1. はじめに
国際および国内の温室効果ガス(GHGs)排出抑制枠組みとして、近年、排出権取引制度が注目を集めてきている。しかし、現状では国際的な排出権取引の運用則は決まっておらず[1]、また国内規制としてのGHGs排出権取引を導入している国は未だ存在しない[2]。よって、「排出権取引」について現在行われている議論の中心は、排出権取引制度設計論であり、制度開始後の市場への対応の方法論については、あまり議論されていない。そこで、ここでは、すでに行われている米国における二酸化硫黄(SO2)排出権取引、および欧州で行われた電力と二酸化炭素(CO2)排出権の取引シミュレーションの結果 から得られる知見をもとに、国内規制として排出権取引が導入された場合、規制される側の企業がどのように排出権市場を活用していくべきか、という側面 に焦点を当てよう。
2. 地球温暖化対策を巡る議論
2.1. 国際的な流れ
地球温暖化問題(気候変動問題)への対処としての国際的枠組みとして、1992年に国連気候変動枠組条約が採択され、1997年末にはその第3回締約国会議(COP 3)にて、「京都議定書」が策定された(未発効)。この議定書の主な内容は、1)GHGs排出削減の数値目標の設定、2)目標達成の手段としての柔軟性メカニズム(京都メカニズム)の導入であった。議定書の数値目標は、議定書の附属書Bに掲げられた39の先進国(OECD諸国と市場経済移行国)に設定され、各国は2008年~2012年の5年間に、課せられた目標値まで排出削減を行わなければならないというものである。このような流れに反するように、CO2(GHGsの中で最も主要なガス)の2010年における排出予測は目標削減値を大きく上回ってしまう国もある[3]。そのような国にとっては、国内のみの削減対策で議定書の目標を達成するのは非常に厳しい[4]。排出目標が国内で達成できない国は、国外から排出枠を調達してこなければ、目標達成はできないことになる(吸収源分を除く)。
排出枠の調達手段である「京都メカニズム」とは、市場原理を活用し、国際的な排出削減コストの平均化をはかることにより、排出削減費用をなるべく低く抑える経済的手法のことである。具体的には、国際排出権取引(先進国間の排出枠の取引)、共同実施(先進国間共同排出削減プロジェクト)、クリーン開発メカニズム(先進国・途上国間共同排出削減プロジェクト)がある。このような地球温暖化対策の国際的な枠組みが確立されつつあるなかで、特に京都メカニズムの中心となる「排出権取引」という排出削減手法が注目されるようになったのである。
2.2. 国内における措置
このように、国際的な枠組みのなかで、目標が設定された次の段階として、各国はこの目標を達成する(議定書を遵守する)手段を考えなくてはならない。「京都メカニズム」のような国際的な手法を活用すると同時に、国内の対策によって排出削減目標を達成しなくてはならない。主要な国内での対策としては、キャップ・アンド・トレード(総量 規制)型排出権取引、税金/課徴金、省エネルギー規制(排出原単位改善)、補助金、自主協定、などがあげられる。
日本においては、2008年~2012年に1990年水準でマイナス6%まで削減しなくてはならないという排出目標値が設定されている。キャップ・アンド・トレードでは排出総量 が決められるので、正しく活用されれば、確実に目標値を達成することができる。その他の手段では排出量 を目標値にまで削減できるとは限らない[5]。目標削減量 を担保するという観点から、キャップ・アンド・トレードの果たす役割は大きいと思われる。
3. 排出権取引のメカニズム
排出権取引は、総排出可能量が与えられた場合[6]、それを達成すべく市場メカニズムを活用した制度である。ここでは、規制対象者がなぜ取引を行うかという点と、取引のメカニズムを概観してみよう。
第一に、あらゆる取引というものは、取引主体である売手と買手の両者が、取引を行うことによって利益を得るために行われるものである。よって、各主体は(取引を行わない場合と比較して)メリットを受けると考えて排出権「取引」を行う。
排出権取引制度は、各企業の排出削減費用[7]がそれぞれ異なることによって、有効に機能する。例えば、1単位 のCO2排出削減に要する費用が小さい企業は、自社で目標以上に多くの排出削減を行い、余剰分を他社に売却することで利益を得ることができる。また、削減費用が高い企業は、自社で削減するよりも、相対的に安い排出権を購入して目標達成をしたほうが、総費用は小さくなる(図1.参照)。企業は自社内対策をどの程度行うかという指標として、その他の企業の排出削減の限界費用を排出権価格という形で知ることになり、自社内削減と排出権購入をもっとも合理的な方法で組み合わせる[8]ことを考える。
図1.排出権取引によるコスト削減の原理
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説明: 企業A, Bに排出規制が課せられた場合、企業Aの削減コストを5,000円/トン、国家Bの削減コスを15,000円/トン、排出権価格を10,000円/トンと仮定すると、取引によって各企業 は5,000円/トンづつ利益を得ることになる(排出権価格は両者の交渉によって決定される)。 第二に、キャップ・アンド・トレード型排出権取引制度は、コマンド・アンド・コントロール型の規制や補助金とは異なり、広い範囲の排出源に総量 規制をかけることを可能にする。排出権取引制度が広い範囲をカバーすることによって、従来型規制等でカバーできない低コスト排出削減オプションが、各企業の自主的判断によって、市場に現れる(実施される)ことになる。その結果 、より低いコストで、総排出枠が担保されることになるはずである。
4. 米国におけるSO2排出権取引
