「東アジア・サミット」と「ASEAN+3」の枠組み
2005年12月にクアラルンプルで、第1回東アジア・サミット(EAS)が開かれた。EASは、2002年1月に小泉首相がシンガポールで提案した「東アジア・コミュニティ」構想に遡る。しかし、ふたを開けてみれば、EASはさまざまな問題を抱えていることが判明した。
もともとEASは、「ASEAN+3(日本、中国、韓国)」の延長線上にある。「ASEAN+3」は、かつて橋本首相が日本・ASEAN首脳会議の定例化をもちかけ、逆にASEAN側が日本に中国、韓国を加えた首脳会議を提案し、これが定着したものである。今回のサミットでは、2003年以来、EASの開催に強い関心を示してきた中国やマレーシアが、メンバーを「ASEAN+3」に限定することを主張した。一方、「開かれた地域主義」(an
open regionalism)を主張する日本は、メンバーの固定化に反対し、これにシンガポールやインドが加わって、今回のEASは「ASEAN+3+3(オーストラリア、ニュージーランド、インド)」の形をとった。メンバーシップをめぐる議論は平行線をたどったままである。
地域協力をめぐる日本のジレンマ
一方、採択された「クアラルンプル宣言」では、「EASはこの地域におけるコミュニティ形成における重要な役割を果たしえる」という抑えた表現にとどまった。その半面、宣言には「ASEAN共同体」(the
ASEAN Community)という言葉が二度もでてくる。つまり、共同議長を務めたASEANは、EASを「東アジア・コミュニティ」のステップボードではなく、自分たちの機構のさらなる強化の手段に位置づけたのである。その結果、EASは「拡大ASEAN会合」の性格を強くもつことになった。
アジアとの共存共栄が必須となった日本にとって、日中韓を中核とする何らかの地域協力の枠組みは必要不可欠である。ただし、日米関係を損ないたくない日本としては、閉鎖的な「東アジア共同体」(the
East Asia Community)は望ましくなく、長年積み上げてきたASEANとの協力関係を頼りにせざるを得ない。しかし、環境保全、エネルギー確保、食糧安全、広域テロなど、地域が直面する問題に取り組むためには、ASEANといった国家間機構だけではなく、市民やNGO/NPOが参加して共に行動する「共同体意識」も必要になる。そのためには日中韓の協力が大前提であろう。ここに日本のジレンマがある。
「有限パートナーシップ」方式の可能性
現在、経済産業省などが考えている地域協力のシナリオは次のとおりである。まず、急速に進んでいる東アジア域内での経済面での相互依存体制を出発点に置く。将来はこれにインドやパキスタンも加わるだろう。そこでこの「アジア化するアジア経済」の実態を前提に、個別産業ごとに産業協力の実績を重ね、これと二国間経済連携(EPA)や日・ASEAN間の自由貿易協定(FTA)を結び付けることで、下から経済協力の基盤を固めていく。一方、東アジア・サミットを定例化することで、参加国の間の相互理解と相互信頼を深めていく。そしてこの共同体意識の形成が、先の経済の実態とともに、経済協力を支えるもうひとつの柱となる。
このような「サンドイッチ方式」が、実効性のある地域協力を実現するためのシナリオであった。ところが冒頭に述べたように、東アジア・サミットにおける「同床異夢」の現実は、アジア地域における共同体意識の形成が簡単な課題でないことを、改めて印象づけた。そうだとすると、発想を変える必要があろう。
つまり、食糧安全や鳥インフルエンザへの対応、情報産業の人材育成や産業協力のように、個別のテーマごとに協力の枠組みを設定し、メンバーも固定せず、出資形態も資金、ひと、智慧のように広げて問題に取り組む「有限パートナーシップ」の方式を考えることも意味があろう。この方式では、目的に応じて参加国が有限責任を負い、目的を達成すれば解散すればよい。その一方、日中韓の間では相互の信頼を醸成するための会合なり協議を、より真剣に重ねる必要がある。そうでなければ、いつまでたっても「東アジア共同体」は「ASEAN+3+3+α」(拡大ASEAN会合)の枠を超えることができないからである。