアメリカや中国等を経験し、経済団体の対外交渉等も経験しておられる、石油化学・化学産業の専門家です。 (峰)化学業界の産業協力ということで通商問題と環境問題についてお話ししますが、特に通商問題では関税引き下げに焦点を当ててお話します。というのは、この20年間、つまりウルグアイ・ラウンドの盛りは1980年代後半ごろでしたが、その時分に世界の化学業界は関税を下げる動きに大変注力しました。 その中で、1990年に世界の業界団体ICCAが生まれ、現在は日本、アメリカ、欧州の化学企業が主体で、世界のほぼ8割の化学製品の生産をカバーしており、ICCAが全ての動きの出発点になっています。 ウルグアイ・ラウンドは92年でしたが、その1年前の91年に、業界ではCTHA(Chemical Tariff Harmonization)、という協定を結びました。 その協定に従い、6.5%マキシマムの関税に下がって、何が起こったかといいますと、モノの移動が大変活発化しました。また、国境を越えた投資が活発になり、その結果、国境を越えた企業間の合併が、特に欧米のドイツとフランス、或はイギリス、スイスで活発になりました。現在は関税の6.5%マキシマムをゼロにしようという動きですが、6.5とゼロは大きな差でなく、ICCAの活動で、この通商問題はウエートが小さくなっています。 対照的に大きくなったのが環境問題で、世界の化学業界はEHS(Environment・Health・Safety)、つまり環境と人への健康、安全を重視するようになっています。その背景には、まずインドのボバールで1984年にアメリカのUC(Union Carbide)社が大事故を起こし、3000人ほどの死者を出しています。日本では水俣病があります。また、現在欧州で非常に影響を与えているのはグリーンピースを中心とするたくさんの環境団体で、化学物質に対する攻撃が強まりました。つまり、化学工業は本来有用なものを作ってきたのですが、同時に危険な面があり、この化学物質のネガティブな面が攻撃を受けたわけです。 化学業界は、もっとEHS問題に留意をした製品にしなければいけないと考え、その中で生まれたのがカナダの「レスポンシブル・ケア」運動でした。製品の開発から製造、流通、消費、廃棄といった全ライフサイクルに関してEHSに注意を払い、産業としての生き残りを図ろうというものです。 それ以前は、決められた法律を守っていれば、それ以降は関知しないというニュアンスでした。しかし、危機感を共有した日米欧の化学工業は、このレスポンシブル・ケアによって生き延び、社会との共存を図ることに注力しています。 しかし、アジアのICCAメンバーは日本だけです。ウルグアイ・ラウンド当時を考えると、これはある意味当然ですが、この間にアジアの生産のウエートは格段に増えました。 (末廣) 峰さんの最新データでは、2004年で供給が33%、需要が38%まで上がっていますね。 (峰) そうですね。それをエチレンで申しますと、2004年ベースで31%で、これはアメリカ大陸のほうが大きいので、現在第2位という状態です。しかし需要は、アジアはニューポジションですので、37%ですでに現在世界1位です。これが2010年になると、生産も世界一になりアジアの生産が非常に増えてきます。 この状況を見て、環境主義者、特にグリーンピースが、アジアに拠点を設けて活動を活発化しています。問題は、アジアの国は日米欧の化学企業が持っている危機感を持っていないことで、ほうっておくと色々なトラブルが起きる。従って、アジアでどのようにレスポンシブル・ケアを普及していくかが大きなテーマです。 アジアの通商問題は、具体的には関税引き下げですが、中国がWTOに加盟するときに、中国・台湾はCTHAに合意しています。従って、アジアの大きな問題点は現在通過しています。中国以外にも、シンガポール、香港、韓国がCTHAに合意しています。あとASEANが残っていますが、このASEANの問題には後で若干触れたいと思います。 現在、ASEANと中国で官民合同の産業協力が進行中です。ASEANでは、AMEICCの中に化学部会ができ、そこで環境問題の支援活動が現実に始まっています。レスポンシブル・ケアを普及すべく業界の専門家が現地を訪れ、或はASEANの化学業界のメンバーを日本に呼んで、研修をやっています。 中国はアンチ・ダンピングという頭の痛い問題を抱えています。繊維の逆で、1999年に中国側が被害に遭ったとして訴えています。