7年度の事業年度の終了にあたり、昨年12月に発足した「21世紀のインドと国際社会」研究委員会の平成8年3月までの活動を中間的にとりまとめた。その概要を以下に紹介する。なお、要約の文責は事務局にある。
委員会冒頭の議論をまとめたもので、詳細は「地球研ニュースレター1996年5月号」で紹介した。
(清好延 日印調査委員会委員・事務局長)
インドのユニティーとは何だろうか?
インドは図書館の整備、遺跡の保存、大学の新講座の設置など、金がかかるがすぐに効果 の出ないことに金をかけて来たが、初等教育までは手が回らず、従来は「知らしむべからず」という行き方だった。ところが、近年テレビの普及によって「知らしむべからず」は不可能になった。テレビが購買意欲をかきたて、政治に不満を抱かせ、ポピュリズムを助長させるのではないか。
政治の腐敗:当初高邁な理想を説いたインドの政治はインディラ・ガンジーの頃から金権的になって来た。
政治に対する宗教の介入:従来ヒンドゥー教を国教にして来なかったインドであるが、ヒンドゥー主義を掲げる政党が台頭して来た。
民主主義の代償:選挙の実施運営に膨大な手間がかかる。地方政府が中央政府の言うことをきかない、等。
農業:インドは8年続きの豊作であり、これは天恵だ。今後は不作の可能性もあるし、鼠や虫の被害も大きい。農業への政府の施策は不在ではないか。
インフラの未整備:インドの企業家の多くは、インドにインフラがあると思っているが、国際レベルから見ると未整備である。
インドの可能性と人的資源:労働者の資質については評価が分かれる。人口:回教徒の人口比率があがっている。教育:識字率が五割。資質:優秀な国際人、技術者、労働者など、資質的にはあらゆる分野で他国に遜色はない。国際的インド人:国際社会の有能なスタッフである。
国防:核武装化と制海権とが結びつくと脅威になる。
多様性の意味:民族、言葉、人権、宗教などの多様性を抱え込んだインドが経済大国となった場合、国際社会の多様性をさばいてゆける国として重視されるだろう。
官僚の優秀性:個人の資質が優秀。また、憲法の理念、インドという国体の維持という考え方に従って行動している。軍は政治に介入しない。膨大な数の省庁がある。
外圧:従来は外圧を嫌い、外圧に強い国だったが、経済自由化政策にともない、対外姿勢は柔軟になり、うまく外圧を利用しようとする姿勢も見られる。
社会制度と多様性の中の最低限のルール:インド政府の統治の智恵は「各コミュニティー内のルールは尊重し、各コミュニティ同士では不干渉で共存させる」。原理原則は尊重し細かいことには不干渉とする。個が尊重され、自由な発想ができる社会に適した考え方ではなかろうか。
情報とメディアがインドを変える:コンピューター技術に対する貪欲な姿勢。今後の教育へのテレビの影響。
(宮吉将光 さくら総合研究所環太平洋研究センター主任研究員)
(1)経済自由化政策
その内容は、業種規制の緩和、産業ライセンス制度の緩和、貿易規制の緩和、為替管理の緩和、大企業に対する各種規制の緩和、外資規制の緩和という6点から成る。
(2)最近の経済動向
経済自由化政策の開始が1991年7月で、以後5年を経過した。その動向は次のように言えよう。回復過程から本格的な成長期へ。貿易の拡大。インフレ率は1991年の17%から改善され10%へ。為替レートは安定。外貨準備高も拡大。しかし、最近は貿易収支の赤字幅拡大。ルピーの下落等も見られる。
(3)外資動向
外資認可額は急速に拡大。近年欧米にまじってNIES、ASEAN諸国の進出が目立つ。日本も上位
国ではあるが、金額は大きくない。日本企業の投資先としてのインドに対する評価が、情報不足等でまだ十分ではないためであろう。
(4)今後の見通
し
総選挙の結果が外資受け入れにどう影響するか、という問題はあるが、災害、農業生産の落ち込み、宗教対立・暴動などの大きな変動要因がなければ経済成長は5~6%の堅実な水準で続いていくことが予想される。
ただし、問題点もある。第一に中央政府の赤字の問題だ。財政赤字の拡大が懸念されるが、これはインフレ率の上昇ひいては政治の安定に影響しかねない。
第二は貿易赤字の拡大という問題だ。外資導入に伴う輸入の増加に見合うだけの輸出競争力の向上が見られるかどうか。それまで国際収支が耐えられるかどうかか鍵だ。
第三はインフラなど投資環境の未整備という問題。
第四に社会全体の非効率性という問題もある。計画経済体制をとって来た結果
として国営企業や金融部門などに非効率的な企業を抱えている。
以上のような問題が悪化するという悲観的なシナリオもあり得るが、インド政府のマネジメント能力からすれば、5%程度の成長が維持できると考える。
(5)日系企業のインド進出
