「アジアの中の日本を考える」研究委員会で最近、「最近のアジア通 貨情勢」と題する報告が行われたのでその概要を報告する。
タイの為替は1980年代の中頃から1ドル・25バーツ前後で連動してきた。85年9月23日にプラザ合意が成立した。1ドル240円だったドル・円の交換比率は86年の3月には180円、86年の9月末には145円、それから2-3年で120円、95年の4月には80円まで円高となった。これはドルが、円ばかりでなく他の主要通 貨に対して切り下げを続けてきたという歴史である。この間、25バーツ・1ドルで推移してきたわけであるからタイバーツの実体的な価値もドルの切り下げに連れて切り下がってくる。
切り下がってくるから通貨の国際的競争力は自動的についてくる。したがって輸出は非常にやりやすくなる。これがタイの高度成長を支えてきたわけである。
また、円高で炙り出されるように日本の産業界は海外立地に乗り出すのだが、87年はタイへの年といえるくらいタイへの直接投資が集中した。このような日本をはじめとする外国からの直接投資は、外貨がバーツに変わってすぐには逃げ出さないお金であるからタイの外貨繰りからみたらこんなに嬉しいお金はない。そればかりか直接投資は、雇用機会、販路、輸出競争力、外貨獲得力等を総合的に持ち込んでくれる形態である。これは産業構造、輸出構造の高度化をもたらす。この間、韓国ウォン、シンガポール・ドル、台湾ドルなどの通 貨もドルに対して切り上がっていったのでこれら周辺国に対する輸出競争力もタイの経済発展に大きく寄与してきた。こういう環境の中で、アジアの奇跡の一端を担う目覚しい経済発展をタイは何年も続けたのである。ところが海外からの投資が92年、93年辺りをピークとして頭打ちになってきた。理由はいくつもある。工場用地の不足、都市部における労働力の不足と賃金上昇、港湾・工業用水・電力などインフラの限界など、タイ進出のメリットが薄れてきたのである。一方、タイ国内では輸出で外貨を稼ぐ前に国内投資が進み、経常収支は80年代終わりから、恒常的に赤字基調にあった。足りない外貨をどう手当てするか。
タイ通貨当局は、資本取引の規制を緩めて民間企業に外貨を借りてもらってそれを経常収支の支払準備にあてるということを考えた。タイの金利は活発な国内投資による資金需要やインフレ対策もあって2桁という高い水準にあった。ドル金利は3-4%で安定していた。これだけの金利差があって、1ドル・25バーツの為替相場で安定している。為替リスクがなくてこれだけの金利差があればどういうことになるか。タイバーツと米ドルの金利差がそのまま儲けとなるのだから、ドルを取りいれてバーツで運用することをやらない財務担当者がいたら失格である。どんどんドルがバーツに変わってタイ国内に流れ込んでくる。過剰流動性を持った一部のお金は土地やビル建設のバブル的な投資、ベンツやワインの購入に使われたのはご存知の通 りである。これはバブルだというので引き締めのため金利を高くする、そうするとドルとの金利差がさらに開いてまたドル資金が流入して、最終的にバブルが弾けた。不動産、株は大暴落して焦げつく。
ところで、やや綱渡り的な資金繰りとはいっても、タイ国の輸出物資に国際競争力があって、貿易によって外貨を稼いで、借り入れたドルを返すことができたら危機は生じなかったかもしれない。事態を悪化させたのは、ここ2年ほどの米ドル高である。ドルに連れて高くなったバーツでは輸出採算が悪くなってきた。特に中国は94年に1ドル5.76元から8.62元へと33%切り下げた(中国は切り下げとはいわず調整といっている)。これで競合する軽工業製品分野では、中国の製品に比べタイ製品の輸出競争力が落ちた。値上げをしても外国に買ってもらえるような製品も少ない。
経常収支は真っ赤かになった。この時にドル連動を止めて、為替レートの調整をすべきであったのだろうが、民間の手にある為替リスクの大きさなどからこの手が取り得ないうちに、流入した短期資金の総額が外貨準備を大幅に越える状況となった。