99年から現在まで、アンチ・ダンピングの件数は26件、その内21件が化学製品で、日本の化学業界は中国から狙い撃ちの状態でした。 そのため、経済産業省に動いていただき、2002年から両国間の化学産業の官民対話が始まりました。毎年1回、日本と中国とで交互に開き、今年も5月に東京で開かれましたが、今ダンピング問題については少しずつトーンが下がっており、それが成果かなと思います。 今後の産業協力は、この二つの官民対話が中心になると思います。関税が基本的に下がったので、投資の問題、或は人の移動の問題等々が出ていますが、日本の化学産業としては、関税問題は避けて通れない問題です。しかし、この産業では関税問題は非常にセンシティブなものを抱えており、化学業界はAMEICCの場で関税問題を出さないようにして、環境問題にテーマを絞り、これはFTAの中で解決できるのではと期待しています。例えばICCAは中国のWTO加盟に、中国がCTHAに合意するとの条件をつけて加盟に賛同するというロビー活動をやりました。それと同じ感じで、現在はAMEICCの場でも関税問題は出しておらず、FTAの中での解決を期待しているわけです。 中国については、今、アンチ・ダンピング問題に焦点が当たっていますが、環境問題の大きい国ですので、徐々にこの中にレスポンシブル・ケア、或は、化学業界は分かりにくいので、国連が2003年に「GHS」という化学製品の標準化のシステムを作っていて、これを全世界に普及しようという運動をやっています。これには今アジアでは日本しかタッチしていないのですが、これもアジアに深めていく必要性があり、この官民対話の中で今後進めていく問題であろうかと思っています。 (末廣)やはり産業によって相当課題も違うし、経緯も違う、アクターやプレーヤーも違ってくる。その意味で、産業をひと括りにして日本の産業協力をアジアの中で考えるのは非常に難しいと、峰さんや丸川さんの話を聞くだけでお分かりいただけると思います。 それでは最後に、経済産業省技術協力課長の山近さんから、今までの発表を受けて、後援者である経産省としてのお考えをお願いいたします。 (山近) 各パネリストから、繊維、自動車、金型、通信、電子、それに化学と、色々な分野のお話がありました。経済産業省は、これらの分野全てを所管しています。 技術協力課の業務を紹介しますと、業界を所管している各部署が、国内問題のみならず海外との関係をどう構築していくかという政策を日々考えています。その中で技術協力は一つのツールであり、技術協力課では関係課との調整の中で色々な技術協力のツールを提供しています。同時に、業界のみならず、二国間関係、地域関係を担当している部署があり、そこでの問題意識解決のための技術協力を、調整しながら提供する部署です。 技術協力の歴史は古いのですが、現時点の方針は、基本的に東アジアを中心とし、貿易、投資環境の整備促進を基本的な考えに、さまざまなプログラムを展開しています。 どういう分野が中心かという点については、五つの分野を取り上げて、ここ数年重点的な対応をしてきています。 一つは、知的財産権の保護に関するもの。二つめは、基準認証の制度の整備と同時に域内での共通化を図る点。三つめは、物流の効率化促進。四つめは、環境・省エネに関する技術協力。そして、五つめはちょっとディメンションが異なりますが、産業人材の育成。この五つの分野でさまざまなプログラムを展開しています。 経済産業省では今年度に入り三つの戦略を公表しています。第一は新成長戦略、第二がグローバル戦略、第三がエネルギー資源に関連した新エネルギーの国際戦略です。 最初の新成長戦略は、省の戦略に止まらず、政府全体の戦略という形で、一段高いものとなりました。現在の安倍内閣でも、新経済成長戦略に沿って対応していくことが非常に大きな方針と理解しています。今後、私どもはこの新経済成長戦略に基づき対応していきますが、その中で一つ宿題が出ています。それは、今年度中にその戦略に対する中長期的な計画を作ることで、中長期とは5〜10年のスパンを考えています。 現時点で中心となるものの一つは、従来から進めている産業人材の育成だと思います。これは、産業別の今後の課題、展開の方向性を少しファインに見ながら計画を作っていくことかと思っています。 もう一つは、「アジア標準」と呼んでいます。これは産業基盤型の公共財といえるかもしれません。定義のイメージの一つはその制度やシステムです。そういうものが共通化してくれば、東アジアのみならず日本も含めた形で共通の基盤ができるわけで、それをテコにして日本も含めたシームレスな東アジアの経済圏を作ることができるのではと思います。 