世界が少しでも平和で、より豊かな、そしてできれば全ての人が共感をもって暮らせる場所であって欲しい。恐らく、いつの時代、どこの国でも、人類は常にこのような希望を抱き続けて来た。冷戦が終わり、新しい平和の可能性が大きく浮上してきている。もちろん、多くの紛争の広がりも併行して見られるが、より大きな流れがこの方向であることは間違いないと思われる。
しかしその流れをいかにしてより確かなものにするか、そのための「ロ-ド・マップ」が不足している訳である。また、市場経済の爆発的広がりが進行している。「より豊か」になりたいという人間の「平和」に次いで本源的な欲求が、ほぼ歴史上初めて人類全体を覆うシステムとなって広がろうとしている。
しかし、旧社会主義圏や途上国の多くに見られる通 り、そこへいく「ロ-ド・マップ」がやはり確かなものを持たない悲しさで、数々の試行錯誤が繰り返されている。更に時期を同じくして、地球環境への関心が、人類的課題として広いコンセンサスを得つつある。難民やエイズ、そして麻薬の広がりが、それぞれの国や社会の安全に脅威を与える現象として、また、国境を超えた対応の必要がある課題として認識されつつある。これらの課題が今浮上しつつあることは、人類社会あるいは国際社会が底流として大きな一体性を持ち始めているゆえの現象として見ることができる。それゆえ今日の世界では、これまでとは概念的に異なる高い次元での国際協力の構想が必要となっているように思う。
この7月末、アジアの安全保障を話し合う新しい試みの場で、河野外相は安全保障協力を巡る日本の構想として、「相互安心措置」(Mutual Reassurance Measures:MRM)という考え方を提起した。従来、「信頼醸成措置」(Confidence Build Measures:CBM)とか「共通の安全保障」という概念が欧州を中心に語られてきたが、これらはいづれも軍事的なファクタ-を中心にした、狭義の安全保障に主眼が置かれた概念であった。それに対してこの新しい構想は、アジアの特性を考慮した、より総合的な平和と繁栄の秩序形成を念頭においた概念のように思われる。その意味で、今日の世界の流れをより積極的に取り入れようとする意欲が感じられるし、新しい安全保障概念構築の試みとして評価することができ、今後の内容の充実が待たれる。
従来より、わが国では「総合安全保障」という考えが関心を集めてきたが、冷戦終焉を受けて、この概念の新しい、そしてより普遍的な意味づけと体系化の必要が生まれていた。しかしわが国の知的風土が、どちらかといえばコンセプトの構築という作業に余り熱心でない面 もあって、この事に関しては日本の発信機能として、そして知的国際貢献として、極めて有望な課題であっても、それにふさわしい取り組みが必ずしもこれまで十分になされて来ていないのが実情のように思われる。
しかし、より基本的には、国際秩序における平和と持続的繁栄を本質的に保障するものは何かという、根本的な課題の難しさが根底にあるからかもしれない。
紙数の関係で要約的にしか語れないが、古来、国際社会において平和で安定した秩序をもたらすものは何かという問いに、人類が考えてきた方向は次の三つの流れがあった。
その第一は、併合や自発的な国家統合によって、国際対立の根本要因である諸国家の併存状況を清算して行こうという考えであった。ルソ-は、「永遠平和への道」は究極的にはおそらくこれ以外ないと考えていた。しかしカントになると、これほど根源的には考えなくなり、むしろ絶対王政が戦争の源になっているのであるから、各国が共和政体(今日的にいえば民主主義)をとることによって平和が保障されると論じた。これらに関しては現在の民主化や地域統合が、国際的な安全保障に資する流れとして、また新しい総合的な秩序安定概念の一つの柱として浮上しうると考えられている。
二つ目の流れとして、経済の相互依存の深化が対立を不可能とするような国際秩序を形成して行くという、コブデンなどに発する考え方がある。冷戦後の市経経済の広がりの中で、こうした考えはこれまで以上に広い支持を得始めている。先のバンコクの「アジア安保会議」(正確にはアセアン地域フォ-ラム)でも、日本以外に中国など多くの国が経済協力の広範な推進が安全保障の基礎であることに言及している。そしてこの「経済」の中には、資源エネルギ-、環境協力、人材育成、技術の移転などが、貿易や投資の自由化と並んで新しい柱として意識されている。
第三の流れとして、平和秩序の条件を「人」の面 から考える流れがある。ベンサムやミル、コンドルセ-などが強調した教育の普及を平和の基礎と考える流れである。それは価値観の共有や文化や文明の相違を超えた真の普遍的な国際世論の育成への方向でもある。こうした知的遺産の上に立って、当面 の国際協力課題に取り組みつつも、新しい「安全と繁栄」の概念作りに取り組んでいくという歴史的挑戦に、応えていく必要があるのではないだろうか。