さる1997年11月21日(金)に経団連会館において標記国際シンポジウムが開催された。国内研究機関、大学、会員企業、各国大使館から120名以上の参加者が集い、活発な討論が行われた。シンポジウムは午前の「グローバリゼーションの本質」(モデレータ、佃近雄国際貿易投資研究所理事長)と午後の"グローバル、企業が国を選ぶ時代、日本の進路#(モデレータ、小島明日本経済新聞社論説主幹)の2セッションにわけて実施された。今回は第一セッションの概要を報告する。
まず、モデレーターの佃 近雄国際貿易投資研究所理事長は、グローバル経済はアジア諸国を狙い撃ちしている、アジアにおいても日本においても経済運営失敗のコストは大きい、アジアの危機は地球的な脅威となっているが、問題解決の鍵は世界最大の債権国日本が握っている、弱体化した経済と金融危機を抱えた日本は問題の要素でもあり、問題解決の源泉でもある(11月20日付け英紙フィナンシャルタイムズ社説)と本シンポジウムの意義を強調した。 続いて、3人のプレゼンターから報告があり、パネルディスカッションに移って行った。発言概要は下記の通 り。
グローバル化は1980年代中期から開始され、90年代の末に完了するものと考えられる。このプロセスの牽引車は資本の流れの自由化である。これまでのモノにサービス貿易も含めた規制緩和・自由化が進展した。自由化のプロセスは、サービス産業、製造業双方に見られ、特に先進工業国のGDPの3/4を占めるサービス産業の果 たす役割は大きい。
欧州統合とグローバル化を混同するケースがある。欧州統合は壮大で野心的なものであり、国民国家が消滅してしまうものである。1957年のEU発足時に6カ国であった加盟国が、現在は15カ国。将来は25カ国以上になると見られ、意思決定のプロセスが弱体化する恐れがある。このためEUの制度改革が避けて通 れない。
金融の自由化は、金融セクター自身でのコントロールはできないことを意味する。このことが新しい問題を生じさせている。金融危機の起こったタイでは、金融市場の規制が不備であった。規制をどのように金融メカニズムの中に取り入れて、市場を改善していくかが課題であろう。改革開放政策を上手に運営し、グローバル化のメリットを受けている国は多い。しかし一方で欧米諸国内でも、所得格差の拡大が続き不平等が広がっている。
欧州は欧州統合プロセスにばかり注意を払いすぎ、欧州域外へは注意を向けなかった。現在、欧州は新しい対外関係を模索しているところ。一つには、大西洋を挟んだ欧米両地域の関係強化であり、もう一つは、ASEMに代表される欧州とアジアとの関係強化である。
グローバル化は市場統合を進める側面がある一方、コストがかかるという側面 も持つ。グローバル化が世界各地で米国型モデルと必ず同じ形態になるとは限らない。国家の政策は独立したものであり、東アジア諸国が他国のモデルを無理矢理押しつけられるということはない。
固定相場制という自主的なルールを設定しない限り、通 貨危機を抑制することはできない。高インフレ国は金融政策というダイエットが必要である。そうでなければ資本が逃避してしまう。
資金をどのように活用するかは自国政府の選択に任され、グローバル化の影響は受けない。金融政策が上手くいかないと貿易面 でも深刻な影響が生じるが、その解決策は国内の選択にかかっており、グローバル化の流れとは異質のものである。
ワールドモデルの中で労働市場は重要な位 置付けである。しかし、労働市場は簡単に変化するものではない。しかしドイツでは、企業と組合が賃金その他の労働条件を話し合って一緒に決めており、労働者へアジャストメントを求めている。このように労働市場でもフレキシビリティが必要である。
米国は市場として大きく、世界に対して支配的な立場を取っていくだろうが、グローバル化すれば米国経済がうまくいくということではない。日本はグローバリゼーションをうまく利用してきた。グローバル化自体は日本の選択だが、しかしそのアジアでのリーダーシップを間違えてはならない。日本の政治的意思が重要となろう。
グローバル化の要素としては、冷戦の終焉と情報技術の変化が上げられる。グローバルな市場化現象によってグローバル市場が生まれるという新しい歴史の始まりである。1980年代に入って国と国の相互依存関係が深化し、それがグローバルマーケットの創出へつながっていく。日本、北米、欧州があたかも一つの市場のように連結して、ビジネスが行われている。これにアジア、ラテンアメリカ諸国がつながりつつある。
グローバル化はコストをいかに管理するかの競争である。これに対応するために次の3つの方策がある。
1番目は労働単価をいかに低下させるか。総コストに占める労働コストを下げる必要がある。
2番目は経営プロセスの改革である。ロボットやコンピューターの導入を図り、総コストに占める人件費を引き下げる。
3番目は競争政策での価格調整である。グローバル化の下では価格を企業は決められない。企業には2つの選択肢がある。廃業か、安い人件費を求めての海外進出である。また、技術、商品、サービスに関する知的所有権を確保して非価格競争力を生み出すことも必要である。
グローバル化するなかで、一つの国家(Nation State)にのみ立脚する企業は、その競争力が低下しつつある。国家は国内のミクロの問題を取り扱うには大きすぎ、グローバルな問題を取り扱うには小さすぎる。国家のあり方がまさに今問われている。今後グローバル化の進展で、市場経済化が活発化して、国際間での最低限の標準化(Minimum Standard)が自然と出てこざるを得ない。
グローバル化が成功するためには、次の3つの要素が必要である。マーケットが大きい。新規参入する企業が多い。情報が十分提供され、誰もが平等なアクセス権を持っている、ということである。これらの環境の下で企業は自己責任において行動ができ、マーケットが活性化する。日本では行政当局への情報開示を行うが、市場への情報開示は行っていない。海外の銀行が国内の銀行を買収したいと考えても、不良資産があることを十分に開示されないということは、歪んだ情報公開である。