アジア標準の一例は、公害防止に関する管理者制度です。日本は水俣病などの経験を経て、公害防止の自主規制制度などを作ってきています。また、省エネルギーを達成するためのエネルギー管理士なども作っています。省の中で抱えている制度一つずつについてレビューをし、どういうものを標準として取り上げ、どういうスピード感で、どういう国に対応していくかが、中期計画の一つの柱になると思っています。 (末廣) グローバル・スタンダードではないし、ご当地基準でもなく、リージョナル・レベルで日本の経験を生かしたアジア基準、アジア標準を考えていくという、いちばんホットな形での対応です。 それでは、あと約30分残っていますので、フロアから意見、コメントないしは質問をお受けしていこうと思います。 はい、では二村さん、お願いします。 (Q) アジア経済研究所の二村です。 今日は、東アジアの現在置かれている状況がかなり明らかになったと思います。 一つ、近未来の話を伺いたいのですが、EPA/FTAを進める根拠になっているのは、今現在進んでいる東アジアのデファクト、事実上の経済統合で、ある意味では事実が先行して制度が後追いする形で、今まさに制度が構築されようとしています。 その成果として、2010〜2013年あたりには一部のEPA/FTAの構想ができ上がるわけですが、そのときに東アジアの経済はどうなるのか。相変わらず民間主導、経済主導の経済発展を遂げていくのか、それとも作られた制度とうまく適合して何か新しい経済発展の仕組みができ上がるのか、どなたかアイデアがあればお伺いしたいと思います。 (末廣) 2006年から6〜7年先の経済予測で、本来これはアジア経済研究所がやるべきことだとは思いますが(笑)、篠田さんはどう見ておられますか。 (篠田) 非常に難しい質問ですが、私のプレゼンテーションの中で、今後のスケジュール表を呈示しました。資料の中でいうと47ページですが、一つはASEANをハブとする東アジアのFTAで、2013年とか2014年には、ASEANの先進国との間ではある程度自由化は終わりつつある状態になっています。ただ、これを東アジア全般のハブ&スポークに広げた場合には、ある程度自由化が進んでいるが、まだ完全にシームレスな経済圏ができ上がっているわけでなく、貿易投資の側面からは、まだ完全に域内で業種ごとに国際的な分業がシームレスに行われている感じではないのかなという気はします。 ただ、将来の東アジアの経済統合をにらんで、企業は各国により戦略的な投資を行っていますが、貿易投資の障壁が下がることは、すそ野産業が集積して生産をしやすい場所になる、或は生産拠点だけではなく市場として魅力的になるので、そこに各産業の立地がより集中していくことで、場合によってはこの13か国なり16か国の中でさらに勝ち組・負け組の差がつくのかなという気はします。だから、またさらに2015年を超えていくと、優勝劣敗の競争がかなり厳しくなる気がします。 あと、分業の形態はその産業ごとに大きく違うかと思いますし、マクロ経済的な要素で言うと、中国がオリンピックを終えたときには景気が一巡して少しデフレに陥るのではないか、場合によっては、成長にとってのリスク要因と今いわれているエネルギー問題が顕在化し、或は第二の金融危機が起こるかもしれません。そういう状況に備えて、経済統合や域内の経済の安定発展に向けた色々な取り組みをしていかなければいけないのではないかという気がします。 (末廣) ほかにどうでしょうか。ご遠慮なく。はい、どうぞ。関沢さん。 (関沢) もともと経済産業省で篠田さんと一緒に働いていて、今は東大の社研で末廣先生のもとで働かせていただいております関沢と申します。 今日のテーマと離れてしまうかもしれませんが、今FTAの研究をしていて、中国と日本が競合関係にあるかを調べているのですが、日本企業と中国企業が第三国、具体的にはASEANのような国で競合していることが実際にあるのか知りたいのです。この産業で競合しているとか、ご存じのかたがいらっしゃったら教えていただきたいのですが。 (末廣) 競合と同時に、場合によっては協力の可能性もあるわけで、両方ですよね。 (関沢) いや、むしろ競合です。どういうコンテクストかというと、中国とASEANがFTAを結んだことは、政治的に見て日本にものすごいインパクトを与えたのですが、この中国とASEANのFTAが、実際に日本の企業から見たときにプラスだったのかマイナスだったか、という質問です。 (末廣) はい。