1994年1号

第6回地球規模の問題を考える懇談会開催

 去る、11月18日、講師に横浜市立大学助教授セルゲイ・ブラギンスキー氏をお迎えして、標記懇談会が開催された。

 以下、その講演を報告する。

【ロシアの市場経済化における課題】

横浜市立大学助教授
セルゲイ・ブラギンスキー

 まず、ロシアの民主化移行のプロセスからお話したい、と思います。

 ペレストロイカが始まってから、モスクワには通 算3回軍隊が導入されています。

 第1回は、1991年3月、エリツィンが当時率いていたロシア最高会議とゴルバチョフソ連大統領(当時)を中心とするソ連政府との対立が激化し、ソ連政府の保守派に押し切られる形で、ゴルバチョフが一時モスクワに軍隊を導入した場面 がありました。しかし、衝突は起きず平和的な解決が図られました。彼がこの場面 で一滴でも血が流れれば、自分の政治生命が終わるということを深く理解していたからです。

 第2回は、1991年8月、今度は共産党の超保守派がゴルバチョフを監禁して引き起こした3日クーデター事件です。モスクワには大量 の装甲車や戦車が配備されました。しかしこの時も、市民への発泡、或はエリツィンと今は宿敵となったハズブラートフやルツコイが一緒になってたてこもったロシア最高会議ビルへの攻撃命令はとうとうおりませんでした。

 第3回は、先月の流血事件です。その発端はエリツィン大統領の超法規的議会解体令です。

 これまでロシアの民主化、市場経済移行にはさまざまな失敗がありましたが、一つだけ評価する点があるとすれば、この過程が平和的、合法的に進んできた、ということです。

 情緒的な話かもしれませんが、如何なる高邁な目的があっても、人の血を流すことは許されることではありません。19世紀の文豪ドストエフスキーは「どんな理想も子供の涙の一滴に値しない」という名言を残しています。

 ロシアは非暴力と法という民主主義の柱を是非回復して欲しいものです。

 最高会議が保守派に占拠されたのは事実ですし、剣を先に抜いたのが最高会議支持派の武装集団であった、ということも事実ですから、武力衝突に至る前に軍隊により取り締まるべきだったのでしょう。

 では、何故大統領と議会が対立するようになったのでしょうか。この一番の原因は、エリツィンの経済改革が成功していないからです。その経済的側面 については、後で述べたいと思います。

 今ロシアには三つの政治グループが政治運動を行っています。

 第一は、チェルノムイルジン首相率いる所謂実務派で、政治的な闘いとは一歩距離をおいて活動しています。第二は、第一副首相ガイダルが率いる急進改革派です。このグループは今回の選挙(12月12日予定)で比較第一党になると思われ、メンバーにはガイダル第一副首相、シュメイコ第一副首相、フヨードロフ大蔵大臣、チュバイス民営化担当副首相等が入っています。第三は、シャフライ民族問題担当副首相が中心になっているグループです。このグループは中間派を自称しており、名前を連ねているのは、ショーヒン対外経済関係副首相等です。

 ですから、必ずしも大統領と議会の対立ばかりではなく、政府の中の対立が新たな政治的危機を生み出す可能性もあるのです。

 ロシア経済は、確かにさまざまな自由化が行われた結果 、商店のショーウィンドウの物資は豊になりました。一部の西側での報道に誇張がありましたが、それほど差し迫った経済危機がロシアにあるとはとても言えません。ロシアはエチオピアやスーダンと言った本当に飢えているアフリカの国々とは異なります。一部の医薬品を除き人道支援は全く必要がない、と私は考えています。

 ロシア経済は、国民一人一人を脅かすようなところまで落ち込んでいる訳ではありません。まだ懐の深い余裕が充分ある国です。従いまして、経済を立て直す余裕はあるのですが、現状は誤った経済政策が採られていることが問題です。

 統計でみますと、1990年に比べ工業生産は4割、設備投資は6割各々減少しています。

 突出しているのは、外貨に直接結び付く一次産品部門です。これも、生産高が伸びているのではなく、外需につり上げられる形で急速に伸びているに過ぎません。それ以外は深刻な不況にあります。

 ロシアは経済規模で云えば大国です。一次産品に頼りきることはできません。ロシアの製造の活力がなければ、ロシアの経済発展は有り得ないのです。しかしながら、今の経済政策にはその認識がありません。

