最近、日本のイノベーション力、とりわけ基礎研究力が低下しているとの声が高まっている。2018年12月には京都大学の本庶佑教授が日本人として26人目のノーベル賞を受賞されたが、これまでの多くの受賞者が今後は受賞がなかなか難しくなると懸念している。自由民主党もさすがにこの点に気付き、政務調査会は、科学技術イノベーション戦略調査会のもとに科学技術基本問題小委員会を設けた。政府も2019年度予算で若干配慮した。
思い返すと、1980年代に日米貿易摩擦が激しかった当時、米国議会では「米国にとっての脅威が二つある。一つはソ連の軍事力、もう一つは日本の産業力である」と言われるくらい日本の産業力は米国にとって脅威とされ、日本に輸出自主規制と輸入促進を迫った。さらに1985年のプラザ合意による通貨調整を求め競争条件を有利にしようとした。
その反面で、米国は、情報通信分野を中心にイノベーション力の充実に政策を展開していた。1985年にヤング・レポートを、そして1991年にペルミザーノ報告を出して、情報通信技術の革新と知的所有権の保護、海外の優秀な人材の移入を進めていたのである。21世紀に入って米国が情報通信技術で圧倒的な強さを発揮したのは、こうした戦略の成果である。
一方、日本は、激しい貿易戦争をめぐる欧米諸国からの攻撃に懲りたのか、政府も研究開発、とりわけ基礎研究への努力を軽視し、企業にも奢りの気分が曼延し、技術開発への挑戦を軽んじていた。加えて、その後いわゆる「バブル経済」が崩壊して厳しい景気後退と金融不安に見舞われ、日本政府も、産業界も技術革新への努力どころではなくなっていた。
21世紀に入ると、世界でのイノベ-ション競争は、一層激しさを増す。米国がこれを先導し、ドイツ、フランス、中国などがこれに続いた。米国では、シリコンバレーなどで人工知能(AI)やビッグデータなどの実用化が急速に展開され、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)などが市場を拡大した。製造業に強いドイツでは情報産業との一体化を通ずる「インダストリ4.0」の構想を打ち出した。新興国中国も北京中関村、深圳南山区などでベンチャー企業が活躍し、BAT(Baidu, Alibaba, Tencent)などが市場を拡大していた。
これらの対象領域は、情報通信を基軸に、AI、ビッグデータなどの革新的技術領域を中心に、生命科学、高度医療、宇宙、海洋、新素材、水素利用など広範に及ぶ。諸外国では、政府の支援策が強化され、民間企業も革新技術の開発に意欲的に取り組んでいた。日本は、最近これに気付き、人によっては3周遅れという人さえいるが、ようやく政策努力を払うようになってきた。
日本のこうした遅れは、研究開発関係の諸指標に如実に表れている。
表 主要国の研究開発状況比較
|
研究開発投資(兆円) |
研究従事者(万人) |
||||
|
2000年 |
2010年 |
2015年 |
2000年 |
2010年 |
2015年 |
日本 |
16.3 |
17.1 |
18.9 |
61.1 |
65.6 |
68.3 |
米国 |
41.7 |
45.7 |
51.2 |
98.3 |
120.0 |
135.2(2014) |
中国 |
5.1 |
23.8 |
41.9 |
69.5 |
121.2 |
161.9 |
ドイツ |
8.3 |
9.1 |
11.6 |
25.8 |
32.8 |
35.8 |
韓国 |
2.9 |
5.8 |
7.6 |
10.8 |
26.4 |
35.6 |
|
特許出願(千件) |
自然科学部門の論文発表数(千件) |
||||
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2000年 |
2010年 |
2015年 |
2000年 |
2010年 |
2015年 |
日本 |
491 |
468 |
455 |
74 |
74 |
76 |
米国 |
281 |
433 |
530 |
234 |
304 |
352 |
中国 |
26 |
308 |
1,010 |
30 |
137 |
282 |
ドイツ |
135 |
174 |
182 |
66 |
85 |
100 |
韓国 |
86 |
178 |
238 |
14 |
40 |
56 |
(出典) 文部科学省 科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2017」
この表が示すように、さすが米国は研究開発投資を着実に増大させ、研究論文でも諸外国をリードしている。とりわけ注目を惹くのは中国の急速な拡大である。特許出願では日本はおろか米国をも凌駕し、自然科学部門の論文発表数でも米国に迫る勢いである。ドイツは、研究開発投資ではその規模が米国、中国に比べかなり低いが、論文発表数ではかなり効率よく成果を挙げている。残念ながら、日本は研究開発投資も、研究従事者も若干増加を示しているものの停滞傾向にあり、特許出願では減少、論文発表数では横ばいとなっている。
日本がイノベーション力を高めるには、抜本的なシステム改革が必須である。まず技術開発の自前主義を脱却する必要がある。同時に、縦割りを打破しつつ、産官学の連携を強め、海外との研究交流を拡大するする必要がある。日本では一度新規開発に失敗すると2度と立ち直れないが、米国のように再度挑戦する機会を与える社会風土を醸成しなければならない。イノベーション人材の強化も欠かせない。新規分野への関心が強く、好奇心が旺盛で、チャレンジ精神に富み、戦略立案能力、実行力が備わっている人材が不可欠である。同時に、基礎的な関連教育機能の充実も、社会人の再教育の機会の提供も必須である。優秀な海外の人材の活用も不可欠である。
日本は、世界で最も早いスピードで人口減少と高齢化が進む。そこで成長力を持続しようとするならば、イノベーション力の強化以外に道はない。情報通信技術を駆使した新規産業を育成するため市場条件を整備するとともに、競争力が停滞している工業、農業、漁業、牧畜などの再生を図らなければならない。施設介護と在宅介護の連携、在宅介護のシステム化など福祉面での活用にも努めなければならない。自然災害を克服するため、予知機能、救助連携、効率復旧なども欠かせない。イノベーション力の強化こそ今日の急務である。