では手を挙げていただいた丸川さんに。 (丸川) 日中が正面からぶつかることは通常はないのですが、たまたま調べたベトナムのカラーテレビは、もろに日中が競争しています。日中だけではなく韓国もあり、日中韓がベトナムでカラーテレビの競争をしていて、まさに今ご提起になったFTAの影響が、もろに大変面白い形で出ています。 ベトナムの場合、まずAFTAで、ASEANの関税引き下げが今年あったはずです。そして2010年には中国を加えたCAFTAになるわけで、そのタイミングが非常に微妙な影響を与えるのではと思っています。まずAFTAが先にできたことで、日系企業は大体タイとマレーシアに大拠点があるので、圧倒的に有利になったのです。中国からは高い関税が維持されている。しかし、2010年まで我慢すると中国とASEAN全体、当然ベトナムもFTAになるので、今度は中国メーカーががぜん盛り返す。ですから、この3年間ぐらい中国メーカーが我慢しきれるか、或は、国境線は長いですから、関税を払わずに入れてしまうか、その辺は分かりませんが、とりあえず今のご質問への答えとしては以上です。 (峰)石油化学或は化学関係の事例をご紹介しようと思います。 アンチ・ダンピングの問題で何が起こっているかと申しますと、中国はエチレンで自給率は約5割です。大量の製品を日本・韓国あるいは中東あたりから輸入していて、その中でダンピングという問題が起きています。中国は今までさんざん提訴されてきた方ですが、中国国内の産業構造には毛沢東時代の問題がたくさん残っていて、苦境にあるのは事実です。その中でアンチ・ダンピングに遭って、国際的に合法的な手段で国内産業保護ができるか、中国側は現実に試行的にやっていると思います。 従って、WTOのルールに則ったアンチ・ダンピングをしているとは必ずしも言っていなくて、自分たちのアンチ・ダンピング提訴という措置が必ずしもいいとは思っていないのですが、その結果、外国品が入ってこないので、中国国内の価格は急速に上がって、中国の産業は今潤っており、また毛沢東時代の古いプロセスのプラントが動きだしています。 2002年に官民対話が始まり、何が起こったかといいますと、中国側は国際情勢、或はアンチ・ダンピングにしても、そのルールをよく知らずに試行的にやっている面がありますので、年一度の官民対話の中で、少しずつ国際ルールを理解しつつあり、聞くところによると、官民対話で議題に上ったものはその後あまり大きな問題になっていないそうです。その点ではFTAの場でよく議論をすることにより、無用の摩擦が減るのではと思います。 (末廣) 三上さんの話に出てきた人づくりの問題について、佐藤さんのご経験を話していただけませんか。国費留学生の数とAOTSが訓練してきた人の数が一緒だとすると、大変驚くべき数になると思うのですが。 (佐藤) 私は海外技術者研修協会で民間ベースの技術協力をやっており、活動を始めて四十数年になります。確かに中国も今は多くの割合を占めていますが、東南アジアから受入れた人数が多く、累計で十数万人になり、その約半分が日本語教育を受けています。 創立当時は日本語でやることは必要に迫られてのことで、技術移転や国際協力を進める人は、大学もそうですが、日本もグローバル・スタンダードの英語で教育を提供しなければという雰囲気でしたが、現実的には日本語ができる人がいると助かるのは今もそうです。そのため、最近日本に研修に来られる方は、英語、時には中国語等の通訳をつけて短期間にやるマネジメント・クラスの方と、現場に近い技術者の方で長期に、といっても数か月から1年ですが、現場で日本人技術者と一緒に製造技術或は管理技術を勉強する方と、大きく2種類に分かれていて、やはり日本語の占める割合が非常に強いのです。 その意味では、現場がよく分かった日本人技術者が英語や現地語で説明をするよりも、アジアから来た方が日本語を勉強して日本人から吸収するほうが効率的という実際的な経験が、この数十年あります。同時に、大学レベルで留学生として日本語を習得するのと、技術者として、かなり年を取ってから外国語の日本語を学ぶのでは、効率の差はあるものの、やはり技術移転の中で言葉の果たす役割は大きいのです。言葉だけでなく、文化、考え方から、これは経験的なことで、理論的な解明をちゃんとしていないのですが、通訳をつけ、文書を翻訳すれば伝わる知識だけでなく、一緒に仕事をする中で身をもって分かるところが非常に大きいのです。 その意味で、中国との技術協力の歴史は20年ちょっとですが、ASEANとはもう30年、40年やっており、お互いにそのやり方が身に着いているところが大きいと思います。