どの位バーツが強くなったかという一つの例をあげたい。一時期、東京で売られていた焼き鳥の5割か6割がタイから入っていたという話がある。これは、串を削ってネギと鶏肉を交互に刺してというところまでタイでつくって冷凍か、冷蔵で日本へ輸入してきて、東京ではただ焼くだけ。これが、1ドル115円になったら一本もタイからこなくなった。どこからくるようになったかというと中国からくるようになった。さらに、125円になったら私がちゃんと刺して焼きますという日本国内メーカーもでてきた。1ドル・25バーツの連動制を止めたのは97年の7月2日である。あれよあれよというまにバーツが切り下がって40バーツ、40%ぐらい切り下がったところで、あらめずらしや、2年ぶりにタイの焼き鳥にご対面 ということになった。1997年10月、11月、タイの経常収支は赤字だが、貿易収支は黒字に転じた。これはまさにある種の経済ロジックというものであって、タイのバーツは切り下がったのだから切り下げを強みにして輸出を伸ばせば良い。そうすれば貿易収支は黒字となり、経常収支も均衡に向かえば、市場のほうも落ち着いてくるだろう。中国は93年に経常収支が119億ドルの赤字であったが元の切り下げを行った結果 、94年に77億ドルの経常収支の黒字に転じたという例もある。
タイは経済ロジックに乗って均衡に向かうだろう。しかし、韓国、インドネシアについては、経済以外のファクター、つまり政治に対する不信、社会不安が自国通 貨売りにつながっているわけで、どこで底が見えるのかわからないところがある。マレーシア、フィリピンは、大幅な外貨準備の減少はなかったものの、大規模プロジェクトの延期、政府支出の削減、経常赤字縮小策などIMFが介入すれば提案するであろう対策をもって通 貨の下落を防いでいる。
さて、アジア各国は、やり方は多少違ったがタイと同様に貿易自由化時代に備え、急速な工業化による輸出立国をはかった。投資効率の低い事業でも政府が奨励金や特権を与えることで実行され、低利の資金が海外から流入した。この低利の資金が、輸出品を製造する工業分野ばかりでなく、消費財の購入、その他ありとあらゆる分野に流れ込み、民間の対外債務が膨らんでしまった。この意味ではせっかく入ってきた海外からの資金の使い道を誤ったともいえる。また、アジア各国が似たような政策をとったことから、一国で見ると供給が不足していても、アジア太平洋地域全体で見ると、資金の供給過剰となる分野が出てきた。つまり、財市場で供給過剰にあるアジアから、外国金融機関が資金の引き上げを始めた、それも大規模、急激に資金移動が行われて、通 貨が不安定となったのである。金融システム自体が外国金融機関に依存して機能していただけに、グローバルな国際資金移動は、一度、資金が引き上げられると信用収縮を招き、経済規模の小さい国の金融システムを破壊するのである。
97年8月に東京でタイの支援国会議が開かれた。アメリカ、ドイツ、フランス、英国も会議に入っていたが、支援のパッケージを見てみるとIMFが40億ドル、日本が同じく40億ドル、以下支援国拠出金があって総額172億ドル出した。はっきりしているのは、アメリカとヨーロッパの国はタイに何もコミットせず、手を差し伸べなかった。アジアがタイを助けたのである。ここでおこななわれたアジアの域内協力を、アジア自前の資金動員力を持った一つの枠組み、機関にしようじゃないかという話が当然出てきた。その枠組み作りにしても、ドルに代わる域内通 貨を考えるにしても日本は主役を務めなければいけないのである。これが一つの命題として通 貨危機が我々に問い掛けてきていることである。
ここ2-3年でドル・円は80円から130円間で大きく振れてきた。ドル・円の為替の問題は日本にとって円の問題でしかなかったが、こうしてみると実はアジア全体に影響する問題だった。それに対する配慮が欠けていた。これまでのように、為替は市場原理に任せて、総フロート制の下においておくのが良いのだろうか。我々は主要通 貨の安定的な推移のために何をどうしていくべきか。
日本は、GDPベースで東南アジア全体の60%を占める大きな経済体である。個人資産1200兆円という日本の資金動員力、貯蓄ベース、あるいは資本輸出力をどうアジアの国々にとって有効に使うことができるか、そのためにどうやって日本がしっかりしなければいかんか。
インドネシアは、世銀の言うことを聞いて資本取引を自由化した。その結果 はご存知の通り。市場で投機が起こるのは、その国の中の経営自体に問題があるのでそこを直すべきだ、というのも一つの真実である。しかし、市場の動きというのは、これまでのドル・円の動きを見ても、つねにオーバーシュートを繰りかえし、オーバーシュートを繰りかえすたびに社会が膨大な負担を強いられる。また為替が安定だというところが見えるまでにどれだけ時間がかかるのか、わからない。新古典派の言うように規制をなくし、市場に任せるというのではアジアにおいて為替、金融の安定的な運営は図られないのではないか。今こそ、新古典派の理論を越えたロジックに基づく、日本主導の強力なインフラづくりが必要とされる。それがこの研究会の目的である「アジアの中の日本を考える」ことに結びつくことだと思う。
(文責 事務局)