計画経済の時代の平等主義に伴う弊害を打破すべく、小平が「先富論」を旗印に、平等よりも効率を優先させる改革開放政策を押し進めた。25年経った今、総じて国民生活は改善されてきたが、所得分配が益々不平等になってしまっている。従来の「農村」対「都市」、「西部」対「東部」に加え、最近、「貧困層」と「富裕層」という対立軸が新たに加えられた。これを背景に、昨年秋に行われた共産党大会や今年の3月に行われた全国人民代表大会と政治協商会議においても、所得分配の問題がクローズアップされている。このような不均衡を是正し、安定かつ持続可能な成長を目指して、「全面的小康社会の建設」の戦略が打ち出されたのである。これは当局がこれまで採って来た効率一辺倒の戦略を改め、公平にも目を配らなければならないことを意味する。
改革開放当初、小平は「いくらかゆとりのある生活」を意味する「小康」を中国の現代化の目標とした。すなわち、1990年には実質GDPを1980年から倍増させ「温飽問題」(衣食問題)を解決し、2000年にさらに倍増させ「小康水準」を達成し、21世紀半ばまでに一人当たりGDPを中進国水準に到達させ、生活水準を比較的豊かにして近代化をほぼ実現することを目指した。小康の具体的内容については、1991年に全国統一基準が設定され、農村と都市それぞれの指標が作成された。全国統一基準では、①経済発展、②物質水準、③国民素質、④精神生活、⑤生活環境の5項目計16指標から総合的に測定する。江沢民は、小康の初期段階が基本的に達成されたことを踏まえ、2020年までの「全面的な小康社会」の建設を目標に、GDPを2020年には2000年の4倍にするなどの目標を掲げた。そのためには、中国経済は対象の期間内に年率7.2%成長しなければならないが、それでも、2020年の中国の一人当たりGDPは(2000価格・為替レート換算で)ようやく三千ドルに達するだけで、三万ドル程度という現在の先進国のレベルにさえ、遠く及ばない。
これまで達成した「小康の初期段階」と比べ、今後目指す「全面的な小康」は、よりゆとりのある生活だけでなく、より平等的な所得分配をも意味する(図-1)。もっとも、全国平均で見て「小康の初期段階」が達成されたとはいえ、すべての国民がそのレベルに達しているわけではない。2000年でも、3000万人がいまだ「温飽」(衣食)問題を完全に解決できず、都市部でも一部の人々が最低生活保障ライン以下の生活を余儀なくされている。そして、相当数が衣食問題を解決したとはいえ、「小康」状態には達していない。江沢民報告においては「小康」社会を全面的に建設して、中部と西部地域、農村地域の発展を加速させ、社会主義の共同で豊かになる原則を体現する必要があるとしている。すなわち、「小康」社会の全面的建設は、十数億の人口に恩恵を及ぼすため、「小康」状態に達していないものは、早期実現を目標に努力しなければならないと主張する。また、都市部と農村部の格差の削減に関しては、20年後には工業化を基本的に実現し、農村労働力の割合を現在の50%から30%まで下げることが考えられている。
「小康」は、元々中国古代の思想家の社会的理想であり、前漢期にまとめられた「礼記・礼運編」の中で「大同」に次ぐ理想の社会として描かれたものである。公有制を前提とする大同社会に対して、小康は、人々の私欲を前提として、「礼」(制度)によって治めなくてはならない社会であると描かれた。すでに全面的な小康社会を実現した諸外国の経験に鑑み、中国としても、公平かつ競争的市場や、法治と民主政治、私有財産、社会保障といった制度の整備を急がなければならない。
(注)「小康」という言葉は、日本語では、「小康状態」のように、一般的に(病気の)悪い状態からの若干の改善という意味で使われ、中国語の意味と全く違う。こうした誤解を避けるためか、16回党大会における江沢民報告の中国政府による和訳では、「小康社会」は「いくらかゆとりのある社会」と訳されている。
図-1 全面的な小康社会への道 |