日系企業の対インド投資は、経済自由化政策開始後いったん急増したが、その後伸び悩み、国別
順位は10位以下になっている。
日本企業のインドに対する関心は高まっているが、大きな課題の一つは、大手メーカーの進出に伴う部品の確保である。良質な部品を供給する日系中小メーカーの進出は、インドにおける政治介入への懸念、ルピー安・金利高などのコスト上昇要因等の採算上の懸念材料があるため、緩やかにしか進まないと考える。
(伊藤正二 横浜市立大学国際文化学部教授)
(1)混合経済体制のもとでの市場経済
インドでは中国と違い、財閥を含めて私企業は着実に発展・拡大して来た。したがってインドの課題は、市場経済化ではなく、「強い政策」のために「歪んだ市場」を正常化・活性化することだ。
(2)インドの民間企業の特徴
多様な主体による小規模な工場が多数存在している。小規模工業は政策的に保護され、特定の品目は小規模工業でしか生産できないことになっていて、品質・納期等に問題がある。また、公共部門の工場の約半数が赤字だが、労働者の反発があるため改革は困難な課題である。また、工場の規模別
平均賃金格差は大小間で5倍に達する。
(3)財閥の構成、内部編成
インドには特定の家族が支配する持ち株会社があり、財閥として、寡占的地位
を占める事業会社を傘下に置いている。財閥には、ヒンドゥー相続制度に起因する資産の分割をめぐるトラブルが見られる。
(4)自由化政策以降のインド企業の動き
生産・販売・利潤額の急上昇が見られる。また、自由化政策以前、新規製品の国産化が工業ライセンス取得の容易な方法だったが、これは規模の経済のないハイコスト経済への道だった。現在は、私企業は、不採算事業の処分、既存事業の規模拡大をすすめている。
また、私企業は外資との提携にも熱心で、電力・通信分野にも積極的である。
(石山照明 新日本製鐡株式会社原料第二部鉱石第一室長)
今後の経済成長を踏まえた国内需要の増大と輸出の拡大により、インド鉄鋼省は粗鋼生産を現在の2000万トンから、2001年には3700万トンを予測している。そのための能力増強は国営企業の近代化・合理化と民間プロジェクトで行うことが見込まれている。また鉄鉱石の生産も現在の6300万トンから、2000年には8300万トンを予測している。
1993年には鉱産物業セクターの民間への開放が行われたが、これにもとづく計画の実現には、外資流入に対する地元メーカーの反発、政治介入などまだ問題がある。
(金子勝 法政大学経済学部教授)
総選挙後の政権基盤の不安定化に伴い、財政赤字の削減が困難になるという点が大きな問題だ。この観点から1991年以降のインド経済の構造変化を見る。
○対外開放と為替政策
外資の導入が進んでもそれは国内市場向けであり、輸出は伝統的な品目に依存していることから、国際収支構造は脆弱なままである。
また、国際短期資金の浮動性に対処するため、ルピー相場が変動しないように公的にコントロールをして来たが、輸出基盤の弱さから、貿易収支の悪化とルピー切下げを余儀無くされている。
○「選挙循環」と財政赤字問題の質的転換
インドの場合、間接税への依存、政治的配慮、公共部門のコストの硬直性などから、インフレが財政赤字を加速する構造になっている。財政赤字は貿易収支を悪化させ、外的ショックに脆い国際収支構造をもたらす。そして、インフレに伴う金利上昇は工業投資を抑制する。インド経済はこういう経過を繰り返して来た。
○財政赤字問題の変質
90年代以降は、公的部門の比重の低下、外資の直接投資の増大といった変化が生じている。しかし、インドにとって、中長期的に、外資導入と国際収支の制約との間に緊張関係がある。
また財政赤字問題は以下のような点で深刻化している。第一に公債利払額を新規公債発行額が上回った。第二に州政府の赤字体質。しかも中央政府からの借入と中央政府への返済が同規模となっている。第三に政府は経常赤字を資本会計の黒字で補填している。第四にインフラ事業体の赤字。政府は州電力公社に事実上の補助金を出している。
○財政赤字削減政策と問題点
公企業のリストラについては、国内市場の未熟、雇用に関する社会保障制度の欠如等のため、市場機構の圧力によって効率化がすすむというシナリオが成り立たない。そのため、体系的な公企業対策が打てないでいる。 インフラ整備問題と州財政赤字問題をつきつめてゆくと末端の社会機構の問題につきあたる。補助金等の制度が富裕層に有利に機能する。教育・衛生・貧困対策への資本支出が圧迫される。といったように、政府規制と農村利益政治との悪循環がある。 政府規制を除いて市場に任せても新たなルールが生まれるわけではなく、中長期的な制度設計の問題だが、政権基盤の不安定化がこうした制度改革を遠のかせることが懸念される。