ですから、結果として今は民間ベースになっていて、それぞれの個々の産業分野での色々な問題はありますが、できれば三上先生がおっしゃったように、もっと戦略的、組織的に考えるべきと思います。 しかも、これは日本が押しつけるというよりもアジアの方が希望して、或は中国もそうですが、勉強したい気持ちがあるにも拘らず、十分な支援が行われず、何か苦労してやっている現状があります。最近、金型等は特にそうですが、長い作業の経験を通じて身に着くというか、でき上がる、ものづくりの技術が再評価されています。その分野で、アジア標準とか、世界でも評価される、長期間一緒に考えを同じくしてやる日本的な技術があることを、日本のこれまでの歴史や文化についてナショナリスティックとか、国粋主義とかを離れて、私はひしひしと感じています。それを言うと変に日本は右傾化したと言われますが、そうではないよ、本当にアジアの多くの人が、中国にもそういう評価をして喜んでくれる人がいるから、もっと自由に、すなおに交流できる機会を作れないかなと。 私はAOTSに勤務すると同時に、日・タイ経済協力協会の専務ですが、タイ側では泰日経済技術振興協会という、元日本留学生や研修生の方々が作ったインスティテュートが三十数年活動していて、そこが来年6月に泰日工業大学の開校を計画しています。つまり、タイの元日本留学生・研修生が、自分達でそういう大学を作ろうとしており、具体的になったのはタイが初めてですが、その気持ちはインドネシア、フィリピン、マレーシア、インドでも、それぞれあるのです。 ただ、非常に微妙なのは、日本の協力は必要だが、相手のメンツも立てなければいけない点で、丸川先生もおっしゃったように、彼らは自分達の力でやりたい、しかし自分達の力だけではできない、そういう相手の立場、メンツ或は意欲を尊重しながら、どのように協力できるか、やはり人と人がぶつかり合いながらやっていかねばならないと思います。 今日のようなお話のときにも、日本人だけでなく、留学生の方も、或はアジアの方も一緒に議論できればいいし、そのような場を色々作っていただけると、すそ野が広がっていくのではないかと思います。 (末廣) 貴重なお話をありがとうございました。 お話を伺いながら感じたことを申し上げると、この研究会を立ち上げるときに、小島さんにインドで入っていただきました。去年の5〜6月時点ではまだインドに対する関心はごく一部だったので、ちょっと早いかなと思ったのですが、今年立ち上げてインドが入っていなかったら、皆から馬鹿にされたと思います。そのように、今、急速にインドのプレゼンスが高まっていて、なぜインドがITサービスを伸ばしたかというと、やはりそれが英語だからだと。例えば、インドではアメリカ人の医者が吹き込んだカルテをそのまま送って、それを電子情報に打ち込むというITサービスをしています。 佐藤さんは、ものづくりは日本語でないとなかなか伝わらないと仰いました。現に、タイの日系自動車部品メーカーでは、日本本社とは日本語でタイ人を鍛えながら、暗黙知的な、形式知ではないものを伝えようとしています。しかし、インドでやろうとしている自動車部門では、インド人のITエンジニアを使い開発しようという動きが急速に進んでいます。これは絶対に英語ですね。ということは、インドを取り込んだことで、日本語をベースに置いたものづくり技術だけでは、もう対応できなくなっているわけです。ASEAN+6まで広げてインドを意識すると、技術やコミュニケーションや伝達という問題があります。丸川さんが言われた、国の自主開発までという気持ちは、インドも強いでしょう、東南アジアでもその気持ちが強かったのですが、通貨危機でつぶれただけなのです。 私がショックだったのは、今年、NAFTAからFTAAになって、アメリカ大陸全域を覆うFTAができていたはずなのに、ブラジル等の反対が起きて、脆くもアメリカ、カナダ、メキシコの構想が広がらなかったことです。一方では広域に広げながら、南北アメリカが象徴しているように、たった1か国の強い反対で構想が進まなくなってしまうダイナミックな動きも含み、一体どういう協力が可能か、皆さんと一緒に考えたいと思います。 長時間でしたが、本日のシンポジウムは、ここで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。 |
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