次に、実際に行われている排出権取引制度を見てみよう。代表的な排出権取引制度として、米国連邦におけるキャップ・アンド・トレード型SO2排出権(アローワンス)取引制度があげられる。米国環境保護庁(EPA)の酸性雨プログラムでは、263の発電設備を対象とし[9]、フェーズI(1995年~1999年)において、SO2の総排出量 を年間550万トン/年に抑えるという目標が掲げられた。このSO2排出権取引制度においては、各企業の目標遵守率は100%を達成しており[10]、市場の活用方法もかなり発達してきているため、将来のGHGs排出権取引市場の参考になると考えられる。
4.1. 過去の教訓
EPAは、各種大気汚染物質の排出量を削減すべく、1980年代から地域規制を遵守する方法として、他の排出源における排出削減量 を自己の排出削減分としてカウントできる制度をはじめた。しかし、この制度は周到に設計されたものではなく変更がたびたび加えられ、クレジットの価値が不確実であった。また審査や許可などに伴う取引費用が大きかったため、有効に機能するには至らなかった。また、モニタリング制度の不備や削減量 の同定が曖昧で時間がかかることだったことも制度が機能しなかった理由となった。このように、不確定な制度のもとでは、排出権取引スキームは信用力を失ってしまい、参加する明確なインセンティブはなくなってしまったのである。
4.2. SO2排出権取引制度
EPAは上記のような過去のクレジット型排出権取引の失敗から、「堅固で不確定性の小さい制度枠組み」のもとでのみ、市場が機能するということを学んだ。したがって、SO2排出権取引制度を設計するにあたっても、信頼性のある制度構築に詳細の注意をはらった。これによって、これまでの遵守率は100%を達成し、電力会社によるSO2の排出量 を1980年比から大幅に削減することに成功したのである。
遵守が達成され市場が有効に活用された要因である「堅固な制度」とはどういうものであるか。まず、確固たるキャップが決められ、また、それに伴い不遵守時の厳しい罰則規定が設定された。また制度の運用面 では、排出量のモニタリングが正確であったこと、排出権の所有者、所有量 および取引量が把握できるようなトラッキング制度が確立していたことにより、非常に信頼性の高い制度になった。このような制度の下、規制対象企業は目標を遵守する明確なインセンティブをもつことができた。また、柔軟性(バイキングなど)の導入が積極的な遵守を活発にさせたことは明らかである。
4.3. SO2排出権取引市場
信頼度の高い制度のもとにおいて「排出権」もまた信用度の高いものになっていった。規制対象企業は低コスト排出削減オプションの選択範囲が広がるため、積極的に市場を活用するようになり、取引が活発化した。それに加え、排出権取引市場が開放的であり、EPAに登録すれば規制対象者以外も参加が可能であった。ブローカーの参加も認定されていたため市場の流動性はますます向上した。市場での取引が活発化すると、デリバティブなどの金融市場の技術も導入され、企業はリスクを分散することも可能になった。それに伴い、市場の流動性も高まるという好循環が作り出されたのである。また、取引が活発化することにより、SO2の排出権価格も、100~200ドル程度と、制度設計当初予想よりはるかに低水準に抑えられている[11] 。
図2. SO2排出量 の実績と予測値
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出所:EPA
説明: 酸性雨プログラムがある場合では、実績値も予測値でもSO2排出は削減されている。階段的に強化される規制水準(総排出枠;点線)に対し、プログラム導入後は、より排出削減を行い、1998年までには義務付けられた排出量 よりも約30%多い排出量削減を達成した。この余剰排出権は、バンキングされ、規制が強化されるフェーズII(2000年以降)に行使することによって、市場がコスト効果 的な排出削減経路を選択するものである。
また、規制された企業側が制度のメリットを把握し、的確な行動をとったことも、このプログラムが成功している大きな要因であると考えられる。すなわち、規制される企業が排出権市場をどのように活用するのか、という点ム電力会社が規制に対してどのように行動したのかも重要である。
第一に、キャップ・アンド・トレードでは、総量規制はされるものの、排出削減の達成手段は、各電力会社が自由に選ぶことができた。それに加え、上記で述べたように、SO2排出削減プログラムおよび取引市場が整っていたため、排出削減オプションは多様化した。例えば、脱硫装置の設置、発電効率の改善、電源運用、燃料転換、電力取引、排出権取引などである。また、電力取引および排出権取引においては、金融市場の技術(デリバティブ市場)も応用可能であり、企業はリスク管理も行うことができた。このように、企業は自らが望む遵守方法で、適格な排出削減オプション・ポートフォリオを組むことができたのである。
第二に、多くの電力会社では、あらゆる知識を集結して、目標遵守の計画を立てていた。汚染防止に関するコスト最小化のためには、多くの要素[12]を考慮する必要があり、それらの専門的な知識を組み合わせるという目的で、全社におよぶ部門間協力チームを作った企業もあった。例えば、米国中部大西洋地域の大手電力会社であるポトマック電力(Pepco)は、発電部門、技術部門、電力販売、経営企画、燃料調達、環境管理、排出権取引業務などの部門から人材を集めて遵守計画の立案にあたっていた。
このような確固たる制度と流動的な市場の存在の下、企業の適格な行動により、米国におけるSO2排出削減目標は遵守され、なおかつ、排出削減費用の低減も達成されたのである。酸性雨プログラムを通 じて環境を保護する費用は、当初予定されていた40~80億ドルをはるかに下回る10億ドルと、経済に与える影響は小さかった
[脚注]