 ロシア政府はIMFに対して、財政赤字を削減し、貨幣供給をコントロールして、インフレを抑制する、とコミットしてきました。

 しかし、この2年間の実績を見てみますと、年間の財政赤字もIMFの計算では対GNP比22%、インフレは、例えば1993年8月時点で、月30%となっています。

 これを経済改革の始まる直前と比較して見ましょう。1991年、この年の財政赤字は対GNP比20%、インフレは月平均で6%となっていました。

 つまり、財政赤字はそのまま引き継いだものの、物価上昇率は5倍に上がってしまった、という状況です。

 2年間の経済改革が、こうした結果 に終わったことには二つの側面があります。

 明かな政策的な失敗と通 常では考えられないような市場の失敗です。

 政策的な失敗を金融政策を例にとってお話しましょう。

 ガイダルとIMFがロシア経済に適用しようとしたのはマネタリズムの考え方です。

 ミクロの実態をあまり考慮せず、通 貨の供給をコントロールすることのみで、インフレ抑制や経済成長が成し遂げられる、という考え方です。

 要するにアウトサイドマネーから考えたパラダイムです。ところが、ロシア経済ではインサイドマネー(企業間信用)が隠然たる力を持っているのです。

 1992年の金融引締め政策が顕著な例です。ロシア政府は銀行の対企業貸出残高の伸びを3倍に抑えることに成功したのですが、物価は12倍程になってしまったのです。

 ところが、その後も物価は全く鎮静化に向いませんでした。この半年間、マネーサプライが抑えられているのを無視する形で、特に卸売物価の段階でインフレが進みました。それと同じ時期に企業間信用が80倍増加したからです。

 次に通 常では考えられないような市場の失敗ですが、私はこれを制度的な硬直性効果 と呼んでいます。企業行動、市場組織、産業構造、資金市場、対外経済関係、これら全ての分野に於て、従来の計画経済からの制度をそのまま引きずるような形で、経済を自由化したことが、市場の失敗の最大の原因です。

 例えば、これまでは共産党のトップと政府のトップが企業の実質的な所有者で、いろいろ生産に関して命令を出し、それをただ実行するのが企業のマネジメントの役割だったのです。ところが、企業は国からの生産要素或は完成品を隠し、闇市場に横流していたのです。

 ここに市場経済が導入されれば、企業は利益の最大化を目指して、合理的な行動を採るようになると思われるのですが、そうならない理由があったのです。

 一番大きな理由は、市場経済にふさわしいい企業に切り替える時の固定費用が非常にかさむというこしです。

 どういう固定費用かと云えば、軍需産業に関しては、全く生産工程を変えて、新しい製品を開発しなければなりません。民需製品を生産している企業でさえ、これまでは政府に引き渡すだけで済んでいたのが、今度は販売しなければならないのです。ですから、マーケティング費用、アフターサービスのネットワークをつくる費用等が必要になる訳です。

 この市場の失敗と政策の失敗が重なったのです。正常な企業行動に切り替えるコストを支払うインセンティブは殆ど存在しないまま、警察国家が廃止されたのです。従って、むしろ闇市場を使用するコストは低下したのですから、企業を正常な市場経済とは全く逆の方向に向かわせてしまいました。

 それでは、全ての市場を闇市場と定義してしまえばよいではないか、という議論もあります。それがある程度云えるからこそ、冒頭で申しあげたようにそれ程食うに困る、という状況ではないのです。

 しかし、闇市場の弊害は極めて大きいのです。

 第一に、法と秩序が全国的な規模で崩壊してしまうことです。闇市場の競争は、気に食わない競争相手やなかなか借金を返済できない債務者がいれば、マフィアを雇って暗殺する、というものです。

 第二に、外貨管理ができなくなったことです。昨年ロシアは西側から140億$の金融支援を得たのですが、それを上回る170~180億$の民間ベースの資本流出がありました。

 更に、市場の失敗の例として、云うまでもなく独占の弊害が挙げられます。これは共産党の経済政策担当者が本当にマルクス経済学を実現しようとした結果 なのです。マルクス主義は規模の生産性は無限に働くというドグマを持っておりました。つまり、一つの部品(製品)を造る工場を一つに集約する政策がとられたのです。文字どおり競争相手がいないところに、自由化政策が採られた訳で、依然の統制価格が今度は独占価格という別 の歪みを発生させたことになります。

 要するに、市場の失敗のスケールが先進国の日本やアメリカとは比べものにならない程大きかったということです。

 これら以外にも政策の失敗などはありますが、今日お話したことで、ロシアの現状をかなり掴んで頂けたのではないかと思います。

 ここ8年間に、旧ソ連では同時に三つのプロセスが進行しました。一つは全体主義的な政治体制から市民社会へ移行するプロセス、もう一つは統制経済から市場経済に移行するプセス、最後は植民地大国が崩壊するとすうプロセス一民族開放運動のプロセスです。

 従って、8年間の歴史に非常に凝縮された期間に起きたのですから、それでも混乱は最小限にとどまった、という見方ができるのかもしれません。

 

▲先頭へ