1996年2号

-アジア点描-

 ここ数ケ月で何回かアジアに出かけた。その中で気づいた事、感じたことを私が関係している高度情報化という視点から少し書いてみたいと思う。

内内価格差

 東南アジアの国々の首都は、どこも建設ラッシュである。マレーシアのクアラルンプールも例外ではない。完成すれば世界一の超高層ビルとなるツインタワーを始めとして、市内のあちこちで新しい高層ビルが作られている。ビルの用途を聞くとオフィスビルとホテルが多く、何年か前の日本のバブルの時期を感じさせる。資本は華僑系が多いと聞いたが、華人の人達は何故これほどホテルを建築するのだろうか。宴会と結婚式で何とか収支を合わせている日本のホテルを考えると、どうもその辺が疑問であった。

 その答えを朝食で見つけた。最初の日はホテルのレストランで食事を取ったが、約25マレーシアドルであった。(1MDが40円なので1000円となる)2日目はホテルの裏にあったインド系の人が営む食堂で食べたが、僅か2MDであった。勿論、食べた内容もサービスも違うので単純な比較はできないが、私の胃袋の満足度からすると差はそれほどない。庶民が食べる物の値段がその国の生活感覚を表しているとすれば、ホテル内の価格は外の世界とはかけ離れていることになる。よく考えて見れば宿泊料金も、相応のクラスのホテルでも日本よりは多少安いが、せいぜい20%止まりである。ホテルで働く人々の人件費を、その国の生活感覚により設定される値段の掛け算と考えると、収入に対して人件費を始めとするライニングコストは日本の何分の一かになり、投下資本の回収は極めて早くなる。華僑の人達にとって、ホテルは確かに儲かる投資先なのである。彼らの商売のやり方の一端を垣間見たように思う。旅行社なども自分達の分け前を考えれば、この内内価格差を擁護する立場なのだろう。華僑の人達が、投資の回収、すなわちキャッシュ化をビジネスの最優先に考えるには、彼らの祖国である中国での歴史の教訓からもたらされたものかもしれない。

 しかし、このシステムを今後とも維持していけるかどうかは分からない。現在現れつつある高度情報化の波は、インターネットという道具を使い、この内内価格差を突き崩していく可能性があるからだ。ネットワークの情報を通 して、もっと安く手ごろなホテルの存在を我々は知ることになるだろう。システムが判ればその政略はたやすい。東南アジアの国々でも今後情報化の進展が、華人たちが作り上げてきた儲けのシステムを少しずつ崩していく。そして、それが富の社会的分配の仕組みを変えていくと考えるのは、いささか希望的観測すぎるであろうか。

カードの効用

 友人の銀行員は私のことを現金主義者だと言う。たしかに私はクレジットカードがあまり好きではない。そこには、楽しみを先取りするのか、働いた対価として得るのか個人の価値観の違いといったものがあるように思う。私はどちらかというと後者の部類に属す。

 そんな私が外貨を得るために銀行にいって驚いたことは、機軸通 貨(円から見れば米ドル、ドイツマルク、スイスフラン)以外は、通貨の両替に際して、銀行のスプレッドがものすごく高いことである。銀行窓口の人は、フランスフランなどもっとひどいと、こともなげに言う。米ドルへの交換しか知らない私にとってこれは驚きであった。機軸通 貨の重さを肌で感じた。これではたまらないと思い慌ててクレジットカードを作る次第となった。

 海外に出てカードを使ううちに以下のような経験をした。アジアの国でも、ホテル、レストラン等のいくつかは、欧米スタイルだと思うが、支払の際にお客がサービス料を自分で書き込み、トータル金額が決まるというシステムを取っているところがある。日本とは異なるこのシステムを私は最初煩わしいと感じたのだが、ある時、その考えを変える出来事に出合った。それは、現地の人に教えて頂いた中華料理のレストランに行った時の事である。店の人に調理法は任せて、大きなロブスターを料理してもらうことになった。待つことしばし、出てきたものは、我々が日本人であることを意識してか刺身であった。しかし、少し湯通 しか油通しをした感じで、日本で言えば鰹の土佐造りの海老版といったところであろうか。あっという間に皿は空となり、大きな海老も中身を取ればこんなものかと話していると、今度は香辛料をきかせた殻付きの油で揚げた海老が出現した。海老の身は黄色く殻から盛り上がり、足や尾もバリバリ食べられ、これも非常に美味しかった。この店では、一つの素材を二つの違う味で楽しませてくれたのであり、現地に暮らす人が自信を持って勧めてくれただけのことはあった。

 その後何品頼んだか定かではないが、飽食の果 てには勘定書きが残される。しかし、我々の満足度は極めて高く、そのためカードで支払う際、チップの欄に高いパーセンテージを入れたのである。その時ふと考えたのだが、もし現金だったらこのようにするだろうか。どちらかというと財布の中身を斟酌して、このような事をしないのではないだろうか。ここに私はカードの積極的な効用を見つけた。ここでは自分の意志を主張できる。また、そこにはお客の裁量 の余地があり、料理が美味しかったか、サービスがよかったか、利用者が主体的に意志表示できるのである。日本の中ではホテルやレストランを利用しても、サービス料はお客の満足の如何を問わず、料金の中に含まれているが、自動的に加算されていくようになっている。

 一方、店を経営する側からみても、このシステムは有効である。そのサービス料の率でお客の満足度を測れ、そこに店の状態が集約されるからである。更に、このある部分を従業員に還元すれば、従業員のモラルも上がり経営に好循環をもたらすだろう。これは、いわば事業運営に対してある種のスタビライザー機能(自動調節)を果 たすことになる。

 上のような事例と今後現れるであろうネットワーク社会と重ね合わせて考えてみると、どうもそこは各々のシステムに裁量 の余地、フレキシビリティーが従来にも増して必要となるように思われる。しかし、裁量 の余地の背後には相応の判断能力、応用能力を持つことが前提となる。そこの所を、均一に慣れた、受容することを是としてきた我々日本人が訓練してきたかというと、はなはだ疑問である。来るべき社会に向けて日本のシステムを、どう適合させるのか考える時が迫っているように思う。

 海外に出て日本とは異なるシステムに触れることは、色々な事を気付かせてくれる。

 

▲先頭へ