国境を超えた、ボーダーレスイシューがある限り、グローバル化は国と国との相互依存の関係を変化させ得る。国対国による政策協調が重要である。過去10年間、国家間の戦争は陰をひそめ、逆に地域紛争や国内紛争が発生し、それらの国々が抱える貧困問題のため、国民の将来への絶望感が広がっている。このため、国家が協調していかに問題を解決していくかが問題だ。新しくグローバル化、ボーダーレス化によって生まれる問題に対処するため、国家の果 たすべき課題は多い。
グローバル化は国家間の相互交流による結果 である。過去、19世紀の植民地時代にもグローバル化が進んだが、その時代との違いは次の2点である。 まず、相互的であるという点である。過去の植民地時代では、政治的な意図の下に植民地政策が進められた。貿易と金融のリンケージによって世界経済が全て連携している。もう一つは、グローバル化のスピードの進行により、新しい情報がほぼ瞬時に世界のどこででも同じ情報を入手できるようになったという点である。
一方で、グローバル化の進展は、その陰の部分として、失業者数の増大と所得格差の拡大を生み、不平等を生じさせると批判する勢力がある。しかしながら、あまり強力な主張とはなっていない。
1980年代に入り、アジア市場もグローバル化が進展してきた。この市場では、外向き指向と内向き指向が交互にほぼ5年毎に繰り返し発生してきた。
1981 年~1985年(外向きの時代)
米国のレーガノミクスによって米国経済が拡大した。これによって米国市場へアジア製品の輸入が増大した。また、ドル高によって多国籍企業が海外へ展開し、アジア地域での工業化が進んだ。
1986年~1990年(内向きの時代)
米国は双子の赤字(財政、貿易)に悩み、東アジア諸国との通商摩擦が発生した。東アジア経済共同体(EAEC)構想や、中国・天安門事件(1989年)をきっかけとして日米等先進国との関係が冷却化。
1991年~1995年(外向きの時代)
日系企業や華僑系のアジア企業とタイアップして、アジア域内での生産基地化のネットワーク作りが盛んになった、中国やベトナムがこうしたネットワークに入ってきた。
1996年以降現在(内向きの時代)
インドネシア国民車問題に代表されるように、国際的なルール(WTO)に明らかに違反するような政策を各国が取ろうとする動きも出始めている。
市場経済がグローバル化していくためには、次の要因が考えられる。人とモノと為替、情報化である。グローバル化により金融も石油と同様に取引される。人とモノというものは市場の供給量 に限界がある。しかし金融は世界共通に大量に瞬時に移動するもので、信用力の創造によって幾何級数的に大きくなる。
グローバル化は海外へビジネスチャンスを移転できる点において重要であるが、国家間(Transnational)の最低限の基準(Minimum Standard)が必要であり、企業側は、社会的倫理観の創成が必要である。
グローバル化の進展の中で比較優位の原則は適用される。その際、どのように新しい産業を開発するか。また、国家の役割はどのようなものであろうか。
韓国のように政府が強力な支援をすることによって自動車産業が育った例もある。欧州では、航空宇宙産業はフランス、英国、ドイツ政府が支援をしているが、国家による支援がなかったのならば、欧州の宇宙航空産業は現在の位 置を占めてはいない。このように政府の役割は重要である。新しい技術の創出に政府の関わりというのは重要な意味を持つ。
一方で、携帯電話や電気製品メーカー等は政府の介入はむしろマイナスとなるところもあり、市場にまかせた方が良いという産業もある。
政府の支援が必要な産業もある。それには社会体制の規範を守る能力が必要である。最近起こったアジアの通 貨危機は東アジアの奇跡に水をかける出来事であった。これはマクロエコノミクスの介入の失敗によるものであるが、一番良いのは市場にまかせることである。
メキシコ、タイ、インドネシアで通貨危機が起きたが、これは為替水準が過大評価を受け、過度な社会資本投下が行われたためである。金融市場に資金を投入し続けたものの、資本の流れを操作する試みは不可能であった。国家としてマクロ経済の管理を行うことを通 じてグローバル化の推進に果たす役割は大きいが、国民はそれによって発生する負担を理解しなければならない。
金融がグローバル化する中で、世界中にはジョージ・ソロスのような投機家が何百万人もおり、世界はスピードの経済に突入している。人やモノに比べて資本が動くスピードには大きな差がある。資金はますます巨大化し、瞬時に世界を駆け巡る。実物経済に比較して、マネー経済は貿易経済の取引額全体の50~60倍にもなろうとしている。
政府の役割は大きな位置を占める。昨今のタイ金融危機の原因は、第一義的には、タイ政府による適切な金融、経済両面 の政策運営が行われなかったことによる。もっと早くにスリム化をしなければならなかった。
グローバル化の光と陰に関して、光の部分については余り論じられなかったがそのメリットは広い分野に現れてくるだろう。しかし経済史家カールポラニーが19世紀末からあらゆる分野に際限なく広がった市場原理が金本位
制の崩壊、政治不安を招き、世界大戦につながったというグローバリゼーションへの批判は忘れるべきでない。グローバル化の進展で資金は居心地の良いところを求めて世界中を移動し、企業もまた同様にメリットを求めて国を越えて移動するようになったがその結果
、国家の課税基盤が崩れていく、また一方では失業、所得格差など国民が懸念する問題に対応しなければならず、政府は深刻なジレンマに立たされている。財政的な問題を抱え、グローバル化の時代の中で、政治の果
たすべき役割は非常に大きい。